Tetsuya Tatsumi

Jazz trumpeter, composer, arranger, band le…

Tetsuya Tatsumi

Jazz trumpeter, composer, arranger, band leaderなどなど。主なフィールドはジャズ。ここでは、音楽と言語という表現メディアにかかるあれこれを発信していこうと思います。トランペットの奏法についても書きます。

最近の記事

動名詞の意味上の主語に対する気づき

いい年をして英文法を学び直しをしているのですが、高校英語の動名詞の項目での意味上の主語ってのが所有格でも目的格でもどっちでもいい、ってのが長年謎でした。主格は入れられないからどっちでもいいってこと、くらいに考えていたのですが、なんとなく文法的に掴めたので備忘録として書いておきます。 I insisted going New York alone. これは第3文型で、ニューヨークに一人で行くのを主張してるのは「私」です。これを I insisted his going Ne

    • なんで英語の勉強はBe動詞から始めないといけないのだろう?

      恐らくは戦後ほとんど何も改訂されてない日本の英語の参考書なのですが、学び直しをしていく中でなぜBe動詞から始めるのかということに大きな疑問を感じるようになりました。なぜってBe動詞は日本語にないシステムだからです。欧米言語(中国語も?)は述語は必ず動詞でなくてはいけないのですが、日本語では動詞以外の品詞も「用言」として述語にすることができます。つまり、形容詞、形容動詞、名詞+助動詞が述語になっている文章にはBe動詞をつけないといけないわけです。昭和のアニメの中国人キャラのセリ

      • 日本の英語の参考書ってどうなの?

        音楽関係で海外のミュージシャンとつるむことも多いので仕事で書いたり喋ったりする機会は平均的な人よりかなり多いと思うのですが、高校時代は劣等生で英文法ははなはだ心もとないのでこの数年英文法の学び直しをしています。で、高校生くらいの参考書を見てみると、私が昭和の頃使っていたのとほぼ一言一句変わっていない感じがします。つまり恐らくは戦後80年近くほぼ変わっていないということになります。で、谷崎潤一郎が昭和10年に書いた文章読本を読んでみるともしかして戦前から、明治時代くらいからほぼ

        • トランペットとエアの使い方。

          トランペットの奏法について常に話題に上がることに「エアをどう使うか」ということがあります。"Use more air!"なんて言う人もいます。これは言い回しの非常に難しいものであると考えています。確かに使い方の問題なんだけど、実は「量」の問題ではないと考えるのです。幸運なことにこの20年くらい、数多くの欧米の名手と話して意見を聞くことができましたが、去年亡くなったLAの巨匠、Carl Saundersは「必要最小限のエアで最大限の効率の良い仕事をしなさい」と言っていました。イ

        動名詞の意味上の主語に対する気づき

          There is~の文についての仮説

          英語を勉強し直ししててこれどうしてこうなるんだろう、というのの筆頭にあるのがThere is~の文です。「Thereは訳さなくて良い」って言われます。個人的な感覚では英語は言いたいとこを先に言う言語なので主語述語が先、という理解なのですが、これだけ違うんです。 で、あれこれ考えてたんですが、これって倒置なんじゃないかな、と。そもそもthereには「そこに」という意味がありますが、とすれば第2文型として考えるとそもそものSVCの並びではA book is there.であって、

          There is~の文についての仮説

          音楽ジャンルの垣根

          20世紀の終わりくらいまでは日本のクラシック系の人たちがクラシック以外のジャンルの音楽家を評価し、受け入れる基準は「ナディア.ブーランジェとの接点があること」だけであったように思われます。アストル.ピアソラもエグベルト.ギスモンチもキース.ジャレットも期間の長さは定かではないけどナディアとの接点がある人たちでした。時代が下がってナディアに師事することが物理的に不可能になってしまった世代で素晴らしい音楽を作っている人で日本のクラシック畑で評価される人は皆無であるように見えます。

          音楽ジャンルの垣根

          ジオパーク

          ジオパークなる言葉があります。調べてみたら15年くらい前にユネスコの活動をきっかけにどこぞのNPOが始めたものらしい。検索かけてみると、いかにも日本のお役所的というかなんというか、そうした地形的特色を生かして観光振興を図ろうみたいなことに集ってる感じで、なんとなく日本的利権の匂いも感じられなくはない活動ではあります。とはいえ、指定されている地域の多くにはいわゆるブラタモリ的知的好奇心のフックがいたるところにあって面白いとことはそれなりに結構面白いのです。ユネスコが指定している

          「世界のナントカ」

          小澤征爾が亡くなった。クラシックの指揮者として世界で一番有名な日本人であることは間違い無いと思います。メディアは彼を形容するのに「世界のオザワ」と形容します。素晴らしい仕事をした人であると思います。 でもちょっと待て。 その表現を使うのは日本のメディアだけですよ。海外のメディアが"World famous Japanese "Seiji Ozawa"なんて絶対に言わないです。 この日本のマスメディアが使う「世界のナントカ」という表現にものすごく違和感があるのです。メディ

