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2019年中国旅行日記

2019年6月下旬から7月上旬にわたり台湾と中国を旅行した。今更ながら、けれど一年ほど前なので、時間の経過を振り返るには、ちょうどよい。個人的な生活が随分と変わったし、昨今のはやり病で世界も随分と変わってしまった。ひっそりと不気味な日常が続いているような気がする。また、旅行にも出てみたいけれどそれは、いつになるだろうか。

2019/06/18 20:16 棚棚屋@高雄
とてつもなく暑い。関空を出た飛行機の中で、高雄の温度は33度と聞いていたけれど、着いてみると、やはりというか予想以上の暑さだった。着ていた長袖の上着などとても着ていられなかったし、七分丈のズボンですら自らの体温をこもらせてしまい、先取りする夏の恐ろしさを知った。
当たり前のことだけれど、まだ体が夏仕様にできあがっていないのだ。ここにくる前は、関西地方など未だ梅雨入りさえしておらず、夏半歩前どころか、一歩前の状態だったのだ。いきなり夏の盛りに飛び込むとやはり体はびっくりするのだ。
今日はそのような、イキナリ真夏日に突入したにも関わらず、高雄の町をウロウロとした。知らない町を歩き回るのは、なんだかんだ言って面白い。どんな大通りであっても、そんなマイナーな場所でなくても、知らない風景にふれるのは、ちょっとした喜びがある。
心のどこかに、特別な何かを見てみたい、というスケベ心があることは分かる。それは、インスタ映えとか、ユーチューバーがばかばかしさを露呈することと、同じ根元の欲求なのではないかと想像する。それは、本当にどうでも良いような、人の目を気にする愚かしい感情だと思っているのだけれど、何らかのスケベ心は、やはりついて回っていることは知っている。
己の満足とは違ったところで、人に自分の行動がどう映るかを気にしてしまうことは、とても原始的で、愚かしくも、憎みきれない、けれども時には邪悪で醜い欲求であり感情なのだと思う。旅先でそんな青臭いことを考える必用などないのだけれど、町を歩いているとき、写真を撮るとき、何かを食べるとき、自分にとっての満足感で物事を選択しているのかを常々考えてしまう。

何にせよ台湾での一日はのどかで軽やかだった。暑いことをのぞいて、みょうちくりんな宿に泊まり、リーズナブルでうまい食べ物を食べ、気持ちと心が通じる人と一緒に行動をする。どうも、ピグンタコスといると僕は妙な童心を得ているのか、やけにふざけたり、はたまた不機嫌に陥ったりしてしまう。一応大人の視点も、持ち合わせている僕はそんな姿を見て、苦笑しながらも内心焦ってしまう。こんなことで良いのかと。
考えすぎても仕方がない。明日も高雄の散策が続くので、そろそろ床につこうと思う。新潟と山形の付近で大きな地震があったみたいだ。海外にいても日本でいるときと同じように情報が入ってくる。ついつい、普段と同じような時間の送り方をしてしまい、旅情を失うこともあるけれど、それに関してもあまり考えない。ただただ、新潟、山形での被害が少しでも少ないことを祈る程度しかできない。

2019/06/22 9:44 ヤンベさん宅@廈門
一昨日、廈門に着いて、中国大陸側の旅行の始まりとなった。高雄から始まった猛暑はあいかわらず続いているが、廈門の方が心なしか暑さはましのような気がする。海峡を飛行機で一時間半くらいで越えただけなので、それほど気候の変化などあるわけがない。国を越えるという感覚にどこか縛られているところがあって、飛行機を降りれば違った環境、違った文化がある気がしているけど、それは勝手なものの考え方でしかない。
何にせよ大陸に到着したのだという感慨はあまりなかった。中国語文化圏をワンクッション入れて入ってきたので、台湾であろうが大陸であろうが、浅い中華文化圏の理解しかない僕には、同じ地域を陸続きに旅行をしているようにしか感じられない。
空港にてヤンベさんと4ヶ月振りくらいの感動の再会を果たすかと思いきや、こともなげに簡単な挨拶で再会を済ます。飛行機が早くに着いたこともあって、のんびりヤンベさんを待つつもりが、早めの迎えに出てくれたので、互いに思いもよらぬ出会い頭に顔を合わせた感じだった。ピグンタコスがトイレに入っている内の出来事だったので、ピグンタコスはトイレから出てすぐの挨拶を交わしているのが、ちょっと間が抜けた感じで面白かった。
とは言っても、出会う直前までネットを通してメッセージを交わしており、ほとんどいつでもコンタクトをとれるような状態にいたので、再会の感動などというものは些か時代がかったものの考え方でしかないのだと気がつく。多分僕の頭が些か古めかしい、異国旅行の時代のようなものに占められていることに気がつかされるところでもある。

