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2020年5月某日の日記

5時過ぎに目が覚めた。窓に差し込んだ朝焼けがキッチンの壁に映り込む。ブラッドオレンジの色彩が、ラックに掛かる調理器具の陰影を強調する。どことなくパースが狂った風景。壁の一角だけが彩られたキャンバスのようで、周辺はまだ闇夜のまま。
喉がガラガラなのでシンクで水を汲むと、ほったらかした食器やフライパンが残っている。昨日は早番の日で、夕方からビールを飲みながら晩ご飯を作った。三割引だった三田ポークの骨付き肩ロースの賞味期限が迫っていたのでローストにする。焼き油でいつも通り、ジャガイモをローズマリーと一緒に揚げ焼きにして、それにケイパーを和えた頃にはコンビニの安ワインを飲み始めていた。
食事が終った時にはボトルが一本空いてしまい、酔いが回りきって、風呂も入らずに眠ってしまった。ちょっとした罪悪感があったものの、概ね良好な眠り。朝日がしっかりと差し込む朝は、やはり気分良く眠りの世界から帰ってくる。
以前は食パンのコマーシャルのような、寝起きとともに両腕を開いて、大きく伸びをし、窓の外には大平原、そんな朝を迎えたいなどと夢想していた。陳腐で、馬鹿馬鹿しく、どうでも良いような話だけれど、以前はそれだけ眠りは浅かった。朝とともに疲れが始まり、思考は濁り続け、そしていつも死について考えていた。
今はほとんどそんなこともなくなった。大草原付きと言う訳にはいかないけど、眠りは深く、寝覚めも悪くない。けど 心のどこかで、黒くくすぶった感情のエネルギーを懐かしく思っている自分に気がつく。あの時の感覚が自分自身を進めさせるモチベーションだったのではないかとさえ思っているところさえある。

時間や肉体を無視した脳内パルスの観察。それは、奥行と濃淡のある流れで、繰り返されるループが重なり合う。決して交わらないが互いに影響する同時進行のラインが脳裏に描かれる。突き進むテーマがあるけれど、その奥ではくぐもった通低音がうごめいており、手前では落ち着きない閃きが散見した。

常に考えは巡っている。それが自分自身に向かったものではなく、外に向かっている割合が最近は増えている。多分それは悪いことではない。自分の関心がある具体的なものを考えようとか、抽象的な気持ちを汲み上げようとするのはもうやめようとかを、毎日のように日記の中で綴っていたこともあった。
思い出す風景、からみつく記憶、感情の切れ端、そんなものばかりが自分を形作るものだと思いこんでいた時期は、とても有意義だったとも思っている節がある。人からも、社会からも距離を置き、出来るだけ関わらず消えていきたいと思っていた時間は、辛くもあったが、ちょっとした美しい日々だったとさえ感じられるときがある。

神戸での生活を考えると、自分が随分と楽になっていることが分かる。
慣れない労働や、知り合う人たちや、見聞きする新鮮な情報や得られる感覚を吸収し、僕の新しい血肉となっているような気がする。その一方で、時間があまりにも淡々と過ぎ去り、同じ日常の繰り返しに窒息しそうになることもある。
コロナウィルスの拡大によって人々の動きが変わってきている。ちょっとずつ社会が変容してきているように感じられる。過ぎ去ってしまった時間はあまりに一瞬で、経済活動は小さくなり、コミュニティーは互いに疑心暗鬼となり、各々は小さくなり接触を限りなく遠ざける。いつの間にやら、そんな事態もどことなく慣れたものになってきている。

僕はこの状況を評価できる立場の人間ではない。緊急事態宣言が出ても、それ以前の生活とほとんど変わっていない。実際に知らされる人々の病の感染や死は痛ましく、休業や廃業を余儀なくされる人々がおり、心苦しくも思う。けれども、僕は一人勝手な安堵感を得始めているような気がする。
我々の生活の隣の死の陰が顕在化していることに、僕はちょっとしたシンパシーを得ている。誰かの死の可能性におののき、自分さえ死ぬのではないかと思っていた、これまでの自分の半生を思い返しているのかもしれないし、それを今の社会を通して見ているのかもしれない。

最初に神戸へ来て感じた気楽さも、それと似たようなものなのかもしれない。新しく知り合った、この土地の人たちと話すと震災の話が必ず現れる。日常の中で起こった、苦しみや死を実際に目の当たりにした人たちの素顔を知る瞬間がある。その様な時、僕は無条件に生きやすくなる。
皆何かしらあるよ、僕だって、あなただって。そう素直に思ってしまうのだ。

さて、そろそろ動き出さなくてはならない。今夜は夜勤だ。海の近くの老人達の見守りの為に、昼頃には眠るようにしなくては。
まずはベランダの植物たちに水をやり、そしてシャワーを浴びよう。日々の変化を楽しみ、禊ぎのように垢を洗い流すのだ。