この物語はわたくしteruchiteruteruの24歳頃から今、現在に渡るお話です。ヨガマスターでもなく仙人でもなく人間ど真ん中なわたくしの在りのままな姿をご覧いただけたらと思います。ではヨガと煙草(全5話)第二話。はじまりはじまり~🧘♂
有機農業の畑での日々は長くは続かなかった。
ぼくは自立した生活には結び付けられなかった。勇気も自信もなかった。主要な収入源となるトマトが全滅したという経験も大きかった。農業の厳しさを知った。
その後、自然農やパーマカルチャーに興味を持つようになりオーストラリアへ行くのだが、その前に前々から話を聴き(旅をしたネパールではじめに聴いた)興味があったヴィパッサナー瞑想の合宿に行くことにした。ぼくが24歳だか25歳の頃のことだ。
その頃はヴィパッサナー瞑想合宿をしているところは京都のみだった。
京都駅から嵯峨野線に乗り換え園部駅で下車。バスに乗り換えて桧山というバス停で降りて、そこに瞑想センターのスタッフが迎えに来てくれた記憶がある。
その頃すでに喫煙を嗜みそれが当たり前のこととなっていたが、瞑想合宿の十日間は煙草を吸う事が出来ない。お金もかかるし、これを機に煙草を辞めてもいいかななんて思っていた。
ヴィパッサナー瞑想センターでは朝早くから夜10時頃まで休憩を挟みながらひたすら瞑想を行う。食事は3食付き寝床は6〜8人くらいの相部屋雑魚寝だった。費用は全てドネーション。幾ら寄付しても良いし、持ち合わせがない人は少なくても良かった。
ぼくにとって初めての瞑想だった。
瞑想というものに期待をした。
なにか悟れるのか。
人生が変わるのか。
特別な存在になれるのか。
カセットテープに録音されたゴエンカ師の誘導の声。
鼻と上唇の間に呼吸が当たるところにまず集中する。
感覚がだんだん微細になってくる。
しばらくしたら、見つめる部位をずらす。
また、そこを見つめていくうちに
感覚が微細になっていく。
徐々にずらしながら全身全体に行う。
そうすると微細な感覚、電気が走っているような、ジワジワとしているような、
それがからだの外側全体で繋がる。
ぼくが体感できたのはこの自分のからだが一つのの流れとして在る事を感じられたところまでだ。
それも十日間のうちで2、3度ほど。
意識はすぐ乱れて思考の方に戻ってしまう。
もっと言えばほとんどの時間は思考やずっと座り続けることの苦痛の方に意識が向いてしまっていた。
勿論、瞑想が進めばもっと深い体験が出来る。
針のように尖らせた意識をあるところからからだの中に入れていき、あるところまで意識が降りたときそれは起こる。
曖昧な書き方だが、これは瞑想テープで流れてきていただけなので、ぼくが体験したわけではない。ブッダが悟りを開いたと言われる瞑想方法である。そこまでの体験をしたい方は是非チャレンジしてほしい。
今、有名になったマインドフルネス瞑想は瞑想のレベルで言えば序の口に当たる。
この頃、それが流行っていれば瞑想初心者である当時のぼくにはそれがベターな選択だったと思うけど、初めての瞑想でいきなりの最高峰、ブッダが悟りを開いた瞑想方法に行ってしまったのは今思うと失敗だったと思う。
十日目。
最終日。
この日は確か午前のみの瞑想で終わりだったろうか。
何度かのからだ全体の流れを感じられるくらい集中が深まってはいたが(この状態は俯瞰の状態かもしれない)最終日、煙草の事をふと考えてしまった。
そこからは忘れていたニコチン欠乏の感覚が神経を覆う。
頭の中が煙草一色になってしまった。。。
とても苦しい。
考えまいとすればするほど、そこにはまり込んでいく。非常に最後の瞑想は苦しい思いをして終わりとなってしまった。
バス停まで送ってもらったあと、ぼくは預けていた荷物から煙草を取り出した。
そしてライターで火を点け、煙を吸い込んだ。
ニコチンが染み渡る。
血流が止まる。
脳の何処かが満たされる。
吐き出した煙は風にのって霧散した。
久々の煙草に
これはやめられないな
ぼくは煙草を愛している、
と思った。
死ぬ直前も煙草をプカーっと吸って
そのまま逝こう。
京都駅について伊勢丹の地下で生湯葉を買い、
ぼくは神奈川への電車に乗り込んだのだった。
勿論アメリカンスピリットを買うのも忘れなかった。。。
《続く》
ニコチンの中毒禁断症状は強烈です。。。
続きます!!
ナマステ(-。-)y-゜゜゜