さて、これから廈門市内に出かける。ここでいったん筆を置くこととする。

2019/06/23 9:36 ヤンベさん宅@廈門
本日は朝から雨が降っている。今回の旅行始まって初めての雨だ。当たり前だけど、廈門の雨も、日本のそれと同じだ。けど、明け方に雷が鳴っていたような気がした。遠くで何度か光が瞬いているような気もした。どことなくダイナミックな光の明滅と音の響きだったような気がするけれど、薄い眠りの中、閉じた瞼を通して感じる光であり、遠くで轟く音だったので、本当に雷だったかどうかも今はよく分からない。
どちらにせよ、今朝は天候不順だ。雨が降ったからか、気温も控えめだ。日曜日だから外は静かだし、鳥の鳴き声が良く聞こえる。先ほど洗濯を終えて、明日廈門を後にする準備を始める。しかし、足が痒い。
昨日、サンダル履きで植物園に出かけたら、何らかの虫に足を噛まれまくった。多分、20以上の噛み痕がある。ヤンベさんに言わせると、山ノミらしい。確かにこれまでに感じたことのない痒さを覚える。痛痒いの、痛い6割、痒い4割くらいなものだ。しかもかなりしぶとく痒みが残っている。昨日の昼時くらいから痒かったので、かれこれ24時間くらいは痒みが残っている訳だ。
昨夜の眠りが薄かったのも、その痛痒さとの戦いの結果とも言える。久しぶりに感じた薄い眠りの中、何か妙な夢を見たような気がする。何らかの憤り、誰だかの孤独感、よく分からない不安感、そんなかつて感じていたような、何らかのおどろおどろしい感覚を久々に覚えた。当たり前だけど、今も残っているのだと思い返す。

本日は、明日朝に出発する廈門北駅に高鐵のチケットを取りに行く。明日でも良いのだけれど、明日は朝も早いし、言葉が不自由な環境なので、余裕を持って動く算段をしたのだ。
観光地巡りはそんなに興味はない。面白い風景はどこにでもあるし、人々の動きを見ているのは面白い。それはたとえ、スマートフォンが普及しきった管理社会のような、ある種の最先端社会を横目にして、妙な旅の懐古趣味が自分の中にわき上がってもだ。
昨日のような、ちょっとした定食屋で家庭料理を食べて、ご飯をたくさん食べる。市場をのぞいて、現地の生活を垣間見る。そんな日常の延長のようで、旅先の非日常感を得るそんな時間が好きだ。どんな場面にも決済アプリ、wechatなるもが出てくるが、それがこの廈門の日々の生活なのだ。

2019/06/24 22:51 Ease Hostel@桂林
桂林までやってきた。朝一番に新幹線で廈門北駅を出て深センで乗り換え。そこから柳州行きに乗り込み、終点一つ前の桂林で下車。乗車時間約7時間。移動距離にしておそらく、1000キロくらいはあったのではないかと思う。
突然訪れる均一なマンションの高層群。いつまでも続く、広大な田畑が広がる農村地帯。時々現れる、ため池なのか淡水魚の養殖池なのかも分からない、水郷地帯。それらの間の郊外都市に住宅地。全く人がいる痕跡が見られない丘陵地帯。そして、山また山。
見える風景は日本の新幹線からのものとは全く違うけれど、何か似通ったものがある。人々の生活圏を垣間見て、生活文化圏を横断し、何らかの情報が頭の中にインプットされていくあの感じは、多分新幹線という文明の利器が僕に与える、何らかの刺激なのだ。似ている感覚だけれど、違っている。それはとても面白い感覚だった。

