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宮崎と浄土真宗のであい

宮崎県の最南端に串間市という町があります。

この串間市の中でも西側、鹿児島県志布志市との県境となる場所に私ども正國寺はあります。
この正國寺は浄土真宗の御教え、親鸞聖人の御教えをいただいているお寺です。

そして、この浄土真宗の御教えが、今日のように宮崎、鹿児島という九州南部エリアに伝わったのは果たしてどのような歴史の物語の上に今あるのでしょうか。

本願寺のある京都が日本の中心であった時代、宮崎、鹿児島というのは地図で見ても本当に端っこです。当時の人々にとっては外国のような感覚であったかもしれません。ですが、真宗の御教えは届いていたんです。
今回はそんな、九州南部へ浄土真宗が伝わってきた歴史を考えます。
(場所がわかった方が、イメージもしやすいと思います。もしよかったら地図で確認いただけると、より物語のイメージが湧くのではないでしょうか)

 宮崎、鹿児島において最も古い浄土真宗寺院は『貞享四年高鍋藩寺社帳』に「日向国美々津の真宗正覚寺が文明三年(1471)慶西によって開山」されたことが記されていることから、現在の宮崎県日向市にあります正覚寺様がこの南九州の地において真宗の寺院として建立された最初のお寺と考えられます。

『宮崎教区の歴史とお寺』によると、この正覚寺様はもともと天台宗の古刹であり、末寺を多く持つこの地域の本寺であったようであります。そして、文明三年三月九日に当時の住職浄泉坊が蓮如上人の教えを受け、真宗に帰依し、敬西と改めたという事です。
この改宗の際、末寺も同時に真宗へと改宗していったようであります。

ここで、注目すべきは文明3年というこの年ではないでしょうか。
浄土真宗教団の歴史を見て行くうえでも、重要な時期であります。

今日においては、本願寺を中心とする浄土真宗という教団はとても大きな教団になっております。これは、本願寺八世の蓮如上人のおはたらきによるところが大きくあります。

蓮如上人は1457年に43歳で本願寺を継職いたしました。

一般の人は、今の巨大な浄土真宗教団は親鸞聖人が作られたと思ってらっしゃる方が多いと思いますが、この八代目蓮如上人が継職した当時は今のような浄土真宗という教団など存在しません
その頃の本願寺は天台宗青蓮院系の一末寺であり、蓮如上人も青蓮院で剃髪しました。
また、本願寺は青蓮院に対して末寺銭を納付しておるという状況であり、寺院の形式としても「浄土三部経」だけではなく、「天台経典」や「天台絵像」を設置しており、「護摩壇」も設置されていたといわれております
所属している僧侶も御堂衆として肉食妻帯をしない「六人供僧」と呼ばれる者たちがおり、本堂には竹やりが設置されており、参拝者に寝ておる者がいれば、その竹やりでたたき起こしていたようです。

今のイメージとは大分と違う状況です。なかなか普通の人は入りづらい空間ですよね。

ですので、当時の本願寺は『本福寺由来記』に「御本寺様は人せきたへて、参詣の人一人見えさせたまはず、さびさびとすみておはします」とあるように、本当に参詣者などおらず、さびれた天台宗の一末寺として存続してきた状況です。

その様な、本願寺を継職した蓮如上人は様々な改革を行っていきます。
荘厳においては、天台宗の寺院機能を排除し、末寺銭の納付を拒絶していき、親鸞聖人を中心とする寺院づくりを行っていきます。
本願寺を「親鸞聖人の御座所」と規定し、参詣者は「親鸞聖人の御門徒であり、一大事のお客人である」という意識を徹底させ、意識改革をおこなっていきました。
その他にも当時の本堂は上下段に別れており、僧侶は上段に座り、下段に座った参詣者に相対しておりました。それを蓮如上人は、上段を取り払い、本堂を平座にして同じ高さで膝を突き合わせ、一大事のお客人をお迎えし、当時の貴族化した寺院構造を改めていきました

このように、大きな改革を推し進めていくと面白くないのが本寺の天台宗です。
たかが一末寺の本願寺が自分たちの大切な経典や絵像を排除して、独立の方向へと動いていくのは許しがたいことです。
蓮如上人のある意味超過激派な改革は延暦寺の人々の逆鱗に触れ、1465年蓮如上人51歳の年に1月と3月の2回にわたって、延暦寺西塔の衆徒によって大谷本願寺は破却されます。
蓮如上人はお堂を破壊するのに一所懸命な比叡山僧の隙をついて、ご本尊と親鸞聖人のお木像を持ち出し、近江の国を布教しながら拠点を転々としていきます。
そして、大津南別所から京都を経て、文明3年に比叡山の影響力の少ない越前の吉崎に赴き御坊を建てます
そして、六字名号の下付、村々での講の奨励、お手紙(御文章)による各地への文書伝道、『正信偈』『三帖和讃』の開版などの独自の伝道をおこない、ここから本願寺の興隆が始まるのです。

話は宮崎に戻りますが、このような本願寺の興隆の分岐点となっている時代背景の文明3年に、宮崎でもっとも古い浄土真宗寺院である正覚寺様は蓮如上人に帰依し、本願寺を敵とした天台宗から浄土真宗へと改宗されている。
宮崎での真宗の始まりは、蓮如上人の伝道力の大きさ。そして、親鸞聖人の示されたお念仏のおはたらきの大きさをとても伝えているように思うんですね。

宮崎は京都の都から遠く離れております。ですが、どこにいようと、誰であろうと、皆が親鸞聖人の御門弟であり、一大事のお客人。阿弥陀様に救われるべき人々である。
そんな思いの蓮如上人の伝道だからこそ、全国へ広がり、遠いこの宮崎の地においても、人々は私の生きる道はお念仏の道であると喜ばれていかれたのだと感じます。

今私たちのもとにお念仏が受け継がれている尊さを知らされるように思いますね。

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