見出し画像

ニュージーランド

どこまでも続く平原。ちらほらと点在する白いシルエットの羊を見渡せるが、あまりの空間の広大さに、その膨大な羊の数がかすんで見える。牧場のフェンスと巨大な農業機械と時々羊。町から町へと結ぶハイウェイの周囲では、そんな単調な景色ばかりを見ていた。小さな集落が忘れた頃に現れるが、一瞬にして通り過ぎてしまう。もう何百キロも運転しているのに信号がまったく出てこない。人気のない土地をどこまでも道が延び、時折道がでこぼこしたり、かと思えば山道でぐにゃぐにゃしたりする。それがニュージーランド南島の典型的な風景だ。
人頼りに南島のクライストチャーチに居を得た。その当時クライストチャーチでは地震があって、町は機能不全状態だった。シティーと呼ばれる町中心部はほとんどが閉じられていて、町の周辺部を人々が生活しているような時期だった。東日本大震災があった以降でもあったので、どことなくその地震が残した爪痕を見てしまうのだった。
町の西はずれのホーンビーという地域に、知り合ったキゥイ(NZ人)の住まいの一室を借りて生活をしていた。語学学校に通ったり、アルバイトをしたり、町の散策をしたり、気ままな時間を過ごしていた。
外国人の家に居候するのは初めての経験だった。彼らの生活は豪快にしてシンプルで、遊び心が溢れていた。飼い犬に向ける愛情はハンパじゃないが、小さなことにはこだわることもなく、ただただ爽快だ。どことなくあか抜けなくて一緒に過ごすのはラクチンだった。そして、彼らの食生活もやはりそのようなものだった。
今日はシンプルに、と言うとひたすらシンプルだった。買ってきたパスタソースに茹ですぎたパスタを混ぜるだけ。週末のBBQはひたすら肉を焼くだけ。今日は忙しかったからとマクドナルドのセット(バーガーは2個食べる)とか、今日はヘルシーにサブウェイねとか、屈託ない笑顔でそういったものが食卓にあがる。
そして、愛犬のラブラドール2匹を従えて、テレビの前を陣取り、ラグビーだとかクリケットだかを見ながら頬張りつく。時々エスニック料理も買いに出た。びっくりするくらい甘口のタイ料理や、インド料理をテイクアウトし、家で彼らがOh, yummy!とか言って食べているのを横目にするのは、得も言えぬ面白さがあった。
居候の身なので、僕もよく料理を作った。米を炊いたり、カレーを作ったり、餃子を作ったりした。時には鶏ガラからスープを作ってらーめんを作ったりもした。別に日本的な食事にこだわった訳ではない。パスタも作ったし、ステーキも焼いた。ソースは一から手作りし、パスタはアルデンテで仕上げた。そして、ステーキには添え付けも用意した。
Taki(ワタシ)が料理すると時間がかかる、一体何時間キッチンにいるんだい?、と家主がまたもや悪びれず言う。非難ではないが賞賛でもない。食事には精神性が宿る。なるほど、その通りなのだと思う経験であった。