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テニス上達メモ477.テニスと本質と自己肯定感と


▶フォームがテニス上達の本質ではない証明

 
「非利き手をボールに向けて距離感を測りましょう」と、常識的なテニス指導はいうけれど、では両サイド両手打ちのプレーヤーは、どうやって距離感を測るのでしょうか?
 
モニカ・セレス、平木理化、森田あゆみは、どうやっていたのでしょうか?


「ヒザの曲げ伸ばしを使ってスピンサーブを打ちましょう」とも常識的なテニス指導は言うけれど、車いすテニスプレーヤーは、どうやってスピンサーブを打つのでしょうか?
 
国枝慎吾、上地結衣、小田凱人は、どうやっているのでしょうか?

 
特に打点が低くなる車いすテニスでは、ボールをしっかり持ち上げなければ、サービスボックスに入りません。
 
「そんなの例外もあるよ」というならば、それこそテニスを上手くプレーするにあたって、フォームは「本質」ではない証明になっています。
 

▶タイミングを外してもエースは取れるけれど……

 
本質は、例外を認めません。
 
たとえば「打球タイミング」。
 
これはテニスを上手くプレーするうえでの本質でしょう。
 
打球タイミングを外したら、ショットは乱れます。
 
タイミングが許容される閾値を越えたら、ミスにもなります。
 
※愛好家のゲームでは、フルスイングしたものの打ち損ない、意表外の浅いネット際落下となって、ポテンヒット的にエースになるケースはあれど、それは結果がエースなだけで、ショットのクオリティを左右する本質ではありません。
 
プロがアマチュアに挑戦するエキジビションマッチで、アマチュアによるプロからのエース奪取シーンを、このケースで実際に私は目撃したことがあります。
 
仮に、意図的にフルスイングして対戦相手を見た目で欺き、ネット際落下させ、なおかつ打球の勢いを殺すドロップショットが打てるのであれば、それはそれで武器になるでしょうけれども、ドロップショットの名手である錦織圭にもそんな曲芸技はできません。
  

▶目隠しをして上手くプレーできるか?

 
たとえばボールを「感じる」こと。
 
つまり、視覚を通じてボールを見るのは、テニスを上手くプレーするうえでの本質でしょう。
 
それが証拠に目隠しをして、上手くプレーできる選手はいません。
 
仮にいるとしても、刮目して見る場合に比べて、パフォーマンスは少なからず落ちるはずです。
 
この「感じる」を研ぎ澄ませるのが、取りも直さず「集中」です。
 
ですから集中も本質。
 
なおざりなボールの見方では、やっぱり先の本質であった打球タイミングを外し、打ち損じてしまいます。
 

▶「チン、チチチ……」を聞く

 
ただし冒頭に、あえてボールを「見る」と書かずに、「感じる」と表現したのは、視覚障害者がプレーするブラインドテニスプレーヤーの場合、ボールに内蔵された、バウンドにともない「シャンシャンシャン」と響く音源である鈴の音を「聞く集中」になるから。
 
いえ彼ら彼女たちには、もしかするとバウンド音のみならず、飛球中にボールが回転する際にも「チン、チチチ……」などとかすかに鳴る、ほんのわずかな鈴の音さえ、聞こえているのかもしれません。
 
視力のある晴眼者がアイマスクを着用して参加する試合形式もあるのですが、ボールの飛球中から集中して聞こえていないと、見えていないのに打ち返せる理由が見つかりません。
 
「チン、チチチ……」を聞く。
 
これが『究極のテニス上達法』で説明されている、飛んで来るボール、および飛んで行くボールの「回転」を見る集中に通じます。
 
それとともにもちろん、視覚障害者の持てる空間認知力は、ずば抜けているに違いない。

▶「感じる」を研ぎ澄ませるのが「集中」


見る聞く、総じて「感じる」は、テニスを上手くプレーするうえでの本質。
 
なお、「感じる」を研ぎ澄ませるのが「集中」です。
 
ですから「集中しなきゃ!」と考えたり、「一本集中!」などと意識させたりするのは、集中ではなく、逆に「感じる力」を鈍らせかねません。
 
だったら「回転!」などと呼びかけて、逸れかけた集中を呼び戻す取り組みのほうが実践向きかつ効果的と言えるでしょう。

集中力のトレーニングはコチラで述べているとおり、簡単。
 
腕立て伏せが、「曲げては伸ばす」「曲げては伸ばす」「曲げては伸ばす」「曲げては伸ばす」の繰り返しにより、腕力や胸筋がたくましくなるのと同様に、集中力の場合は「逸れては戻す」「逸れては戻す」「逸れては戻す」「逸れては戻す」の繰り返しにより、心の筋力であるところの集中力が培われます。
 

▶見た目はテニスボールなのに、中身が「鉄の玉」だったら!?

 
たとえばイメージ。
 
私たちは普段、ほとんど意識しませんけれども、目で見なくてもコートにレイアウトされたラインやネットについて認識していて、そのうえでボールを前へ飛ばす空間認知に関するイメージがあるから、相手コートへショットを打ち返せます。
 
まさか、バックフェンスやサイドフェンス、あるいは地面めがけて、叩きつけません(結果的にそうなる場合はあったとしても・笑)。
 
でもテニスのプレーに関するイメージがまだ実装される前の幼い子どもだと、出されたボールに対して、ラケットを前後左右上下にパタパタと羽ばたかせ、とにかくボールに当てようとしたりします。
 

▶あなたのテニスボールに関するイメージは?