昨日、ピグンタコスとともに廈門の町で一通り買い物をして、ヤンベさんと慎ましくも、楽しく美味しい晩餐会をひらいた。色々と話をしたけれど、最近の神戸の生活の話をし、それに対する彼の反応に、心が休まる感があった。それほど湿っぽくもならずに済んだし、良い一端の別れの時間を過ごせた。
今朝は雨が降る中、ヤンベさんが住まう宿舎を後にして、ピグンタコスと相合い傘(僕は傘を持ってない)でBRT(高速路面バス)の停留所まで歩き、廈門北駅に。城塞のように立ちはだかる新幹線駅。異常なくらい広い待合い空間。プラットフォームでバカスカ煙草を吸う中国人。どれもが初めて感じるもの、見るものだった。そして初めての中国新幹線のシステムに戸惑うピグンタコスの緊張した顔が印象的だった。口が真一文字になっていた。
車内においても、色々と勝手が違う。爆音で動画を見たり音楽を聴く乗客。そこら中で広がる食べ物の匂い。スマートフォン片手にキュウリをむさぼる人。なかなかワイルドだ。絶対日本では、自主規制が先に働いて行われないようなことが、同じ新幹線という名の列車の中で行われるのだ。そう、似ているけれども絶対に違う、その何とも言えない絶妙な感覚が面白さを誘うのだ。

とりあえず、桂林まではやってきた。ここからがある意味、本当の中国旅行である。

2019/06/25 15:35 近代的豆乳屋@陽朔
漓江下りに行ってきた。とは言っても、まだ宿にも帰っていないし、帰途にさえついている訳でもない。クルーズ下船の町、陽朔で帰りのバスが出るまでの待機時間なのだ。この広西チワン族自治区の田舎町。川と山に挟まれたこの空間は何とも妙だ。静かで雄大な自然環境が町の周囲に広がり、静けささえ感じる。けれども、毎日押し寄せる観光客の大群がやって来るようになるにしたがって、・・・眠くなったので中断。
22:50 宿@桂林
7時くらいに川下りから帰ってきて、夕飯を食べ、シャワーを浴び、今に至る。陽朔での待合い時間は、なんだかよく分からないまま、難しいことを考えていて文章が破綻していた。川下りの印象も書かずにいて、その田舎町で感じた、悪印象を引っ張り出そうとしていたのかもしれない。
それは、きっと観光地における苛烈な商売根性を丸出しにしている人たちの姿であったり、その土地に金さえもってこればと、こともなげに訪ねてくる観光客のあり方に(自分を含め)、何とも言えない妙な嫌悪感を感じていたのかもしれない。その土地の人にとって現金収入が増えて、観光客がその土地を楽しんだのであれば、それで良いではないか、と単純に思うのだけれど、何とも言えない、違和感が残った。

今朝、早朝の桂林を歩いてみた。まだ自動車もバイクもまばらな時間帯、町がどんな静けさを持っているのかが気になって出かけてみた。昨晩のバブルに浮かれた夜の桂林の顔とは違う顔を見てみたかったのかもしれない。以外とこの地方都市の雰囲気を気に入っているところがあるのかもしれない。
朝の桂林は池に山の風景や建物が映え、静けさをたたえた街だった。まばらに朝の通勤者に朝食を振る舞う店が開いている以外は、ほとんど人を見かけない。曇りの日であったことも相まってか、街全体の動きが緩慢な感じがした。
まだ歩いたことのない道をちょっとだけ歩いて、昨晩失敗した、ビーフンを朝食にとった。汁ビーフンと混ぜビーフン。どちらも少し油っぽさもありながら、あっさりした味わい。けれども思った以上にボリュームがあった。
朝からしっかりと朝食を食べて、漓江の川下りへ。桂林市内のホステルやホテルの複数の宿泊客をバスが拾い集め、川下りの船着き場に向かう。川下りが始まる前からすでに周りの風景にはポコポコとした山が現れ始める。
船着き場には、想像以上に多いバスが集結していた。桂林周辺から一同に会したかのようなバスが、船着き場に代わる代わるやってくる。そこの駐車場からは、客を降ろしたバスの群が、我先に出て行こうとしており、大渋滞となっていた。
ツアーガイドから船のチケットを受け取って、中国の公共交通機関に乗るときお馴染みの、荷物検査を受け、8番ドッグの18番船に乗り込み、10時前には出航。僕が乗る船の前に、すでに何隻もの船が先行している。
船内で様々なアナウンスを受け、しばらくした後に船の屋上甲板に出て風景に目を向ける。同じ船に乗っているのは、中国人をはじめ、各種西洋人、そして我々日本人二人。世界遺産であっても訪ねてくる人種は限られている。
ダイナミックな川沿いの山並みが次々に過ぎていく。こういう時、いつも考え始めるのは、この土地はどんな地質なのだろうかということだ。地質学なんて勉強もしたこともないし、日常的にもあまり調べたりすることもないのだけれど、こういう所に来ると、自分の無知さに気がついてしまう。
いくら考えても、分からないその土地の成り立ちで頭がいっぱいになってくると、想像の世界に入る。あの山のテッペンにもし自分がいたならばどんな風景を見ているか。そして、自分をどのように見るのであろうかと。

