なんで英語の勉強はBe動詞から始めないといけないのだろう?

恐らくは戦後ほとんど何も改訂されてない日本の英語の参考書なのですが、学び直しをしていく中でなぜBe動詞から始めるのかということに大きな疑問を感じるようになりました。なぜってBe動詞は日本語にないシステムだからです。欧米言語(中国語も?)は述語は必ず動詞でなくてはいけないのですが、日本語では動詞以外の品詞も「用言」として述語にすることができます。つまり、形容詞、形容動詞、名詞+助動詞が述語になっている文章にはBe動詞をつけないといけないわけです。昭和のアニメの中国人キャラのセリフで「私中国人アルよ」みたいなセリフができるのは、中国語でのBe動詞みたいなものに当たる「是」の字の存在があると思われるのです。「我是中国人」の是の字で述語が重複しちゃうという。逆にいうと欧米人にとって述語動詞がなくても文章が成立する日本語には大きな謎に感じられるはずなのです(未確認)。そういえば友人のアメリカ人のミュージシャンに「どこで練習するデスカ?」って聞かれたことがありますが、これはWhere do you practice?だけど恐らくは日本語を学ぶ過程で述語動詞を意識しすぎて出てくるケースではないかと感じたりしています。

 そして参考書を見てみると動詞は一般動詞とBe動詞に分類されていますが、「一般動詞は日本語文法で定義される動詞」であって「Be動詞は状態を表す文で使用される唯一の特殊動詞(存在の文章を除く)」なのです。唯一の動詞だからこそ助動詞を使わずに主語と述語をひっくり返すだけで疑問文ができちゃう。英語は言いたいことを先に言う言語なので主語述語が先に来るのですが、であれば我々日本人にはまず一般動詞(つまり述語が動詞で終わる動作を表す文章)から入った方が馴染みやすいはずなのです。でもそうなってないのです。おそらくそれには理由があります。簡単なことですが、英語で書かれている英文法の本がBe動詞から始められるからです。ここからは推測ですが、現地の文法書は誰を対象に書かれたものでしょうか?英語を使う人、英語を勉強したい欧米人のために書かれているのではないか、と。欧米言語の多くはインド=ヨーロッパ語族なので、共通している部分が多く、Be動詞に該当するものがどの言語にも存在しているはずです。例えばドイツ語の"bin"は"am"になるのね、ふむふむ、と言う理解ができるはずです。でも、ウラル=アルタイ語族の仲間であり、文章構造が全然違う我々日本人が一番最初に見せられても「?」となるのが関の山です。そして我々日本人は戦後ずーっとこのスタイルの参考書でしか英語を勉強することができません。異文化を学ぶ時にこうした問題は避けて通れないのですが、こうしたことに着眼してわかりやすいものを作ることこそ日本人の学者なり研究者の大事な仕事だと思うのですが、誰も何もしてないからいつになっても英語が難解な存在なのではないかと思います。

ちなみに英語は言いたいことを先に言う言語、と考えると疑問文の作り方にしても倒置にしてもかなりわかりやすくなる、と言うのが私見です。

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