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ヨガと煙草 Ⅲ 結婚とタバコ 沖縄竹富島〜那覇〜鹿児島鹿屋編 (全5話)

この物語はわたくしteruchiteruteruの24歳頃から今、現在に渡るお話です。ヨガマスターでもなく仙人でもなく人間ど真ん中なわたくしの在りのままな姿をご覧いただけたらと思います。ではヨガと煙草(全5話)第三話。はじまりはじまり~🧘‍♂


ヴィパッサナー瞑想の厳しさを知り、
ニコチン中毒症状の根深さを知ったぼくは
その後、オーストラリアを旅したり、アルバイトをしながらマハラジのノリッジという瞑想方法を習ったり自分を探して彷徨っていたわけであるが、もう行かねばだめだと29歳の時、恋い焦がれた沖縄移住を目指し旅立った。
仕事を見つけたのは八重山諸島の竹富島。
そこで水牛車観光の仕事を見つけ、水牛の世話をしたり、観光ガイドをしたり受付業務を行っていた。


煙草も相変わらず吸っていた。
ぼくが吸っているアメリカンスピリットは島には売っていなかった。高速船で10分の石垣島へ買いに行かねばならなかったので、いつもカートンで買っていた。その頃の価格は一箱20ピースで480円だったか。一日10本ほど吸っていた。

仕事が終われば、オリオンビールやワインを持って西桟橋やコンドイビーチ、カイジ浜へと息抜きに行った。
飲みながら三線を弾き唄い、西表島に沈みゆく夕日を眺めながら煙草の煙を燻らせた。


夕暮れ時の竹富島西桟橋。
画像はお借りしました。


そんな日々を送りながら、ぼくは島で出会った女性と付き合いと結婚することになった。
煙草を辞める事という条件だった。

ぼくの結婚するぞ!という氣持ちはニコチン欠乏中毒症状を凌駕した。
この日で煙草を辞めると決意した日、海を眺めながら最後の一本を吸い、残りはゴミ箱に捨てた。



ぼくは竹富島に4年住んだ後、結婚生活をする那覇に移り住んだ。
那覇では独立起業にチャレンジしたが、力不足のため圧倒的現実を突きつけられた。
3.11東北大震災の年だった。
ぼくらは沖縄の生活を終わりにして鹿児島鹿屋へと引っ越してきた。



鹿児島鹿屋の生活はぼくにとって窮屈だった。
竹富島ほど窮屈ではないが、田舎的、村的な色合いは濃かった。
那覇で都会的な文化暮らしに慣れてしまったせいか、まともなカフェすらない鹿屋で気分転換の方法もあまり見つけられなかった。


こちらに来て就職したF薬品も大規模養豚業も長く続かなかった。仕事がなかなか定まらない、妻方の親族に疲れ、妻との喧嘩も増えていった。
そして、ぼくは友達からたまに貰い煙草をするようになっていった。

結婚して4年が経った頃、ある日車で移動中、妻ととんでもない大喧嘩をした。

腹を猛烈に立てたまま、コンビニの駐車場に車を停めてアメリカンスピリットを買った。
そして吸った。

結婚を期に始まった4年間の禁煙生活が完全に幕を下ろしたのだった。

                


               《続く》









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すごい量の添加物・・・アメスピ100%無添加との事。。。


↓こちらのマガジンに沖縄生活、オーストラリアの旅の記事が入ってます。



ご一読ありがとうございました✨


続きます!

ナマステ✨








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