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キッチンアレコレ

いろんな所で料理をしてきた。人の家に上がり込んで料理をして、自分の慣れ親しんだキッチンと違いを感じて、料理をするのはナカナカ乙である。あの調理器具がない、ここにはこんな調味料があると手探りで調理を進め、家主にあれこれと尋ねて、世の中のキッチンのバラエティーを楽しんでいるのに気がつく。
職業的に料理をする人のキッチン、料理が趣味の人のキッチン、家事はおざなりながらも食べることに心血を注いでいる人のキッチンなど、人のあり方がその場所に現れる。どんなものを食べてきたのか、どんな料理を親から受け継いだのか、どんな風にキッチンを扱うのかが感じられて、興味深い。
外国に出ると、そのキッチンの見え方がちょっと違う。かなり大ざっぱなものの捉え方だけど、キッチンのあり方は国によって二分されるように感じられる。簡単に言うと、きれいなキッチンの国か、きたないキッチンの国かに分かれる。いや、もう少し正確に言うと、シミひとつなく輝く家庭キッチンを持っている国か、使い込まれてややすす汚れた雰囲気を持った家庭キッチンを持っている国かに分かれるような気がするのだ。
今までの僕の経験では、アメリカやヨーロッパ、あと旧イギリス植民地の国々が、先ほどの前者となる。ピカピカのステンレスの調理台やシンクが置かれ、フロアは曇り一つなく、オーブンや見慣れぬ調理器具が光を放ち、スタイリッシュな冷蔵庫がある。それはまるでシステムキッチンのCMのごとくの見栄えでホレボレとしてしまう。
けれども、もう一歩踏み込んでものを言うと、それらの国ではあまり家庭料理が美味しくない。キッチンがフル稼働するのは、感謝祭や復活祭やクリスマスなどのお祝いやホームパーティーのときだけで、それ以外では簡単な調理をするか、買ってきたものを温める程度だ。
後者はアジアの国々となる。使い古された調理器具がいつでもスタンバイされ、百戦錬磨のコンロはいつでも火がつく。火床の壁には落としきれないすすやら油染みがつき、清潔感の中にもうっすらとした食べ物の香りが漂う。そのような場所は、なじみ深いような、少し安心した気持ちを覚える。そして、どうせ呼ぶならキッチンというより台所と呼びたくなる。
どうして、こんなにもキッチン(台所)が違ってしまうのだろうかと、不思議になる。食文化の違いなだけなのだろうか。それとも調理に関わる器具に対するものの考え方の違いなのだろうか。色々なキッチンは色々な問いかけを僕にしてくる。