高立山正國寺 若院の頭

宮崎県の最南端、串間市に400年間ある浄土真宗本願寺派のお寺の若院の頭の中を文字にしていきます。

高立山正國寺 若院の頭

宮崎県の最南端、串間市に400年間ある浄土真宗本願寺派のお寺の若院の頭の中を文字にしていきます。

    最近の記事

    新年明けましておめでとうございます 皆様方のお力添えのお陰様で、正国寺は開山416年目を迎えることができました。 今年も仏法聴聞の場を共々にいただきながら、安穏な毎日を過ごして参りましょう。 今年もよろしくお願い致します

      • 串間の妙好人 内田丹治さん

        当寺院の門徒さんで、明治時代に内田丹治さんという方がおられました。この方は大変篤くお念仏をいただいておられた妙好人と呼ばせていただきたい方でありまして、昭和60年にこの方の遠縁のお家のお仏壇より、丹治さんの書き残した讃仰の歌が見つかりました。 明治期のご門徒中の、生活とお念仏が一つとなった生活の姿がにじみでているありがたいお歌でございますので、是非御味わいいただければと思います。 ・娑婆の仕事はみな置き土産 信をえたのが大仕事 ・姿形は貧乏すれど 胸に六字の小判を持つぞ ・

        • 僧侶のおなまえ

          私達のご宗旨、浄土真宗の御開山は親鸞聖人でございますが、ここで質問です。親鸞聖人の正式名称は何というでしょう? 答えは「善信坊親鸞」です。 「善信坊」というお名前。意外と一般的に認知されていませんよね。 「親鸞」というお名前と「善信坊」というお名前。 「親鸞」というのは、仏門の僧侶としての名前。つまり、法名であり、また個人の実名(今でいうところの本名)です。 そして、「善信坊」というのは、坊号といわれる、お得度を受け僧侶となった後につけられる本名とは別の名前になります

          • 法然上人のおなまえって

            旧暦の4月7日は親鸞聖人の師であります、法然上人の誕生日です。 法然上人について、よくご質問される事があります。 それは、お名前についてです。 「法然上人と源空聖人と名前が出てきますがどう違うのですか?」という質問です。 「法然」というお名前は、坊号と言われるものであります。 坊号とは、お得度を受けた後につけられる本名とは別の名前になります。 「源空」というお名前が本名であります。 では、なぜ、親鸞聖人の御書物に「法然」「源空」と二つの呼び方で出てくるのか。 これは、

            宮崎と浄土真宗のであい

            宮崎県の最南端に串間市という町があります。 この串間市の中でも西側、鹿児島県志布志市との県境となる場所に私ども正國寺はあります。 この正國寺は浄土真宗の御教え、親鸞聖人の御教えをいただいているお寺です。 そして、この浄土真宗の御教えが、今日のように宮崎、鹿児島という九州南部エリアに伝わったのは果たしてどのような歴史の物語の上に今あるのでしょうか。 本願寺のある京都が日本の中心であった時代、宮崎、鹿児島というのは地図で見ても本当に端っこです。当時の人々にとっては外国のよう

            薩摩・大隅・日向と仏教のであい

             日本に仏教が公伝した年代は諸説ありますが、おおよそ6世紀半ばと考えられています。 そして、仏教が日本に伝わり100年ちょっとすぎた頃に現在の宮崎・鹿児島エリアに初めて僧侶が派遣されたようです。    この宮崎・鹿児島エリアに仏教が公に伝わった初出は、『日本書紀』巻第三十の「持統天皇紀」において、即位6年の年の5月(692年5月)に持統天皇が筑紫大宰(つくしのおおみことのもちのつかさ)に命じて、大隅・阿多(薩摩)へ僧侶を派遣したと記されているものです。  この時代はお隣朝

            祈る顔 お念仏の顔 安心の日暮

            新年あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願い致します。 年の初め。 年始というのは、「さあ、これから頑張るぞ」と新たな目標を立てたり、志を新たにしていく一つの節目であると思います。 皆さんこれから訪れる2021年がどうなるのか、期待と不安を持って未来に目を向けている時ではないでしょうか。 ですが、そんな未来の希望に満ち溢れている時に、ついついおろそかになってしまうのが「今」という時間です。 昨年、2020年は新型コロナウイルスの世界的なパンデミックがおこり

            正義の討ち入り

            皆さんこんにちは 一気に冬本番という気温になって来ました 冬真っ盛りの12月と言えば、皆さん思い浮かぶのは・・・ そう、赤穂義士ですよね。(クリスマスではないですよ。) アナログテレビの時代は、赤穂義士の時代劇ドラマがこの討ち入りの14日~15日に放映されているのを見ておりましたが、今は時代劇自体がなくなっていて、なかなか見る機会がなくなってしまいました。 忠臣蔵の吉良上野介の布団に手を入れて、「まだ暖かい、近くにおるぞ。」というシーンを観れないのはなんだか寂しくおも

