阪神大震災29年目に思うこと

阪神大震災から29年が経ちました。生きてきた時間が震災前と震災後と同じ長さになりました。しかし、日本という国は大体10年に一回くらいはM7超級の地震が起きるんだなぁ、と阪神大震災以降今年の正月の能登までのあれこれを振り返るに実感させられます。こういうのが起こるたびにメディアがギャンギャン騒ぐのに辟易してしまっているのですが、つまるところ自分の所有している財産であるとか身内であるとかがどうにかなったり、社会インフラが破壊されて相当期間不自由を甘受せざるを得ない状況になるのが「災害」で、そうしたダメージがなければ「自然現象」でしかなく、そうなるかならないかは「運」でしかないのだなぁ、と。神戸のあの状況で怪我もせず無事だったのも単に運でしかないんですよね。災害死はやりきれないものがあるけど、その人が何年間にもわたる復興での苦労あれこれを経験しないで済むのはある意味幸せとだって言えるかもしれません。地震は自然現象だから起きるのは条理。それで何か不具合を受けてしまうのは不条理。生まれた以上死ぬのは条理であって、老衰以外でくたばるのであればそこには必ず何らかの不条理的な印象が残るのだけど、果たして病気にかかるのは条理か不条理かもはや私にはその境界にけじめがつかないです。

ただ、世の中には「仕方がない」ことと「仕方がないでは済まされない」ことの2つがあります。自然現象で被害を被るのは「仕方がない」ことですが、被害を被った人々に対するセーフティネットがダメで相応の救済が受けられないなどの問題は「仕方がないでは済まされない」ことで、これを政治が最大限誠実に対応することが大事と考えています。阪神大震災のあった年、政府は住専の救済に6000億円の税金を投入しました。民間の商売の失敗に公的保証をするのが日本政府の手口。6000億の資金があったら被災者の住宅ローンの減免も相当程度できたはずなのに震災後二重ローンで苦労する人というのが結構出ました。これは「仕方がないこと」なのかな?東日本大震災でも原発被害で移住した人たちへの移住などなどに対するケアは微々たるものでした。これも「仕方がないこと」なのかな?

こうした大きな自然災害が起きるとメディアは「防げなかったのか?」とか「救えなかったのか?」みたいなことをギャンギャン喧伝します。起きたことは現実で防ぎようもヘッタクレもありません。自然現象だからどんな過酷なことでも起こりうるし起きればそれが現実。「仕方のないこと」です。そこから再び立ち上がっていくプロセスの中で罹災した人々をどうストレスのない状態でバックアップしていくかという社会システムを検証し、希求していくことが大事なのではあるまいか、と考えるのです。これは「仕方がないでは済まされない」ことです。ところがこの20年くらい、政治や経済の問題で「仕方がないでは済まされないこと」がなんとなくうやむやにされることが非常に多くなりました。今の国会議員の裏金問題も然り。行政や立法に関わる人々がこの体たらくの中で、災害復興に伴って手厚く有効な政策がきちんとなされるか、これを国民がきちんと監視しないといけないのではないかなぁ、と考えます。

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