2019/06/26 22:43 宿@桂林
昨晩はあまりの眠さのために、日記を中断して寝てしまった。日記というのは妙なもので、その続きを違うタイミングで書くのは難しい。昨日は昨日のテンションがあり、気分があり、その時の勢いで書いているので、それに無理矢理あわせて、今日その続きを書くのは、足にあわない靴を履くような、気持ちの悪さや不便さがある。まあ、結局は昨日の続きでは書かないということを、長々と言い訳をしているだけなのだけど。
漓江下りの疲れからか、早々に寝てしまったが、どれだけ疲れていても蚊の襲撃を無視することも、自らの安眠を死守することはかなわなかった。必要以上に体が痒い感じがして、夜中なのか明け方なのか、もぞもぞしながら腕やら足やらにタイガーバームを塗りたくった。
中国に来てからの蚊から受けた損害は計り知れないものがある。日にして1時間半から2時間は眠りを削られたと推測する。その被害は甚大であり、精神的苦痛を加味すると、10000元ほどになると思われる。中国共産党に被害申請をしたいと思うほどだが、気楽な旅行者の戯言でしかない。けれど、確かに毎晩ヤラれているのは事実だ。

外が白むのを窓の脇のベンチで感じながら、一日のことを考えていた。けれど、ここの所、僕は胃袋でものを考えている。腹が鳴るのだ。空腹感が拭えないのだ。どうしてだか、朝飯さえしっかり食べたくなってしまうのだ。その時も朝飯のことを考えていた。一日の計画などではない。何を食べようかと。
ここのところ毎日毎日、炒め物であったり、汁麺であったり、和え麺であったり、そんなものばかり食べている。やけに食事が進む。炒め物をおかずに二、三杯ご飯を食べてしまう。消化器官はびっくりしているはずだ。何でこんなに体内に食べ物が入ってくるのかと。
程良い時間にピグンタコスと朝食に出る。ピグンタコスはあまり食が進まないので、進む人間が牽引役となる。近所にあるビーフン屋を攻める。昨日食べた丸形ビーフンが出てくる。少しだけ出汁が加えられて、カリカリに焼かれた豚の皮と、チャーシュー片数枚とおそらく豚肺が入った至ってシンプルなもの。それに、それぞれが好みの薬味をかけて食べる。葱、唐辛子、ラー油、タケノコの漬け物のようなもの、色々なものがある。
昨日の朝食の店のものよりあっさり目で簡素なものだったので、するりと食事を終える。満たした腹とともに銀行に行き、日本円を中国元に替えて、支払えていなかった昨日のクルーズの費用を支払う。それで午前中の業務は程々終わりだ。今日は特別な予定はない。そんなわけで、蚊に侵略された睡眠時間を取り戻す為か、二時間ほど二度寝。ピグンタコスもつられてか眠りにつく。
起きたらもうすでに昼である。次は昼飯を考える。昨晩も行った、菜食レストランを訪ねることにする。食事量が違いすぎる、僕とピグンタコスではバイキングはもってこいだが、バイキングになることにより、僕の食べる量に拍車がかかる。ベジタリアン食だからいくらでもイケる!、などという言い訳も募り、昨日同様(いや少し少な目に)、大いに食べた。
本日のハイライトは廬笛岩という鍾乳洞。どう言うわけか、昔から鍾乳洞が好きだ。
行って驚き、自然美も自然科学的な関心も覚えない、完全なエンタメ洞窟。青、赤、黄、緑に染められた謎の洞窟がお出迎え。ゲンナリしながらも、どう言うわけか元気になる。あまりの馬鹿馬鹿しさと、経済成長著しい中国で人々は、洞窟でさえ話題性を求めてしまうのかという、謎の仮説に行き着き、妙に嬉しくなる。
されど、そんな空元気は続かない。往路ではタクシーを使ったが、帰路はバスに乗り込む。バスの車中の人になった頃には、すでにエネルギーは下火に。維持できないテンションのまま街を黙って歩く。広西師範大学の敷地などを歩くが、あまり元気は出ない。
本屋に行き、中国の中学生の地理の教科書、地図、漢字の本を買い帰途につく。宿の近くの餃子屋で大人しく食事を終えた。明日はついに成都入りの日だ。中国の地理を考え四川盆地の不思議さを思い描き、明日は大移動をするのだ。