          「世界のナントカ」

          リムスキー.コルサコフ

          ジャズの和声の理論を独習しているのですが、そもそもこれはクラシックの西洋音楽理論に軸足があるのでそっちも少し読みかじっています。その和声法も大元はドイツ〜オーストリア音楽のスケールの機能性みたいなもので、ここではトライトーンが禁忌になっています。このルールがいわゆる調性の壁となってワーグナーやマーラーがのたうち回ったと認識しているのですが、同時代の東欧の作曲家が全然違うアプローチで音楽を書いていたように思えるのです。例えていうとブラームスの1番の1楽章のオルガンポイントとムソ

          リムスキー.コルサコフ

          阪神大震災29年目に思うこと

          阪神大震災から29年が経ちました。生きてきた時間が震災前と震災後と同じ長さになりました。しかし、日本という国は大体10年に一回くらいはM7超級の地震が起きるんだなぁ、と阪神大震災以降今年の正月の能登までのあれこれを振り返るに実感させられます。こういうのが起こるたびにメディアがギャンギャン騒ぐのに辟易してしまっているのですが、つまるところ自分の所有している財産であるとか身内であるとかがどうにかなったり、社会インフラが破壊されて相当期間不自由を甘受せざるを得ない状況になるのが「災

          阪神大震災29年目に思うこと

          音楽は役に立たない〜災害罹災の経験を通して感じること

          1995年に阪神大震災を東灘区で経験したことを書きます。震度7エリアでしたが、住んでいた建物の形状が幸いして半壊に留まり、半月そこで配給食糧と水だけで凌ぎながら仕事をするという経験をしました。震災2周目に取引先の厚意で確か2回くらい有馬温泉の旅館を使わせてもらって風呂に入るなんてことをさせてもらったのですが、そこから車で当時の職場だった三ノ宮(ビルが全壊したので実質的には元町旧居留地)に向かう道すがら景気付けに爆音でJBあたりをかけてみたんですが、自分が音楽に全く反応できなか

          音楽は役に立たない〜災害罹災の経験を通して感じること

          本番のプレッシャーって何?

          私は無名ではありますが細々とジャズという音楽をやっています。このジャズという音楽は曲者でして、「現場で何をやってもいい」という音楽なのです。もちろん日頃から色々な練習はしますが、それをどう活かすか、活かせないか、はその現場で音を出してみないとわからない世界なのです。さらに困ったことに、自分の中ではあまり上手くいってないと感じても後で録音を聴くと思いの外良かったり、またはその逆ということもこれまたよくあるのです。演奏の現場では「その場で最善を尽くしていい音楽を作る」ということだ

          本番のプレッシャーって何?

          12と13:アヴォイドノートについて

          アドリブを吹くときに「アヴォイドノート」を避けるようにと言われたことのある人って多いんじゃないでしょうか? アヴォイドノートって個人的な感覚では特定のコードの中におけるb9のインターバルの音だと考えています。ドミナントコードの上のメジャー7thとか、マイナートライアドの上のメジャー3rd、メジャートライアド上の11thなどです。他のは大抵トライトーンサブスティテューションとかで折り合いがつけられます。このb9のインターバルは数字でいうと1オクターブ+半音、すなわち12音に対

          12と13:アヴォイドノートについて

          ジャズが大衆化しない理由について私が聞いたことと考えたこと

          ジャズ。アメリカでも最早音楽売り上げシェアの1%歩かないかの状況です。アメリカンオリジナルアートフォームなのに。日本では至るところでBGMとかで使われたりしていますが、ライブの現場で頑張ってる人の名前をあげられる人はほとんどいないのではないでしょうか。まぁ考えてみればクラシックだってそんなに大きなシェアはないし、民謡や小唄や端唄も一部の好事家のものになってしまっているように見えます。2010年にLAからトランペッターのCarl Saundersを招聘してクリニックをやった時の

          ジャズが大衆化しない理由について私が聞いたことと考えたこと

          アーティスト、という言葉

          「アーティスト」。この言葉は基本的にはあまり使いません。自分に対しては絶対に使わないです。だって自分のやってることがアートかどうかを決めるのは自分ではないから。その人が作ってるものがアートであったかどうかを判断するには時間がかかるので、メディアやネット上で安直に使われる「アーティスト」という言葉の使い方には抵抗があります。

          アーティスト、という言葉

          耳栓?

          私はポップスをやらないので経験ないのですが、日本のメジャーなアーチストのサポートで大会場で演奏するとき、ステージの中音がデカすぎて耳栓して演奏するというケースがあるようです。ていうかちょっとググると「ライブ用耳栓」ってのが沢山売られています。宣伝文句曰く「爆音から耳を守る」とか。 は? 一昔前のクラブの大箱でのハウスやレイヴなんかも大概爆音だったし、亡くなったPhil Asherの昔のイベントでジャズだって言ってたのに中身は爆音どハウスで翌日まで耳がしんどかったこともあり