見出し画像

東京に住みながら富山で起業!?東京生まれ東京育ちが富山で会社を作った理由

石原泰三さんは東京に拠点を置きながら、2021年に富山で起業。現在は東京ときどき富山の2拠点生活を送っておられます。

「富山はふるさとです」と語る生まれも育ちも東京の石原さんに、富山起業のメリットを伺いました。

***

◎「富山ってなんですか?」

ーー石原さんが富山を初めて訪れたのはいつでしたか。

新卒で勤めていたリクルートジョブズ入社4年目に、富山へ異動したときでした。

ーー異動辞令が出たときのお気持ちは…?

「え…東北?北陸?場所どこだっけ…?」という感じでした(汗)。今覚えばお恥ずかしい限りです。申し訳ないです…。

東京の拠点から離れる際に、送別会を開いてもらったんですが、そこの飲食店の店員さんに「転勤で富山に行くんですよー!」と言ったら「富山ってなんですか?」と言われた時は衝撃を受けました。富山という県を県として認識してなかったんですよね。

ーー「富山ってどこ?」じゃなくて「何?」とは…。富山県人としてはショックが大きすぎます。

「俺は県とすら認識されていないところに行くのか…」と気落ちしましたね(笑)。

恥ずかしながら、僕自身もホタルイカや黒部ダムが富山のものだってことを知りませんでしたが…。

ーー富山での暮らしはいかがでしたか。

富山には友人が一人もいないどころか、友人たちに聞いても富山の知り合いは一人も見つかりませんでした。そこで、孤独死しないようにシェアハウスに住むことに(笑)。

始めの3ヶ月は富山駅から少し離れたシェアハウス長江に、そのあとは富山市中心街にあるシェアハウス白銀に移りました。

ーー当時はまだ、シェアハウスがメジャーではなかったのでは?

某ドラマが始まった頃で、むしろネガティブなイメージがあったかも(笑)。

でも、せっかく地方勤務になったのだから、全力で楽しみたかったし、仕事で成果を出すためにも富山という場所を好きになりたかったんですよね。それなら、富山県の人々と仲良くなるのが一番だなと思って。

ーーシェアハウスって、どんな生活なんですか。

シェアハウスによって雰囲気は異なると思いますが、僕が夜遅く仕事で疲れて帰ると、メンバーが手作りの料理をお裾分けしてくれて、お礼にビールをあげる、みたいなことをやっていましたね。こたつがあって、みんなそこに集まっていました。

ペーパードライバーだったので、運転もシェアハウス仲間に教えてもらいました。広い駐車場に連れて行かれて、運転の練習をしました。

シェアハウスつながりで、たくさんの友人ができました(送別会の写真)

ーー東京とのギャップに悩むことはありませんでしたか。

会社とシェアハウスの往復では「田舎」を感じなかったですね。拠点は十人くらいだったので東京拠点とは違ってアットホームでしたが。富山へ引っ越してのネガティブポイントは想像以上になく、とにかく人に恵まれていたので、毎日が楽しかったです。

居酒屋の料理も安くて美味しくて、毎日のように通っていました。お気に入りは富山駅近くにある「吟魚(ぎんぎょ)」です。マグロが100円で食べられたり、刺し盛りが1000円以下だったり…。白身魚に関しては、個人的には富山が一番美味しいと思います。

東京ではビールとハイボールばかり飲んでいましたが、富山では日本酒をよく飲むようになりました。お気に入りは高澤酒造場の「初嵐」ですね。吟魚でよく出してくれる「羽根屋」も大好きです。

ーー富山の居酒屋には、いろいろな日本酒が置いてあることが多いですからね。富山でのお仕事はいかがでしたか。

富山拠点は一度リーマンショックの時に撤退していて、再スタートを切ったところでした。自分の成果が拠点の成果に直結していたので、自分の仕事に使命感を持ちやすかったです。

東京にいた時は、くすぶっていたことも多かったのですが、富山では表彰されることも多く、たくさんの素敵なお客様に恵まれ、頼ってもらい、社会人として大きな成功体験を積むことができました。

“富山の人の良さ”のおかげで、”富山”のおかげで、今の自分がいると心から思っています。

◎富山で起業したのは、他にやる人がいなかったから!?

