親父の命日にこの3年間を振り返る。 

2020年2月11日はその6年前にあの世に還った親父の七回忌だった。
親父が亡くなった前日は神奈川の実家も結構な雪が降り積もって、親父は雪かきをしていた。
しかし、その次の日に親父は天に還っていった。
ぼくはその頃まだ鹿屋の町中に住んでいて夜スーパーで買い物をして歩いて帰っていた時に(今は鹿屋郊外に住んでいて歩くことは殆どない)携帯電話に姉から着信があった。
両手いっぱいの荷物を下ろして電話に出た。
まるでドラマのように姉が言った。
「お父さんが・・・死んだ・・・」

次の日、即空港に向かい神奈川に帰り葬式まで済ませた。葬式で親戚や親父の知人を前に挨拶したときは思わず涙が溢れ出た。

そして今から3年前、親父の七回忌で神奈川に帰るとき、コロナ禍はやってきたのだった。



この日はせごどんの別名南洲翁を飲みながら。
こちらは日本酒、鹿児島の酒造所ではなくて
広島の酒造所が造っている。


はじめの頃こそコロナをなんだか分からず
テレビ、新聞に齧り付き、とても恐れていたものの、だんだんと恐れ過ぎだ、マスクは効かない等の情報に触れ、海外と比較したときの日本の死者数の少なさにも安心し、自分は4月頃には気にしなくなっていた。

その後はおかしいぞと自分なりの答えを出し、noteで仲間を見つけ更にワクチン等の政府やテレビの専門家などが言う事と180度違う情報に触れぼくは反ワクチンと呼ばれるような類の人間になっていった。

厚生労働省、テレビ、ネット、新聞、週刊誌、
徹底的に情報を漁った。
そしてnoteやFBで自分の考えを発信した。
コロナ禍な様々なことをおかしいと思い、ワクチンを打たなかったぼくは勤め先でも地域社会でも少数派、圧倒的な少数派だった。
特に2021年は自分にとって試練の年だった。
勤め先でのワクチンを打てという圧力。
したくもないマスクも就けざるを得なかった。
自分のnoteのフィールドは殆どの人達がコロナやワクチンに対して懐疑的な人達だった。
現実とnoteの世界のギャップというものを何時も味わっていた。
からだじゅうにアトピーが酷く出たのもこの年だった。それ以前からぼくは肉を殆ど食べなくなっていたが、これを機に小麦を食べることもやめたり無農薬玄米を食べるようになりファスティング等も始めるようになった。

食にこだわり始めると自分の免疫力が上がっている氣がした。アトピーでエレファントマンのようになっていた全身の皮膚は半年かからずほぼほぼ元に戻った。
コロナ禍以前から続けているヨガとこの食生活をしていたら何が来ても大丈夫だと思えるようになった(煙草は吸っているが)。


2022年になるとこの町の非接種者の多くと知り合う機会を得た。子どものワクチン接種が始まるのを機にワクチンの様々な情報を広めようとするグループと関わる機会を得た。
二度の講演会に関わった後は、組織に合わない自分らしくそのグループを半年もしないうちに離れることになったが、この町にも非接種者は居るんだという事に勇氣付けられた。この頃からぼくはもうマスクをすることも殆ど無くなった。

その後は弱毒化していくオミクロン株、海外で緩和されていくコロナ対策を眺め、変わらない日本の実情にイライラする日々だった。去年の夏の第七波くらいになるとそれほど気にする人はいまいと思っていたけど、またまた自分と世間の感覚の乖離を思い知らされた。
職場にいるとぼくの周りにマスク無しで仕事をする人達が何人がいるので、マスクはする人しない人といった感じなのだが、休みの日や仕事が終わってから町に買い出しに行くとぼく以外の人々は皆マスクをつけていてぼくは異世界に踏み込んだかのような感じがして目眩がしたのだった。
そしてこの第七波の時は職場の別部署でも陽性者が続出しぼくは応援部隊として休みの日も出勤。ヘトヘトになりながら、隔離のみされて薬も何も出なかったという同僚たちの話を聴き、ほんとにコロナの5類化を実現してもらわねばと思いを強くしていった。

この3年間でイベントやライブに足を運び地域の人達と顔を合わせ挨拶を交わし世間話をして交流をしていたぼくは外に出ることも少なくなっていた。最後に通っていたヨガ教室も閉まり、休みの違う妻と出掛けることは元々少なく、旅行も食事も一人で行動した。
元々一人で過ごすということが性に合っていたようで、自分本位に仕事の休みの日は過ごしていた。

第八波はが昨年末より始まったときは周りで陽性者が出ることもなく現在の感染状況となった。特に流行もぼくは感じなかったが、世間ではそれなりに流行っていたのだろうか。
マスク解除や5類化のニュースばかりに目が言って感染者数や重症化率など特に気にしなくなっていた。

この3年間で自分は変わったかといえば
変わった部分もあるし、変わらなかった部分もある。
反ワクチン的な
特異な世界観を持つ人々
と呼ばれるような性質は元々ぼくに備わっていたもので、それがコロナ禍でさらに醸造されていった。
変わった部分は上にも書いたが人付き合いと食生活。
好奇心と興味の対象は全く変わっていない。
音楽や読書、精神的な事、アミニズムや民俗学、ヨガ、食、歴史に、真実探し。
仕事に対するスタンス。

より自分のペースで生きた3年。
より自分を大事に何が何でも自分を守った3年。
ぼくのぼくらしい部分はさらに先鋭化された。
人には周波数というものがあるという。
ぼくの周波数は明らかに変わったのだろう。
離れた人、新たに仲良くなった人。
その周波数で景色は随分変わったのだ。

それの事に正しいも間違いもない。

ただただ変わったのだと思う。


親父はこの世を旅立って9年。
肉体から離れてエネルギー体として
どんな周波数になったのかな。
生きながらにしてその周波数になる事は出来るのかな。こんな思考の仕方もこの3年間で備わったことだった。そんなことをしなくてもやがて死はやって来るのだが。

酒がそろそろ回ってきた。
これ以上書くと何を書き出すかわからない。

今回はこの辺りにて。


ご一読ありがとうございます✨


追記。

noteを始めて2年と6か月、コメント数が1万を超えたようです。


半分は自分の返信だけれども。


コメント重視でやってきたぼくとしてはとても感慨深いものがあります。
皆様に感謝✨


以上です!

ナマステ✨






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