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『猫を棄てる 父親について語るとき』(村上春樹 著)

【内容】
著者の村上春樹の家族である教師だった父や、僧侶だった祖父に関する経歴やエピソードを、著者の考察を絡めながら綴った本。

※ネタバレします。

【感想】
幼い村上春樹は父の乗った自転車に乗せられて、猫を捨てに行く…

この話は、どこへ読者をどこにつれていくのだろう…そんな風に始まる本でした。

全くの想像なのですが、村上春樹はこの話を何度も語った経験があるのではないかと思ったりしました。
ある時は親しくなり一夜を共に明かし女性に…
ある時は自身の開いていたジャス喫茶の常連客に…
不思議な余韻を残すエピソードとして、色んな人物に語ってきたのではないかと。

どういう語り方をすれば、聴いている人が狙った形の混乱の仕方をしてくれるのかの無数のケーススタディを学習した上での今回の語り方なのかなあと思いました。

とはいえ、今のコンプラ的にいうとアウトなこの行為を、自分にとっての家族というものを問い直すために、あえて話のメインに持ってくることで、読者を惹きつけるフックとしていて、有効に機能していると感じました。
この社会的モラルに反するギリギリのラインの話を、冷静に描写する筆致で読むものを多少の混乱をさせながら、自らや父親の個人史へと展開させることで、読者も著者が父親に関して感じている混乱を追体験させるような効果を出しているのだなあと…

その後の意外な展開である、寄り道もせずに帰ってきた家には、捨てて来たのはずの猫がいて、鳴きながら村上春樹に身体を擦り付けてきて、猫を飼い続けることにした…
この緊張から一気に解放されるということを行うことで、次からの話の没入を促すと同時に、この先語られる父の生きていた足跡を暗示させている。
実に巧みな導入になっているなあと…
などと書いていて、もしかするとこの猫を捨てるというエピソード自体も、村上春樹の創作であるかもなどとも思えてきましたが、実際はどうなんでしょうねえ…

その後、父親の生涯について語られる内容は、私にとってかなり意外なものでした。
『羊の冒険』を始めとして、初期の作品は特にキリスト教的な世界観を感じさせるような、ある種バタ臭くもある作品の印象が強かったのですが…
お爺さんは、京都の浄土宗の大きなお寺の住職で、父親も後継ぎをするように育てられていた人だったとのこと…
ハルキストにとってはもしかしたら周知の事実だったのかも知れませんが…

そういえば、同じくある種バタ臭い物語を書いていた宮沢賢治も、仏教、法華経へ傾倒していたりしたことを思い出したりしました。
もしかすると日本文学には、そうした系譜もあるのかも知れないなあと思ったりもしました。

村上春樹自体は、そうした類型的な分析などをされるのを嫌って、あまり個人的なことを書いてこなかったのかも知れませんが…

とはいえ、そう聞いてしまうと、村上春樹も坐禅を経験したり、仏教的な思想について勉強したりしたのではないだろうか、とか…
村上春樹のあの物腰は、そういう背景もあったりするのかも知れないな、とも思ったりしました。


この本自体の印象としては、個人的な家族史を書いたものだけに、沢山推敲したのだろうその文章は、沢山捨てられ日の目を見なかった沢山の言葉の存在を感じました。


そういえば小説家の橋本治も、自分が大人になってから飼い始めた猫を捨てた話を書いていたことを思い出しました。
村上春樹の猫のように、橋本治の猫は帰っては来なかったようですが…
個人的には、犬猫のような動物を飼ったことがなく、猫を捨てるということ自体に、かなり強い抵抗感を感じつつ…
(というか、ひっどいことをいけしゃあしゃあとお洒落ですとでもいった口調で語りやがってという気持ちもありますが…)
こうした犬猫を捨てるということに関しての小説やエッセイみたいなものってどのくらいあるのか、共通点などあるのかなど気になったりもしました。


なんだかんだと書きましたが、読み終わった後もなんとなくこの本のことがずっと気になるという時点で、成功しているとも言えるのかなあとも思ったりしました。


https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784167919528

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