            一口法話 報恩講

            報恩講報恩講は親鸞聖人のご命日をご縁につとまる法要でございます。 私達のご宗旨、浄土真宗の中では、年中行事の中でも一番大切にされている法要であります。 親鸞聖人がお亡くなりになられてから、33回忌の折に、親鸞聖人のひ孫にあたります、覚如上人という方から始まっております。 覚如さんは浄土真宗教団の祖と言われているお方ですけれども、その御方が「報恩講私記」という御書物を書かれて、親鸞聖人の祥月命日の法事を報恩講と名付けられた。それ以来、親鸞聖人のご命日のご法事を今日まで大切に

            聴聞

            しかるに『経』に「聞」というは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞というなり。「信心」というは、すなはち本願力回向の信心なり。 浄土真宗のお寺でよく聞く言葉「お聴聞」浄土真宗のお寺でよく聞く言葉に「お聴聞」という言葉があります。普段の生活では、あまり耳にすることのない言葉ですね。浄土真宗というご宗旨の中で、お聴聞するということは、ご法話などを聞いていくことですけれども、浄土真宗のお坊さんはこの「お聴聞」をとても勧めてきます。 皆さんの中にも、浄土真宗の

            一口法話 念仏者

            平成30年に往生いたしました、当山正國寺前住職の英彰が昭和45年から始められ、毎年発行しております寺報に掲載の法話や詩、ご門徒様の寄稿をご紹介していきます。※内容は適宜、修正し掲載している場合があります。 【昭和47年掲載 ご門徒様の投稿】 3人の飛行士の乗ったアポロ16号は月の世界まで無事に行ってきて世界の人々をますます驚かせています。 世は全く科学万能の時代となりました。ことごとく科学の進歩はとどまるところを知りません。どこまで進むことか想像もできません。 こう科学がど

            一口法話 ナモアミダブツ

            平成30年に往生いたしました、当山正國寺前住職の英彰が昭和45年から始められ、毎年発行しております寺報に掲載の法話や詩、ご門徒様の寄稿をご紹介していきます。※内容は適宜、修正し掲載している場合があります。 【昭和46年掲載 前住職英彰の一口法話】『美しく飾られし玉の車も朽つ我等が肉体も又ついに老ゆ、されどよき人の法は滅ぶことなし、人より人へと語り伝えて』 火葬場での収骨のおつとめの時、腰骨のあたりは未だ火のついている有縁の人々の姿を見るたびに、冷厳なる【死】という事実の前

            死を縁として真実の生に目覚める

            平成30年に往生いたしました、当山正國寺前住職の英彰が昭和45年から始められ、毎年発行しております寺報に掲載の法話や詩、ご門徒様の寄稿をご紹介していきます。※内容は適宜、修正し掲載している場合があります。 【昭和45年掲載~あるご門徒様の寄稿~ 『長男を亡くして』】元来、私は浄土真宗の家に生れ、妻もまた浄土真宗の家に生れたのでお寺さんとは縁のあることは知って居たのですが、その頃はまだお寺さんは遠い山の向うの谷間にあるとしか心にありませんでした。しかし、今日、長男を亡くし

            一口法話 【業】

            平成30年に往生いたしました、当山正國寺前住職の英彰が昭和45年から始められ、毎年発行しております寺報に掲載の法話や詩、ご門徒様の寄稿をご紹介していきます。 ※内容は適宜、修正し掲載している場合があります。 【昭和45年掲載 前住職英彰の一口法話】㈠コツコツ小金をためても、荒金をにぎって一財産つくっても助からぬ。  ためたものはなくなる。無理をしてとったものは早くなくなる。  身についたものしかもってゆけぬぞ、  それを業(ごう)という。 【若院のあじわい】「業」という言

            一口法話 独生独死独去独来

            平成30年に往生いたしました、当山正國寺前住職の英彰が昭和45年から始められ、毎年発行しております寺報に掲載の法話や詩、ご門徒様の寄稿をご紹介していきます。※内容は適宜、修正し掲載している場合があります。 【昭和45年掲載 前住職英彰の一口法話】㈠ 裸一つで生まれたから、真っ裸でいかねばならぬ。覚悟はよいか、、、  覚悟の出来ぬままでよいぞ。 **【若院のあじわい】** 『仏説無量寿経』(註釈版、56頁)  人、世間愛欲のなかにありて、独り生まれ独り死、独り去り独り来る

            一口法話 人生

            平成30年に往生いたしました、当山正國寺前住職の英彰が昭和45年から始められ、毎年発行しております寺報に掲載の法話や詩、ご門徒様の寄稿をご紹介していきます。※内容は適宜、修正し掲載している場合があります。 【昭和45年寺報掲載 前住職英彰一口法話】㈠ 生の関門から人生に入るのでなくて、死の門より入れ。 **【若院のあじわい】** なかなかシンプルで前住職らしいこの詩をいただいて、生(しょう)という事を、今一度考えさせていただきました。 皆さんは生と死と聞くと、どのよう