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一口法話 念仏者

平成30年に往生いたしました、当山正國寺前住職の英彰が昭和45年から始められ、毎年発行しております寺報に掲載の法話や詩、ご門徒様の寄稿をご紹介していきます。※内容は適宜、修正し掲載している場合があります。

【昭和47年掲載 ご門徒様の投稿】

3人の飛行士の乗ったアポロ16号は月の世界まで無事に行ってきて世界の人々をますます驚かせています。
世は全く科学万能の時代となりました。ことごとく科学の進歩はとどまるところを知りません。どこまで進むことか想像もできません。
こう科学がどんどん進んでいけば宗教なんかいらぬと考える人がありますが、ノーベル物理学賞の受賞者湯川秀樹博士は
「科学が全部だと思っている人は、科学者としてもあまり偉い人ではない」
と言っておられます。科学の進歩は尽きるところを知りませんが、【人間の心】だけは造り出し得ないでしょう。【信心】という測定不可能のものはないでしょうか。


私たちはいかに科学万能の現代に生を受くるといえども、科学以外の尊い何ものかを認めないわけにはいかないと思います。


【南無阿弥陀仏】も口に出して言えなかった私は何回も何回もお寺の門をくぐるたびに、仏法聴聞を幾たびも重ねる間にいつの間にか【南無阿弥陀仏】が声高々と唱えられるようになりました。他力本願の宗祖聖人の仏の味が薄ぼんやりながらわかるような気がします。
「一人いてよろこべば二人と思え、二人いてよろこべば三人と思え、その一人こそ親鸞である」と言いのこされ、この世を去られた親鸞聖人の偉大さ、有難さが一歩一歩わかるような気がします。


ご講師の先生のお話の中に、80歳ほどになられた文字がわからないおばあさんが、孫から字を習いながらも『歎異抄』の書写されたというお話を拝聴して早速私も書写しました。時々、ご住職のご法話で聞かされた「善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるをを世の世の人つねにいはく、悪人なほ往生す、いはんや善人をや」と。これもこの中より見出しました。


救われるための条件として称える念仏でなく、大いなる仏の願いに救われていくことを、仰ぎ喜ぶほかないのです。
朝な夕なに念仏をいただき「念仏者は無碍の一道なり」に精進しましょう。


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