痛い怪我、バイバイ。
パーキンソン病の母と 虐待されていた私が 一緒に暮らすということ
#13 よわよわな私
※ 注意※
血の描写が苦手な方はブラウザバックしてください・・・。
マンガのコマに、血が染みた絆創膏のイラストがあります。指の怪我です。
カラー表現ではありませんが、思いがけずリアル目に描いてしまい、
危惧しております。
よろよろとタクシーを降りて駆け込んだのは、かかりつけの内科。先生は元々外科医で、外科の診察も可能なクリニックです。時間は正午少し前。閉院間際でした。
本当に、本当にただの小さな怪我でした。
小学校の保健室に駆け込んだとしても、「消毒しておきなさい」の一言で済まされる程度のものです。
私は血が苦手です。正確には ”止まらない血を見ること" が苦手です。
普段の苦手レベルは ”嫌だな” 程度なのですが、この日はダメでした。
このような状態にまでなったのは、二十数年ぶり。「あっ、マズい…」そう思った時には、すでに倒れていました。
四肢に力が入りません。頭が霞んでいきます。
「こんな怪我程度で潰れてしまうなんて…、アラフォーのくせに」
恥ずかしさと情けなさに耐えきれなくなりなからも、どうにもこうにも手に負えず、私はやむなく母にタクシーを呼んでもらい、クリニックへと駆け込むことにしたのです。
くらくらする頭。知らず知らず早くなる呼吸。
「申し訳ありません、こんな小さな怪我なのに…。絆創膏を貼り替えられなくて…」恐る恐る患部を見せる私。
待合室の椅子あたりでペペっと処置されて、小言を言われることまで覚悟していたのですが、私に向けられた反応は想像とは全く違うものでした。
「診察券なんて後でいいから!」と、診察台に私を連れて行く先生。
「あらら、 皮がめくれちゃってるかぁ」
そして一言。
「そりゃあ痛かったよねぇ。でもね、もう大丈夫だ」
一瞬、何を言われたのか理解できませんでした。
真冬、キンキンに冷えた体のまま熱いお風呂に入っても、すぐには温かさを感じ取れないことがありませんか。まさにそんな感じでした。
”先生は迷惑がっていないどころか、私を案じてくれている…”。
時間差で理解できた途端、緊張の糸が切れてしまったのでしょう。私はようやく傷の痛みに気が付いたように「痛いよぉ…痛いよぉ…」と助けを求めるのです。
「こういうのはね、年齢って関係ないんだよ。全っ然、気にしちゃダメ!」
先生は、私が ”こうなってしまった” 原因がトラウマによるフラッシュバックにあると分かっていたのでしょう。”昔、嫌な目にでも遭ったの?” などと、私の過去を探るようなことは一切せず、「しんどかったよねぇ、辛かったよねぇ」と、ただただ背中を摩ってくれます。
穏やかに揺れる波のような先生の声音。
「よく頑張ったねぇ。もう大丈夫だよ、大丈夫大丈夫」
その一言一言が、”過去の私” に染みていくのが分かります。
他人に涙を拭いてもらったのは、いつぶりだったでしょうか。私は泣き腫らしていたようです。
私がクリニックを出る頃には、13時になろうとしていました。
「もう、こんな時間になって…」
昼休憩を奪ってしまい申し訳ないと謝ろうとする私に、先生は被せるように笑顔で言います。
「ガーゼ、明日も自分で変えるのがしんどそうなら、来ていいんだからね」
帰りは徒歩で帰りました。体のフラフラはすでになくなっています。痛かった指も気になりません。
翌日、私は自分でガーゼを変えることができました。
この話は、下記の記事で書いた ”とある記憶” を思い出すことになったきっかけの話です。いい大人が怪我一つで大騒ぎする話など恥部でしかないのですが、読んでいただきありがとうございます。
↓ 半ばくらいに記した内容です。
”とある記憶” の内容ですが、今はまだ気持ちの整理がついておらず、今回も端折っています。いつか書けようになる日が来たらいいなと思っています。
それにしても、言葉というのは怖いです。
何年も何年も残る傷を簡単に付けてしまえる一方で、痛みを和らげることもできます。
全ては使い方次第なのだと、改めて気付かされた出来事でもありました。
いつか母と仲良くなれたら、母と私と猫さんで旅行に行きたいと思っています。 野っ原をのんびりと散歩。 母との生活は始まったばかり。 夢は大きく、まだまだ諦めません^^