富山スタートアッププログラムに出場

ーー1年半富山で勤務されたあと、東京に戻られたそうですね。

富山での居心地が良すぎて、逆に新しいことを学べているのかという不安や危機感を覚えていた頃でもありました(笑)。

リクルートの東京本社に戻り、新規事業の立ち上げに関わりました。そんな中、未経験ながら「人事」をやってみたいと思い、カカクコムに転職して人事も経験しました。

ーー「食べログ」などを運営されている会社ですよね!
その後、独立されたきっかけは?

仕事をする中で”引っかかり”のようなものを感じていたんです。

企業研修は「やること」が目的になっていないか?転職支援では、その人のキャリアが真剣に考えられているのか?人事は、社員を本当に大切にできているのか?

転職活動や人事制度の中で、個人が大切にされず、蔑ろにされてしまう体験を少しでも減らしたいという思いが、独立の原点にあります。

「独立した」というと「日本を○○のような世の中にしたい。」「世界平和を実現したい」など、崇高な理想をイメージされるかもしれませんが、独立時の想いはただ「自分の好きな人と仕事をし、自分と関わる全ての人を幸せにしたい」ということだけでした。

ただ、独立してからいろんな方のキャリアについて伺う中で、「転職で失敗する人がいない世の中を創りたい」という思いは日々強くなっています。

ーーあれ、今のところ「なぜ富山で起業したか」の理由が全くわかりませんね…(笑)。

ですね(笑)。富山で起業するきっかけは、独立したあとに富山スタートアッププログラムin東京に参加したことでした。富山時代に住んでいたシェアハウスの経営者・姫野泰尚さんに声をかけてもらったんです。「こんなのあるから参加してみたら?」って。

ーー富山県が主催の起業家育成プログラムですね。起業教育第一人者の熊野正樹教授(神戸大学)の講義を受けられたり、ピッチコンテストが開催されたりしていますよね。

豪華な講師陣から、真摯なフィードバックが受けられるのが魅力でした。全8回のプログラムが、受講費たった1万円で受けられることも驚きでした(笑)。

結果は準優勝。周りからは祝福の声をいただきましたが、とっても悔しかったのを覚えています。正直言うと、富山で起業をしようか悩んでいたのですが、出場者の同期が新しく富山で起業していないことに気づき、「どうなるかわからないけど、それなら僕がやってみるか!」と思い富山で起業することに。

ーー学級代表になりたい人がいない中、「じゃあ…僕やるよ…」って手を挙げる感じですね(笑)。

東京だけでやるより会社に「色」が出るだろうし、富山スタートアッププログラムで関わった行政の人や事務局の人などの力も借りながら、自分自身を成長させられるのではないかと思ったんです。それに、自分の成功体験を積ませていただいた恩返しの気持ちもありますね。

実際、「富山スタートアッププログラムin東京」がきっかけで、行政や新聞社、テレビ局からお声がけいただくようになりました。皆さん本当に優しいです。

現在は仕事で月に1度富山を訪れ、お客様のところに伺ったり、県庁の創業ベンチャー課に顔を出してコーヒーを飲んだり(笑)しています。仕事で富山に行けるのって最高です。

ーーそれだけ富山がお好きなんですね!