2019/06/27 11:23 桂林発新幹線
桂林から新幹線での出発。成都行きの新幹線と思いきや、西安北行きとの表示されていた。今後どのような経路でこの列車が進むかが楽しみだ。地図をみながら、勝手に思い描いていたのは桂林から長沙を通り武漢に出てそこから西に進み、四川盆地に入り重慶を通り成都に出るコースだった。さてどうなるか。

桂林→桂林北→榕江→都均(土偏抜き)東→貴陽東→重慶西→永川東→資中北→資陽北→成都東

22:47 Lazybones@成都
一日の終わりの時間。日はとうに沈み、夜風が気持ちの良い時間だ。成都は思った以上に湿度が低い。夕方6時前に成都に到着したときは、気温こそはそんなに桂林と変わらなかったけれど、湿度が全然違っていた。廈門からすると桂林は随分と乾いた気候だったけれど、それでも成都からすると蒸していた。
とは言っても、単なる旅行者にはそれらの町々を評するほどの経験はない。ただ訪ねた時期がたまたまそうであっただけかもしれないし、今日の成都がたまたま乾いているだけなのかもしれない。そう、前情報や一般論から物事を捉えて、それ以上であれば良いように言い、それ以下であれば悪く言うだけの、無責任な物言いでしかないのだ。
そんな前置きは別として、実際的な事実として、成都は今回の旅行で訪ねた街の中ではもっとも大都会となると思う。公共交通機関が広がり、街の規模も大きい。ちょっと移動した範囲で見ただけでも、人口はかなりのものだと思う。まあ、今回は北京も上海も行っていないのだから、適当なことは言えないのだけれど、ただ一つ、今回の旅行の範囲内であれば、と区切れば、この町は大都会だ。
この町は海からどれくらい離れているのだろうか。現代の交通網を使えば、広州からだって、香港からだって一日で来れるだろうけれど、それでも相当な距離だ。海から離れた環境で何千年と蓄積した文化がこの街にはあるのだと思うと、ちょっと不思議に思う。日本のどこかの街とは比較にできないほどの内陸の街なのだ。
そんなことを話しながら成都の街を歩いた。そして、この土地で醸成された四川料理を腹一杯食べた。麻婆豆腐。回鍋肉。茹で鳥の藤椒和え。どれもステキに辛くて、痺れた。明日からも成都の雰囲気を楽しむつもりだ。日本に帰る日が近づいてきていて、いささかゲンナリする。

2019/06/28 11:16 宿@成都
少しずつ、成都に馴染み始めている。それと同時に、自分がこの町のどこにもいないことも感じる。それは、何らかの不満があるわけでもない。けれども、単なる旅行者であるという、昔から旅行中にいつも思い出す、ちょっとしたアレルギーをなぞっているだけなのかもしれない。
どれだけ抵抗なく外国にいようと、どれだけテクノロジーを利用して旅をしていても、どれだけ英語を喋ったとしても、最終的にはちょっとした難しさを覚えてしまう。自分以外の世界に対してであったり、人であったり。共感などという感覚は足りないし、自分勝手な理解を作り上げるしかない。
そういった虚しさが、多分僕の中ではあるのかもしれない。どれだけ外に出ていても、どれだけ人と話していても、どれだけ自分の中の興味が拡大しようとも、何らかの虚しさを抱えている。あとは野となれ山となれと、その場限りの思いつきで物事を行動しているだけで、何らかの持続性に対する関心が自分の中には限りなく低い。
今日は四川料理を楽しもうと言いながら、別の所では冷めた自分もいつも感じる。何かにのめり込むことはできない。それは随分と昔から気がついていたことだけれど、それに頭が占められると、自己嫌悪と世の中に対する悪態で心身が占められてしまう。
遠ざかっていた感覚がこんな旅行の途中でわき上がってくる。考えなくても良いことが。それは、自分のことだ。自分に対して意識が集中するというのは、何も生産的でないし、だれも喜ばすことはできない。
けれども、自分の中の何らかの自信がそぎ落とされ続けると、もしくは自分の決断を誰かにゆだねさせ続けると、自分がどんどん磨耗していることを感じている。きっと、自分で決めないという癖が駄目なのだ。自分でこれをするという選択をしないから、結局自分の感覚が窮屈になってくるのだ。

