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「人の生き血をすする奴」、タレブ『身銭を切れ』、世界難民の日。

世界難民の日。

「一つ、人の世の生き血をすすり、

二つ、不埒な悪行三昧、

三つ、醜い浮世の鬼を、退治てくれよう桃太郎」

という "桃太郎侍の歌"を知らない方も多かろうけど、コロナは「人の生き血をすする奴」が誰か、どんな人かをあぶり出しもしたと思う。

魔女狩りはするものではない。しかし化けの皮が剥がれた浮世の鬼の相貌も、忘れるものではない。

『ポバティー・インク』という映画が、自戒の意味もこめて好きだ。

「貧困産業」と題づけられた映画が描くのは、「かわいそうな人たち」を支援することで(巨額な)ビジネスが潤う様子。「無力でかわいそうな人々」の役割をおしつけられ続ける人たちの姿。

「人の生き血をすする奴」は、善意の皮をまとってにこやかに近づいてくることも多い。搾取する意欲満々の悪鬼には立ち向かえばいいのだけど、「いい人」の皮をまとう浮世の鬼は邪険にもしにくく、何らかの施しを与えてくれることもあり、世間も「いい人」だと褒めそやすし、ついつい警戒心を解いてしまって、つけこまれる。

そして、生き血を吸われる。

逆もしかり。「いい人」であることは気持ちがいい。人間の大きな欲望の一つだろう、「いい人」になりたい欲は。

だから人は、「私は善意に満ちた心を持つ「いい人」ですよ」とアピールし、深く考えない表面的な行いをし、気づけば人の生き血を吸って快感に浸ってしまう。

感動ポルノ中毒。

コロナのために、苦しむ人が多く出た。「いい人」という快感に浸りたい人には絶好のチャンス到来となった。人の生き血は、どれだけ吸われたのだろうか。あなたや私は、「人の生き血をすする奴」となり果ててはいないだろうか。

一昨日は『持続可能な食文化の日』。

昨日は『紛争下の性的暴力根絶のための国際デー』。

今日は『世界難民の日』。

これらは、世界や未来のさまざまなこと・人を知り、想像し、思いやり、できる行動に踏み出すためにある。

いいことをしている風な自分をアピールし、自分を飾るためにあるのではない。「いい人」という快感に浸るためにあるのではない。

己の虚栄のために、人の生き血をすするな。

未来を踏みにじって、ケバケバしく笑うな。

誰かの涙や、生命は、あなたの使い捨てのおもちゃじゃない。

解決の一部として、生きているのかを問う。

SDGsウォッシュ、グリーンウオッシュについての憤りや嘆きを聞くことが多くなっている。是非、ニコラス・タレブの『身銭を切れ』を読むことをお勧めする。

ウオッシュか、否か。それは身銭を切っているかどうかでわかるはず。自分が己の虚栄のため、感動ポルノに浸りたいために善行を成しているのか否か、自浄チェックもできるはず。

『ブラック・スワン』や『反脆弱性』で有名なタレブの癖の強い、箴言のような文章から、いくつか引用を。

「自分の意見に従ってリスクを冒さない人間は、何の価値もない」

「いちばん説得力のある発言とは、本人が何かを失うリスクのある発言、最大限に身銭を切っている発言である。対して、いちばん説得力に欠ける発言とは、本人が目に見える貢献をすることもなく、明らかに(とはいえ無自覚に)自分の地位を高めようとしている発言である」

「身銭を切るという原則を取り入れば、文明化に伴ってどんどん広がっていく次の乖離の影響を抑えられる。それは、行動と口からでまかせ(くっちゃべり)、結果と意図、実践と理論、名誉と名声、専門知識とペテン、具体的と抽象的、倫理的と合法的、中身とうわべ・・・(略)」

「他人の命で遊ぶ」(なかれ)

「身銭を切らずして得るものなし」

6月20日は、世界難民の日。

憎しみや争いによってのみ、私たちの一部が難民という立場になってしまうわけではない。(難民がうまれるという表現が嫌いだ。難民は私たちの誰かがそんな苦しい状況に置かれるだけであって、難民という異物に生まれ変わるわけじゃない。)

気候変動・気候危機によって、飲み水も食糧もなく、灼熱の中で暮らしていけず、住む土地が水に浸かり、難民化してしまう気候難民だって大量に出てくる。

日本の難民認定は0.3%。なんとたったの0.3%。

あなたと私は、「人の生き血をすする奴」だろうか?

あなたと私は、どんな「身銭を切る」ことができるだろうか?


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