実は、富山から東京に戻ってからも、年に1〜2回は富山に「帰って」いました。東京にはもう実家がないので、富山がふるさとみたいな存在なんですよね。富山に帰れば、誰かが富山駅に迎えにきてくれて、シェアハウスに泊まって。

母も富山が大好きなんです。初めて富山に連れてきた時、母が居酒屋「吟魚」で魚を食べながら「本当に幸せ」と泣いたんですよ。本当にご機嫌で、帰り道はスキップまでしていました(笑)。親孝行できたな、と思えた瞬間でした。

◎「富山人材新聞」「富山の人事部」…これからの構想

ーーどんなお仕事をされているか教えてください。

富山や東京の企業の人事・経営コンサル、転職希望者への転職支援などをメインの事業としています。

先日、「富山人材新聞」というメディアも立ち上げました。スタートアップな働き方、カッコいい起業、素敵な企業、行政改革を行うリーダーなどなど…魅力的な働き方をしている富山県人を取材するメディアです。

最初のインタビュイーは富山県知事・新田八朗さんら3名だ

僕がそうだったように、富山って東京の人からすれば印象すらないんですよ。残念なことに、富山県出身でも「富山には面白い仕事がない」と思い込んでいる人がたくさんいます。だから、知る人ぞ知る素敵な方々にスポットライトを当て、発信していきたいと思っています。

ーー「富山人材新聞」を拝読しましたが、名だたる方を取材されていますね。

富山県知事の新田八朗さん、富山出身でレオス・キャピタルワークスCIOの藤野英人さん、そしてシェアハウスでお世話になっていた富山を代表する起業家・姫野さんが最初の3名です。大好きな居酒屋「吟魚」を経営する小山崇さんにもお話を聞く予定です。(編集者注:小山さんの記事も2022年3月に公開されました!)

このメディアに、プロボノ的に関わる人も増やしていきたいんです。ライティングを学びたい学生や、富山に貢献したい!と思っている方々などなど。「共犯者」を増やして、富山が好きな人がもっと増えれば嬉しいです。

(左)新田八朗富山県知事 (右)石原さん

ーーリアルで真剣なお話をポップに伝えておられるので、楽しく読ませていただきました。
なぜメディアの最初の記事に、富山県知事を選ばれたのでしょうか。

北日本新聞(富山の地方紙)で僕の記事を見つけて、会いたいとおっしゃってくださったんです。初めは15分の予定でしたが、せっかくお会いするなら取材したいと思い、30分に伸ばしていただきました。事前にお送りした質問表に色々と書き込みをして臨んでくださり感動しましたね。

皆様ざっくばらんにお話いただいているので、ぜひ記事を読んでみてください。

ーーほかに、富山でやろうと思っておられることを教えてください。

「富山の人事部」を作りたいと思っています。

ーー富山の人事部…!?

中小企業の人事部って、一人で回していることも多くてめちゃくちゃ忙しいんですよね。

そこで、中小企業数十社が一緒に採用したり、新卒研修したりする「富山の人事部」があればいいのではないかと思って。人事の知見も共有できますしね。

そのために、僕自身も研修講師の資格を取りました。マーケティングやITなどはその道のプロによる研修を行い、富山のレベルを底上げしたいと思っています。

富山は車社会ゆえなのか、横のつながりを作りづらい環境であるように感じています。「富山の人事部」が、会社を越えたつながりを作る場所になると期待しています。

ーーこれだけ富山のことを愛している石原さん、なぜ完全に富山へ移住せずに2拠点生活をされているんですか(笑)?

正直、移住してもいいかな、と思ったりもするんですよ。でも、ずっと一緒の場所にいるのは自分には向いていないし、富山に住民票移したら、居心地がよすぎて出ていきたくなくなりそうなので(笑)。

40歳くらいまではビジネス戦闘力において、まだまだ筋トレ期間だと思ってます。独立したからこそ、自分自身がまだまだだなと思うことが多くなりました。様々なことを常に吸収し、慢心せずに、価値ある仕事をしていきたいと思っています。

***

北陸ビジネスプランコンテストにも出場

富山に移住しなくても、「富山起業」という形で富山に関わることができると教えてくれた石原さん。

富山は起業支援が充実しており、行政や地元企業のバックアップも手厚いですよ。新しい挑戦をしたいと思っているみなさん、「富山起業」を一つの選択肢に入れてみませんか。

僕たち「ためスモ」は、みなさんのお試し移住をバックアップしています。お気軽にご相談ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?