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たかぱん
2023年6月18日 10:30
教会の礼拝に、子どもたちも最初から加わる。賛美歌を歌ったり祈りを聞いていたりすることは、子どもにも特別に苦痛なことではないと思いたい。ただ、説教はやはり長い時間にわたり大人の難しい話を聞かさせるとなると、辛い。そこで、説教が始まるときに、子どもたちは別室に行く。そこで教会学校の教師が、子どもたちの牧師となって、子どもたちのための話をし、礼拝を司る。 このようなことを複数の教会で実施したことを、
2023年6月16日 12:16
牧師夫人と呼ばれる立場の人がいる。男性牧師の妻である。昔はステレオタイプにそういう人がいて、牧師夫人という呼び方が当たり前のように使われていた。いまでも当たり前ではないか、と思う人がいるかもしれない。特に、女性を牧師としてはならないとするグループからすれば、半ば常識であろう。 牧師には給与が出る。謝礼と呼ぼうと、給与である。教会への献金の中から一定の額が与えられる。最近は信徒が減り、また高齢化
2023年6月14日 10:03
教会に子どもたちが来る、それだけでこちらの心が軽くなる。明るくなれる。そのような経験を、近ごろの教会では、もしかすると忘れてしまっていやしないだろうか。否、私が忘れているのだ。以前のことを思い起こすと、切なくなる。 もちろん、クリスチャンの親に連れられて教会に来ているという子どもたちがいる。それが割合としては最も多いだろうと思われる。 教会学校がまずあって、その後大人の礼拝の間、子どもたち
2023年6月12日 11:41
礼拝説教の中では、聖書の文を引用することがある。その中で、「(聖書の文)とあります」という言い方が、口癖のように何度も出てくる話し手がいる。私はそれを聞いていて、あるいは原稿として読んでいて、ずっと違和感を覚えていた。 もちろん、その言い方を一度でもしたら変だ、などというつもりはない。異様なのは、それを書かれた文章にするとはっきりすると思うのだが、あまりにもそれが多すぎることである。何かちょっ
2023年6月6日 12:32
少子高齢化は一般社会よりも先んじて、教会がその末路を具現しているかのように見える。但し、子どもは実は絶滅していない。若い親が連れてくるからだ。いないのは、いわゆる「若者」である。親が連れてきていた子どもたちが、中学生辺りになると、教会から姿を消す。教会に新たな姿を見せるのは、人生につまずいてかなり「大人」になった世代であろうか。 否、このように如何にもパターンで話をすることは、推奨できない。私
2023年6月4日 10:24
見えない人には、見えない。気づかない人は、気づかない。分からない人には、どうしても分からない。分かれという方が、無理である。 思い込み――最近は「バイアス」などとも呼ばれる――が、言われていないことを聞いたつもりになる。これはきちんとしたことなのだ、形があって然るべきなのだ、と自分の中で形作ってしまったものが、ありもしないものを、あったかのように思いなしてしまう。幻想を生みだして、対象に対する