四川料理を色々と食べ歩いている。朝はわざわざバスに乗って蕎麦を食べにいった。評判の高い四川家庭料理も食べに行ったが、旨くなかったので不機嫌になった。文殊院の近くのお茶の時間は気楽な時間だった。明亭飯店を探しに行ったら込み合ってて腰を抜かした。四川の魚料理の油の使いように面白い疑問を持った。

日々時間は過ぎるし、外にも自分にも感心が交互に行き来する。

2019/06/29 12:55 CHATEA@高升橋
朝起きてもぼんやりしながら一日が始まった。どうやら腹が疲れているのかもしれない。気分が不安定だ。何を選択するにも、自信がないし、色々なことの前言撤回が激しく、自己嫌悪が募り始める。さっきまで元祖担々麺を食べて、三国志の劉備が祭られている場所へと足を運んだが、意識が濁っている感じがする。自分へと意識が向かっている。嫌だけど、それでも良いような気がする。
何でまた、旅先で鬱屈とした気持ち出さないといけないのだろうかとも思うが、よくよく考えればいつの旅においてもそんな感じだったような気もする。いつでもはつらつなんてことはなかったし、いつでも目的意識満々なんてこともなかった。別にどこに行くにしたってよい。どこかに行くのに理由も目的もないのだ。行くことを決めてから何となしに、退屈しない程度にやることを決めるだけなのだ。

21:42 宿@成都
どう言うわけだか、気分が少し盛り返した。昼過ぎに日記を書いた後にはただ、チベット人コミュニティー地域を歩き、四川大学の敷地を歩き、バスに乗り、観光地を通り過ぎて、早い夕飯を食べて、それから宿に帰って洗濯をしただけだ。いや、その後、散歩もしたしアイスクリームも食べた。特に変わったことをしていない。何らかの新しい兆しが自分の中にできたわけでもない。けれども、今はそれほど気分は悪くない。たとえやかましい音楽がこのロビーに流れていたとしてもだ。
さっき喫煙スペースでイタリア人とちょっと話をした。どうでも良い会話だ。どこ出身で、どんな食べ物が好きかという程度の馬鹿馬鹿しい話だ。彼がイタリアにいるガールフレンドと頻繁に電話をしているとか、マンマのパスタが恋しいとか、そんなどこにでもある、差し障りのない話で、誰もが幸せになるような話なのだ。
そんな、ちょっとした日常の会話で気分はちょっと変わる。けれども、この旅行の間、それほど人と話す機会はなかった。ヤンベさんと会っているとき以外は、言葉の問題もあるけれど、ピグンタコス以外に第三者とゆっくりと話をする機会がほとんどなかったような気がする。
それは桂林でも感じていたことだし、それは成都においても感じている。言葉が通じないという経験を、今更ながら猛烈に感じている。第三者と話したい時に英語が通じなければ、当たり前だけど、上手くいかないのだ。かつての経験のインドではなかったことだし、台湾に行けば朝倉がいてくれて言葉の問題をカバーしてくれていた。
ネットの上で会話をすることもできる。その為のツールは持ってきているが、それはっどうしても不満だ。僕はやはりどこかマルコ・ポーロの時代のように旅がしたい所があるのかもしれない。実際のところそんなことは出来もしないのだけれど。実際、言葉が不自由な環境の孤独に陥ると大変なことも知っているはずなのに。

日記の質がちょっと変わってきている。ちょっとずつ抽象的なトピックで、内省的になってきている。今の心理では具体的なことを書くつもりで書かないと、どうしても言葉遊びのような日記になってしまう。
けど、ピグンタコスといつもながらの会話をしているときは、容易にコミュニケーションが通じる分だけ、二人の世界という閉じた会話となりがちだ。そこには第三者の介在があって、新しい展開があるのだけれど、今の状況ではなかなかそうはいかない。
これはグチなのではない。これからの関係性、人といることで上の必要な一つの考えを自分なりに記しているのだ。それが、説得性を持たせるとか、そんなことを考えている訳ではない。ただ、僕は言葉にして理解しないと次に進めないのだ。