 
あるいはテニスボールという球体について、速度や弾道、バウンドしたらどれくらい弾むのかなどのイメージがあるから、打点に入れます。
 
大きさや色、形など、外見はまったくテニスボールと同じ見た目なのに、飛んでくる球体が実は「鉄の玉」だったりしたら、バウンドで「ドスッ」と落ちて止まるから、上手く打点に入れませんよね。
 
それは実装しているテニスボールやバウンドに関するイメージが、現実(鉄の玉)に対して、ズレているからです。
 
ですからイメージも、テニスを上手くプレーするうえでの本質です。
 
つまりテニスを上手くプレーできないのは、イメージが現実に対してズレてしまっているから。
 
だけど先ほど確認したとおり、普段はほとんど意識しないため、それが「ズレている」とは、なかなか気づけないのです。
 

▶練習では打てるのに、試合になると打てなくなるのはなぜ?

 
そこまで極端ではなくても、たとえば使い古したボールを使う練習では上手く打てるのに、試合で使うニューボールになると、途端に打てなくなるギャップはないでしょうか?
 
この現象について、「試合になると緊張するから打てなくなる」などとメンタルに原因を求めると、本質を見誤ります。
 
いつまでも出口の見えない謎の迷路へ迷い込みます。
 
さらに「メンタルが弱いからだ」などと自己否定するとテニスがつらくなって、せっかく「楽しそうだから♪」と胸を踊らせて始めたテニスなのに、むしろプレーするのが嫌になる。
 
自己否定に端を発する自己肯定感を損なう負のスパイラルなのです。
 
もちろん、テニスボールと鉄の玉ほどではないにせよ、練習では打てるのに試合になると打てなくなるこのケースの場合、ボールに関するイメージがズレているのです。
 
むしろ「ほどではないにせよ」だから、そのズレに気づきにくいのです。
  

▶現象は評価せず、本質を見極める

 
いくつか挙げた諸要素は、「非利き手をボールに向けて距離感を測る」「スピンサーブはヒザの曲げ伸ばしを使って打つ」などといった例外を認める例とは、まったく異質と言えます。
 
両サイド両手打ちテニスプレーヤーも、車いすテニスプレーヤーも、ブラインドテニスプレーヤーも、ウィークエンドプレーヤーも、草トーナメントプレーヤーも、みんなが踏まえるテニスを上手くプレーするための要素です。
 
本質は、例外を認めません。
 
どんなプレーヤーであっても、テニスを上手くプレーするうえで共通する必要な要素。
 
そうであるならば、現象は評価せず本質を見極めてその法則に沿うのが、間違いのないテニス上達法ではないでしょうか。
 

▶本質はシンプル。だから難しくない


難しくはありません。
 
左手、ヒザ、腰、肩、手首、コック、横向き、打点の位置、スタンス、グリップ、テイクバック、フォロースルー、プロネーション、体重移動、キネティックチェーンなどなど、常識的なフォーム指導では意識しなければならない注意点を挙げればキリがありませんけれども、本質は、タイミング、集中、感覚、イメージといったところ。
 
たったの、これだけです。
 
しかもこれらは「普段、ほとんど意識しませんけれども」と確認したとおり、プレー中にわざわざ意識しなくても、オートで機能します。
 
合わせようと意識しても、「タイミング」は合いません。
 
集中しようと意識したら、それは「集中」ではなくなるのです。
 
「感じる」と「意識する」は、トレードオフ
 
そして「イメージ」は、テニスボールがまさか鉄の玉だとは意識しないのです。
 

▶自己肯定感を損なう影響力は甚大

もちろん最初は意識しないと(本質となる情報を知らないと)できないから、必要となるテキスト類が用意されています(たとえば練習だと上手く打てるのに試合になると打てなくなるという先ほどのケースの場合、真っ先に試してみて効果を実感できるのがコチラ)。

やがて、意識しなくてもオートで機能する。
 
自己肯定感みたいなものかもしれません。
 
自己肯定感も、自分に関して実装しているイメージだから、普段はほとんど意識しないけど、それを損なうとさまざまな生きづらい問題を抱えるところに、その影響力の甚大さがうかがい知れます。
 
それはテニスと、とても似かよっている。
 
テニスはミスするスポーツだから、自己否定に向かうきらいがあるけど、だからこそ逆手に取れば、自己肯定感を高める(回復する)エッセンスが凝縮されていると言えるのです。
 
意識されない本質だからこそ損なうと、「タイミング」「感じる」「集中」「イメージ」に関する影響力が甚大になる。
 
皆さんの「テニス自己肯定感」は、いかがでしょうか?
 
「たかが」テニスなのに「されど」テニスで、上手くプレーできないだけで、人格的に劣っているような怖れに見舞われがちです。
 
テニスコート上で、それがきっかけで人生に「生きづらさ」を感じて苦しいならば、むしろ素晴らしいパラダイムシフトを経験できます。

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
https://note.com/tenniszero

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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero