ソノダ テンパ (Takeru Sonoda)

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何を見ても何かを思い出す

『何を見ても何かを思い出す』というヘミングウェイの小説がある。彼の生前に発表されなかった小説だと、その本の表紙に大体的に喧伝されていた。10数ページの短い小説。学生の頃、何気なしに読んでみたが、僕の中に特に印象はそれほど残らなかった。けれども、その題名だけは、なぜだか心の中に残り続けた。 思い出していることがある。自分の中の記憶を探るのは妙だ。今の自分という枠組みを抜きにして、かつてあった出来事を捉えることは出来ないからだ。かつての自分の挙動とか、感情とか、そんなものの審議

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何を見ても何かを思い出す

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  • イツカノユウグレ
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  • テンパの小話
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    August / SIGMA dp1Quattro

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    2020/06/18 11:38 風文庫

    ゆっくり時間が過ぎている。こんな時間に芦屋に来ており、またいったん神戸に帰って、今夜の夜勤の為に芦屋に舞い戻る。西と東の平行移動を繰り返す地域。かつてない生活空間の動きを面白がっている自分に気がつく。 限られた土地に密集して人々が住んでおり、街から放たれる情報が濃密にも関わらず、空気は軽やか。山と海と高層建築が目を引く。東西に走る高速道路や鉄道がこの土地のコントラストを強める。南北の動きはかなりスカスカにも関わらず、東西の動きはバラエティ豊富だ。 実家にいた頃は、そういう

    2020/06/18 11:38 風文庫

    2019年中国旅行日記

    2019年6月下旬から7月上旬にわたり台湾と中国を旅行した。今更ながら、けれど一年ほど前なので、時間の経過を振り返るには、ちょうどよい。個人的な生活が随分と変わったし、昨今のはやり病で世界も随分と変わってしまった。ひっそりと不気味な日常が続いているような気がする。また、旅行にも出てみたいけれどそれは、いつになるだろうか。 2019/06/18 20:16 棚棚屋@高雄 とてつもなく暑い。関空を出た飛行機の中で、高雄の温度は33度と聞いていたけれど、着いてみると、やはりという

    2020年5月某日の日記

    5時過ぎに目が覚めた。窓に差し込んだ朝焼けがキッチンの壁に映り込む。ブラッドオレンジの色彩が、ラックに掛かる調理器具の陰影を強調する。どことなくパースが狂った風景。壁の一角だけが彩られたキャンバスのようで、周辺はまだ闇夜のまま。 喉がガラガラなのでシンクで水を汲むと、ほったらかした食器やフライパンが残っている。昨日は早番の日で、夕方からビールを飲みながら晩ご飯を作った。三割引だった三田ポークの骨付き肩ロースの賞味期限が迫っていたのでローストにする。焼き油でいつも通り、ジャガイ

    ポメ公

    ポメ公とは、今この文章を書いている、KING JIM製の小型ワープロであるpomeraのことだ。いつからかこの機械のことをポメ公と愛着を持って呼んで、日々利用している。ワープロなどそんな時代遅れなものを使っている人間がいるのか、と時々人に笑われる。けれども、pomeraは現在でも現行品が出ている、れっきとした現代のワードプロセッサーなのだ。 大きさはタブレットより小さく、500グラム程度と軽量で、小さな鞄にもすっぽり入る。出かけるときはいつでも持ち運び、出先で気ままに開け、日

    偏見が止まらない(自動車篇)

    時々、自分の中に薄暗い感情があることに気づく。それはほとんど生理的な好悪の反応のようなもので、自分でも制御することができない。偏ったものの見方、いわゆる偏見を持つとは、やむにやまれぬ人間のさがであり、ほとんど偶然の産物であり、どうしようもない単なる思いこみなのだ。日常の場面場面で自分の偏りを見つけ、日々そのような負の感情を蓄えていることが分かってくる。 例えば、自動車の運転中だ。 僕は四つ輪のマークやアルファベット三文字のドイツ車に対して偏った想いを持っている。無理な車線変

    偏見が止まらない(自動車篇)

    ポテトチップス

    ポテトチップスの袋を開けるときの感覚は癖になる。何の具合か異常に袋が頑固で、なかなか開かなかったり、じらされたり、あきらめかけたりしながらも、最終的に袋の隅を縦に裂き、プーンと油の香りをかいだときは痛快だ。やってやった!、という気持ちが盛り上がる。 きっとそれは子供の頃、ポテトチップスを食べるのを禁じられていた為なのかもしれない。母親なりに、高カロリーで高塩分、どんな油で揚げられたかも分からないジャンク菓子を子供に食べさせたくないという気持ちは、今は理解できる。けれども、幼い

    BGM

    町中どこに行っても音楽が満ち満ちていて疲れてしまう。喫茶店に座っても、居酒屋に入っても、ショッピングモールを歩いても、スーパーマーケットの店内にいても、どこもかしこもBGMが溢れている。どうして、こんなに聴きたくもない音楽を聴かされることになるのだろうかとイライラしてしまうが、BGMはどこにいてもつきまとう。 場所によっては、音楽のボリュームが活気の現れと勘違いしているのだろうかと疑いたくなることもあるし、あっちもこっちもと音が重なり何の目的で音楽が流れているのかと首を傾げた

    ゲテモノ喰い

    嫌いな食べ物がほとんどない僕でも、世の中本当にこんなものを食べるのか、とちょっと口にするのを躊躇するものがある。 東南アジアの孵化しかけたアヒルの卵や、ゲンゴロウやらタランチュラやらを素揚げにした各種昆虫食。ヨーロッパにおいても子羊や豚の脳味噌が調理されたものなどがあり、世界にはまだまだ見知らぬ食べ物があることを知る。おっかなびっくりしながらも、いつかは食べてみたいという相反した気持ちが芽生え、そのいつかの時間を夢想する。 世界的に有名な旅行ガイドのLonely Planet

    キッチンアレコレ

    いろんな所で料理をしてきた。人の家に上がり込んで料理をして、自分の慣れ親しんだキッチンと違いを感じて、料理をするのはナカナカ乙である。あの調理器具がない、ここにはこんな調味料があると手探りで調理を進め、家主にあれこれと尋ねて、世の中のキッチンのバラエティーを楽しんでいるのに気がつく。 職業的に料理をする人のキッチン、料理が趣味の人のキッチン、家事はおざなりながらも食べることに心血を注いでいる人のキッチンなど、人のあり方がその場所に現れる。どんなものを食べてきたのか、どんな料理

    ニュージーランド

    どこまでも続く平原。ちらほらと点在する白いシルエットの羊を見渡せるが、あまりの空間の広大さに、その膨大な羊の数がかすんで見える。牧場のフェンスと巨大な農業機械と時々羊。町から町へと結ぶハイウェイの周囲では、そんな単調な景色ばかりを見ていた。小さな集落が忘れた頃に現れるが、一瞬にして通り過ぎてしまう。もう何百キロも運転しているのに信号がまったく出てこない。人気のない土地をどこまでも道が延び、時折道がでこぼこしたり、かと思えば山道でぐにゃぐにゃしたりする。それがニュージーランド南

    ダットサンズ

    The Datusunsというバンドは、2002年デビューの南半球はニュージーランド出身の四人組。日本でのデビューアルバムが発売される年の『Rock'in on』だか『Player』だかの雑誌に小さな記事が掲載され、初めて彼らを知ったのだった。何やら2000年代に古典的なハードロックをリバイバルするバンドの雄であるようなことが書かれていたような覚えがある。 今更そんなゴリゴリのロックを炸裂させるバンドが出てくるのかと、些か興奮した。しかも南半球というなじみのない土地の出身だ。