2019/06/30 23:02 宿@成都
いよいよ、成都で過ごす夜が今晩と明日晩と残すのみとなった。時間が経つのが惜しいと思うのは、なかなか懐かしい気分だ。時間はただただ流れるだけで、そこに何らかの感情を挟むようなことが僕にはほとんどない中で、もっとこの時間が続けば良いのになどと思うのは、不思議な気持ちだ。
けれども、少し思うのは、多分何らかの感情の動きを感じることを、僕は少なからず、諦めているのかもしれない。仕方がないと思って割り切るのではなく、感じること事態を諦める。もっと続けば良いのに、などという感情を思わないようにする。そんな、自分の中の癖があるのかもしれない。そんなことを思うことは、幼く青臭い感情でしかないと切り捨てる。そしてなにも感じなかったように思うのだ。

あらゆる感情を味わい、人生を全うしたい、なんて以前話したことがあった。きっと、頭だけで理解していた、言葉の上だけの言葉だったのだろう。内省的な感情など何一つ良いものなどない。それは、ただ単なる稚拙なものだと思っている所がある。思考をただただなぞる。それが大事なことであって、感情など自分の中に介在させるなどとは許されない。
こんなことは、頭の中では何百回、何千回と思い浮かべて消し去った言葉だ。今は少し感情と言葉が結びついてきている。語彙力が変わったのではない。言葉の出力の仕方が変わったのだ。用意されていた文字の並びを追いかけているのではなく、文字が浮き上がってくるのだ。それはとても似通った作業のようにも思えるけれど、全く違う。それは流れるプールだったものが、湧き出る水を持った川となったのだ。循環していた水は、新たなわき水を得た流水となる。
これはただの、心理のスケッチであり、単なる概念図だ。対極図の話をするときと似ている。PARAの音楽を言葉に置き換える時と似ている。味覚を言葉に置き換えることに似ている。感覚を言葉に置き換える、その作業の中には言葉の羅列とともに、感情が絶対的なキーとして求められる。なぜなら、そこにリアリティーがつながらないからだ。それはつまり、感情が言葉を、僕の中では、完全な形として作り上げる最後の一押しとなるだ。

思いつくままに、キーボードを叩いている。ビールももう何杯かは飲んでいる。酔いに任せて書いている部分もあるけれど、思考をそのままタイピングしている、この感覚が好きだ。
正しいことを言っているか、言っていないかは分からない。難しいことを言っているのかもしれないし、ほとんど支離滅裂なことを書いているのかもしれない。ケルアックは読んだことはないけれど、自動筆記のようなことを試みているらしい。
気になる作家だけれど、僕なりに実践してから知りたい。考えながら書いた文章も良い。けれど、このまま書き流すような文章が書けるときは最高だ。最高ということからはほど遠いけれど、以前書いた『何を見ても何かを思い出す』の母親の章はかなり、その手法で書いてみた。
正しいことか、正しくないことかは分からないけれど、ただただ記憶をたどりながら、文章を書いたのだ。自分の記憶と思考が融合し、それが絡まり合いながら、思考の図像のようなものを、内に秘めながら、書き下す。
そのようなとき僕は何にも集中していない。完全に。周りの音がすべて聞こえている。匂いに関してもいつもにもまして敏感になっている。感覚はかなりむき出しになっている。僕自身のどこかの核と肉薄した、何らかのものが出てきている。
音楽が聞こえてくる。歌詞の内容はぜんぜん分からないけれどJust calll meと言っている。その後中国語のつぶやきが続くダンサンブルなナンバーだ。カウンターからも客とスタッフの会話が聞こえる。目の前にいるピグンタコスも何かを書き記している。あまり分からないけれど結構真剣な表情だ。
そう、僕の集中度合いが最大限に高まっているときは、その知覚は完全に分裂している。かつての記憶にも結びついているし、現在の指の動きがある。そして、正体不明な未来の、この文章の終着点、そうつまり自分の中の分裂したものの中心を、ある種の宣言として取り上げる準備を、その未来を感じるのだ。
僕は書かなくてはならない。そう僕は書くのだ。青臭い宣言ではなく、それを実際的に、実務的に書くためのことを自分の人生の仕組みの中に造り上げるのだ。疲れていようが、疲れていなかろうが、酔っぱらっていようが、酔っぱらっていなかろうが、つらかろうがつらくなかろうが。

