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なぜ、ビジネスに「哲学」が必要なのか?

column vol.894

昨日、AIとの共存の流れから、これからの時代はビジネスにおいて「哲学」が重要だという話をさせていただきました。

今朝、いつものように情報収集していると、非常に分かりやすくビジネスにおける哲学の必要性を説いている記事に出会いました。

東洋経済オンライン【なぜ今、世界のトップエリートは哲学を学ぶのか】という記事です。

〈東洋経済オンライン / 2023年1月12日〉

『いま世界の哲学者が考えていること』の著者で、玉川大学 名誉教授の岡本 裕一朗さんの記事です。

私の中で今、哲学がとても重要なテーマなので、それを当たり前として最近語り過ぎている気がしていたので…、改めて本日は「なぜ、今の時代のビジネスにとって『哲学』が必要なのか?」、そこをもう少し丁寧に語りたいと思います。

Googleが「哲学者」を雇う時代

私が恐らく哲学について最初に語ったのは、2020年7月に紹介した【世界の企業が必要とするCPOとは?】という記事。

ちなみに、まだまだ初々しい11本目の記事です(笑)

ここでタイトルにもあるように「CPO」という職業を取り上げさせていただきました。

CPOは「Chief Philosophy Officer」

つまり「最高哲学責任者」です。

そんな「職業あるの!?」と驚かれる方もいらっしゃるかと思いますし、「採用している企業なんて変わっている会社だけじゃない?」と感じられる方もいらっしゃるでしょう。

しかし、採用しているのはGoogleAppleなどの名だたる世界企業

SkypeTwitterFacebookは、CPOは採用してはいないものの、哲学コンサルティング企業と提携しているのです。

CPOは経営会議をより本質的なものへと導き、経営者へ直接助言を与える役割。

ビジョンというよりアイデンティティに迫るためのプロセスで、「そもそも私たち(自社)がなぜ存在しているのか」を明らかにしているのです。

昨今は「答えのない時代」であり、SDGsを内包したステークホルダー経営が求められる社会。

社会のために何かできるのか?

そういった状況において、改めて自社の存在する理由を明確にしていこうという流れが世界中でおきています。

それは当然、個人にも言えることです。

数年前『君たちはどう生きるか』が大ヒットしましたが、皆、それぞれの人生の道標を欲しているというのは誰もが感じることでしょう。

「哲学」とは何か?

……と、…何だかちょっぴりと重い話になりそうですが…(汗)、実は「哲学」とはもっと身近で、日常において必要不可欠なことです。

…それでようやく冒頭の岡本先生の話に移るのですが…、先生は哲学を「驚き」「疑い」であると指摘されています。

プラトンは、「驚き」こそが「知を愛し求める哲学」の始まりだ、と強調しているからです。

ちなみに、「哲学(philosophia)」という言葉は、「愛する・求める」+「知識・知恵」からできている。

アリストテレス『形而上学』の中で、このように語っています。

驚異することによって人間は、(中略)知恵を愛求し〔哲学し〕始めたのである。ただしその初めには、ごく身近の不思議な事柄に驚異の念を抱き、それからしだいに少しずつ進んで遥かに大きな事象についても疑念を抱くようになったのである。(中略)ところで、このように疑念を抱き驚異を感じる者は自分を無知な者だと考える。(中略)したがって、まさにただその無知から脱却せんがために知恵を愛求したのである。

つまり

➀驚き、疑いをいだく ⇒ ②自分を無知だと感じる ⇒ ③知恵を求める(哲学)

という流れです。

昨日の私の記事を見ていただけると分かる通り、山口大学国際総合科学部教授で、哲学者小川仁志先生は

(1)疑う 
(2)視点を変える 
(3)再構成 
(4)その結果を言葉で表現する

と、哲学を表現をしていますが、岡本先生はより「学び」にフォーカスしていますね。

驚きや疑いがなければ、また自分を無知だと感じなければ、哲学を始めることはありません

と語っていらっしゃいますが、「哲学を始める」とは「学びを始める」ことなのです。

哲学とは「学びの入口」

なるほど、なるほど、要は「学びが大切」ってことね。うんうん、やってる、やってる。資格取ったりとか。最近は「DX人材が不足している」というからプログラミング教室にも通っているよ。

と思われるかもしれませんが、…実は…、ほんの少し違います…

哲学の本来の意味は、学問全体を指しています。

アリストテレス「万学の祖」と呼ばれているように、論理学生物学天文学政治学神学も、ありとあらゆる分野を探究し、それらを全体として「哲学」と考えられています。

現在、注目を集める「リベラルアーツ」もここに通じています。

そして、改めて繰り返しますが哲学の始まり「驚き」「疑い」です。

何か驚きや疑いがあって、学びに入る。

驚きや疑いがあるということは、そうならない(イレギュラーな状態ではない)ように正常化しなくてはなりません。

平たく言えば「課題を解決」しなくてはなりません。

「哲学=学習」というのは、すなわち「課題解決のために新たな知を身につける行為」ということですね。

例えば、私の尊敬する経営者の一人であるユーグレナ出雲社長は、貧民国に行き、「なぜ、こんなにも貧しい子どもたちがいるのか?(驚き)」「この子たちを助けられる方法は本当にないのか?(疑い)」と思い、必要な知識を学習しながら解決方法を考え「ミドリムシ」を持って食糧難に挑んでいます

つまり、驚き・疑いを伴って、その解決を行うために経営や科学などを学習しているということですね。

そこが、単に知識やスキルを身につけるための学習とは違うのです。

「思考のメガネ」をかけて世界を見渡す

フランスの哲学者であるジル・ドゥルーズさんとフェリックス・ガタリさんは、1991年に発表した『哲学とは何か』の中で、「哲学は概念を創造する」活動である、と述べています。

「概念」というのは「コンセプト」

昨日の記事で言えば、「何をつくるのか(何を社会に届けたいのか)」ということですね。

そして、このコンセプトについて、岡本先生はこのように語っていらっしゃいます。

哲学において「概念を創造する」とはどんな意味でしょうか。それを理解しやすくするため、私はいつも「思考のメガネ」と表現するようにしています。つまり、何ごとかを考えるとき、「この思考のメガネをつけて世界を見てごらん」というようなものです。そのメガネをつける前と後(ビフォー・アフター)では、世界の見え方がすっかり変わってくるのです。偉大な哲学者ほど、世界の見え方がドラスティックに変わるような「思考のメガネ」を提供しています。

「思考のメガネ」という美しい言葉にうっとりしてしまいます…。

これは小川先生の「視点を変える」というところに通ずると思います。

ユーグレナの出雲社長「ミドリムシをスーパーフード」と見たわけです。

これが中学校の理科で習っただけのミドリムシの知識だったら、「うわっ、こんな気持ち悪いもの食べられるか〜」と思うかもしれません…

「栄養素の塊、完全食」という中学理科からのアップデートした知識があってこその事業化だったということですね。

つまり、日常の中でどれほど「驚き」ポジティブな「疑い」意図的に生み出せるかが、ブレイクスルーのきっかけになる。

歳を重ねるほどに、余計な経験則や知識、知恵から「セレンディピティー(偶然の出会いやひらめき)」を回避してしまう傾向があったりします…

私も良い歳になってきたので…、毎日見ている日常の景色が変わらなかったり、考えていることが変わらなかったりしていたら、「哲学から逃げている」と思うようにしています。

もしも、「先行き不安だな…」と感じている方がいらっしゃるようでしたら、「驚きや疑い」をどのように日常に内包するか、というところから考えてみると、突破口に繋がるかもしれませんね。

本日も最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。

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