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小説探訪記13:2023年01月の読書記録

 今回は1月の読書記録をメインに語っていきたいと思います。今月は、嬉しいことに、『戦争と平和』や『地図と拳』といった大作を読むことができました。補足コメントをつけつつ、読了ツイートを一挙に紹介します。

2023年01月の読了ツイート

トルストイ『戦争と平和』新潮文庫全4巻

第1巻

第1巻はナポレオン戦争・ロシア戦役の前日譚のようなものであり、戦前のロシア社交界に漂っていた不穏な雰囲気が感じられる。アンナ・パーヴロヴナが(当時はよく知られていなかった)インフルエンザに罹患するシーンから始まるのは、本当に示唆的だ。

『戦争と平和』の序盤、アンナ・パーヴロヴナが当時は未知であったインフルエンザに罹患するシーンから始まる。その場面を引用しておこう。

 一八〇五年の七月、皇太后マリヤ・フョードロヴナのお気に入りとしてその名をうたわれた女官アンナ・パーヴロヴナ・シェーレルは、自邸の夜会にいちばん先に乗りつけた。いまをときめく顕官ワシーリイ侯爵を迎え入れながら、こう言った。アンナ・パーヴロヴナはこの数日咳がひどかった。彼女自身の言葉をかりると、インフルエンザにかかっていたのだった(インフルエンザは新しい言葉で、当時はまだほとんど使われていなかった)。

トルストイ『戦争と平和』工藤精一郎訳 新潮文庫 第1巻 p.8
引用者太字

第2巻

ときおり挿入される詩や自然の描写が心地よいので、ピエールの哲学的思索に胸やけするようなことなしに読める。その匙加減が絶妙な第2巻であった。月明りの下で納屋に向かっていく雪の小道にてソーニャとニコライが出くわすシーンが実に美しい。

 本作の主人公を強いて挙げるとすれば、私はピエールと答えるだろう。しかし別の意見を持つ方もいらっしゃるだろう。ピエールはあくまでも一連の戦争と平和の観察者であり、ソーニャとニコライの恋愛に心動かされた方も多いかもしれない。

第3巻

燃えさかるモスクワの街並みから、ピエールはかえって解放感を覚え、活力がみなぎってくるとさえ描写されている。もちろん、その興奮は近視眼的であり、自分の隣でフランス軍に略奪されている女性*がいても気付かない有様**だった。恐ろしくも美しい文章だった。

*正確には「女性」ではなく「百姓」
**おぼろげに見えてはいたが、ピエールに気にしている余裕はなかった。

第4巻

2023年の私から見ると、トルストイが英雄史観を否定したのは、個人的な思想というよりも普遍的な歴史感覚に因るように感じる。ナポレオン戦争の後、待っていたのは国民を総動員した世界大戦であり、チャーチルの言う通り戦場で兵を先導する英雄は現れなかった。

戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。アレキサンダーやシーザーやナポレオンが兵士たちと危険を分かち合いながら、馬で戦場を駆けめぐる、帝国の運命を決する、そんなことはもう無くなった。

これからの英雄は安全で静かで物憂い事務室にて、書記官たちに取り囲まれて座り、一方何千という兵士たちが電話一本で、機械の力によって殺され、息の根を止められる。

これから先に起こる戦争は女性や子供や一般市民全体を殺すことになるだろう。やがてそれぞれの国には、大規模で限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような、破壊のためのシステムを生み出すことになる。

人類は初めて自分たちを全滅させることができる道具を手に入れた。これこそが、人類の栄光と苦労のすべてが最後に到達した運命である。

チャーチルの名言

他の小説の読了ツイート

ウラジミール・ソローキン『青い脂』

中国語のスラング等を取り込み、破壊的な文章で綴られるロシアの架空歴史SF。ドストエフスキーやトルストイ、チェーホフといったロシア文豪の文体を模写してみせる著者の芸が味わい深い。素材の味を楽しんでいただきたいので、これ以上の言及は差し控える。

ジョセフ・コンラッド『闇の奥』

アフリカに上陸したマーロウは、貿易会社で象牙を取り扱うクルツを探しに、大密林の奥まで分け入っていく。毀誉褒貶飛び交うクルツの人物像は密林のように謎めいていた。大自然の前では、理性や信仰の灯は心許ないものであり、人間は全て平等なのだと感じて安堵する。

梅崎春生「桜島」

戦争末期、桜島に異動となった暗号兵の複雑な心理を綴っていく。眼前に死が迫れば自分はどうするのか? 逃亡か、命乞いか、戦闘か。自身の選択が鮮明になる恐怖に、滅亡への誘惑と、終戦の一報を聴いた際の戦慄。8月15日、夕陽に染まる桜島岳に、読者の私は血を見出した。

 今回の共通テストで梅崎春生の小説が出題されたことから、読むことになった「桜島」。梅崎春生や井伏鱒二はイデオロギー色が少なく、文体のクセもないために、試験問題には使いやすそうだと考えてしまう。

安部公房『第四間氷期』

人工知能の理想のような「予言機械」と水中生活に適応しきった「水棲人類」。全く関連がないように見える2つのSF的なテーマが、主人公の周囲で起きる個人的な事件によって繋がっていく。AIや地球温暖化を考える上で今でも色褪せない1冊であり、物語の構成も鮮やかだ。

村上春樹『村上ラヂオ』(1~3)

掌編エッセイ集。決して平和ではなかったが、現在と比較すれば牧歌的な平成の様子が記録されていて、懐かしく感じられる。特に猫に関するエッセイを読むと、猫の一挙手一投足に思考をめぐらす余裕があったのかと思い、2023年の私は溜息をついてしまう。

小川哲『地図と拳』

舞台は満州の小村・李家鎮。膨大で困難な仕事の末に記されたであろう、信用しきれない地図の上に、欲望や意思を反映した都市が築かれては、拳により破壊される。容赦なく変化する現実と曲げられない虚構の間で、人生を頼りない地図や拳に賭ける人々の姿は、たくましく儚い。

S.B. ディヴィヤ『マシンフッド宣言』

舞台は21世紀末、弱いAIにより大半の仕事は奪われ、人類は能力を向上する薬剤(ピル)を摂取することで、専門的な仕事か安価な労働に従事していた。そんな中、ピル開発の資本家を暗殺した謎の犯人は、機械知性の権利とピルの使用禁止を訴える声明を出す。

知性を持った機械の人権や人類の能力を向上させるドラッグといったテーマは、個人的にも関心があったので面白かった。生成AIの普及やスマートドラッグなどを考えてみると、SFのように見えて、実はかなり現代的なテーマを扱っているのかもしれない。

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