OK。今日の日記は全くもって、具体的なことは何も書いていない。
この成都滞在の中で、感じたチベットへの、場合によってはヒマラヤへのあこがれを、僕は心に残している。成都に来たのは中国をどんどん西に西に進んでみたかったのだ。冒険家ではない。著述家でもない。けれども今回の旅は最高だ。僕自身の内側が最大限に発揮された。そうそれは、僕自身も気がついていたけれど、脇に置ていたことなのだ。
(50分2000字)

2019/07/01 08:11 宿@成都
宿で迎える朝は今日で4日目。初めて朝のコーヒーを一階ロビーで飲んでいる。これまでは、朝のお茶の時間も持たずに、ひたすら歩き回り、食事をして夕方か夜になるまで帰らないのが常だった。宿でゆっくりするのがどうも苦手で、どうしか外に出てしまう。
旅に出ると移動し続けることがメインとなる。移動するのが旅なのか、旅とは移動することなのか、という非常にどうでも良さそうな命題が付きまとう。動いていないと死んでしまう回遊魚のように街を右に左に、少し疲れたらバスに乗り、地下鉄に乗り、動き回る。
観光地とか、名所とか、そんなものはあまり興味がない。けれども、鋼鉄無比の意志を持ってそう臨んでいるわけではないので、あそこに行っておけば良かった、とおもうことも、ままある。今日も、あと少しで動き出す。動いている間は文字が出てこない。ただただ蓄積されていく。
今日一日と、明日のフライト時間までが成都だ。
ピグンタコスと会話をしながら、文字を叩き出すのは楽しい。生活の中でもできればいいのだけれど。今朝の記しておかないといけないのは、イタリア人のフランチェスコの名前だ。すぐに忘れてしまう。

13:30 スターバックス@成都タワー(仮)
午前中、朝ご飯の巡礼に出かけて、人民北路で一万円を両替した。もう昼過ぎだ。遅い朝食になったので、まだお腹は空いていない。多分、夜に再び陳麻婆豆腐の最後の晩餐をする事になるだろう。
これからタワーに上れるか確認に行く。上れたらいいんだけど。どんな風景が見えるのだろうか。

2019/07/05 10:36 灘邸
神戸に戻って、もう三日目になる。2日の夜に帰ってきて、昨日、一昨日とのうのうと過ごしていた。やることが色々とあるのだけれど、それらをほっぽり出して、誰にも連絡を取ることもなく、誰にも会うわけでもなく、その何もない一時を過ごしていた。
旅の疲れがあるわけでもないし、むしろ体調は良好そのものだ。日本の外食の味の強烈さ加減でお腹が下ったりすることもあるけれど、それ以外は頗る調子はよい。けれどもやはり人と会う約束を取り付ける気にはなれない。
昨日はダルソンの所に出かけて、ビールで些か酩酊したのだけれど。あんな風に約束もなく、フイッと出かけて会える人との距離がちょうど良いのかもしれない。これもまた、予約ができない、もしくは予定が立てられない、僕の性格がたたっているのだろう。

旅に出るときも何も予定が立てられなかった。往復の飛行機の日付も決められなかったし、旅行の間の鉄道の日付も決められなかった。当然ながら宿の予約すらできない。行き当たりばったり、一か八かでいつも旅に出てしまう。その日の夜泊まる場所も正直関心がない。
そんな感じで旅行もしてしまうけれども、生活もやはり同じような感じだ。予定が立てられない、その一言につきる。予定を立てるとその通りにやらなくてはならないし、人との約束ならなおさらである。だから、約束は取り付けたくないし、自らに予定を立てないことによって、のんべんだらりとしたペースでしか生活したくないのだ。
その一方で、日々のルーティンな労働のループの予定はそれほど苦ではない。特別なことはしなくても良いし、自発的な行動は必要とされないし、ただ人や時間に従って右に左に動けばいいだけなのだ。多分、そのようなあり方が僕には向いているのだとさえ、思い始めている。
こんなことを書いていると、とても悲しい気分になってくる。自分の内側からわき上がってくるものが何もないことを改めて、言葉に置き換えているのだ。自分の非社会的なあり方と、無気力感をなぜにこんなに噛みしめなくてはならないのだろうと思っているのに、そのような言葉以外がわき上がってこない。
人と外に出かけると、お金もかかるし、気も使わなくてはならない。疲れてしまうのだ。今はそういう時期なのだ。今日は旅の日記の締め括りを書こうと思っていたのに、全く違った言葉が綴られてしまった。まあ、ひとえに旅の内側で感じていたことの一部であるし、あながち間違えではないはずだ。