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【感想文】黒い雨/井伏鱒二【Reprise】

『続・オートジャイ論』

前回『野火』における読書感想文にて提示した『オートジャイ論』の続きを本書『黒い雨』当時の新聞各紙の記事を元にして以下に説明する。

▼『黒い雨』のあらすじ:

広島原爆投下より数年後、被爆が疑われる姪の縁談を反故にさせまいと重松は当時の日記を清書し始めるのだが──

▼戦争終結に関する報道姿勢:

本書第二十章において重松は1945年8月14日~15日に起きた出来事を清書しており、玉音放送を聞いた工員達の内には、降伏をあっさり受け入れる者、流言飛語りゅうげんひごではないかと疑う者、ただ険しい表情をする者、口惜しがる者、悔し涙なのか嬉し涙なのか判然としないがとにかく泣いている者、等々の混乱する様子が描かれている。

ここで同日の国内新聞各紙ではどのように報じられていたのかというと、天皇の詔書しょうしょと共に各紙の見出しでは敗戦ではなく「戦争終結」といった表記を用いて、原爆投下や空襲による国民被害に配慮した天皇の「大御心おおみこころ」に基づく聖断で戦争が終わったと強調、その上で「国体護持こくたいごじ」と国家再建に向けた国民の奮起を促している。朝日新聞では、「戦争終結の大詔渙発たいしょうかんぱつさる」「新爆弾の惨害に大御心」の見出しでポツダム宣言受諾を報じると共に、国体護持を最優先とした連合国側との交渉を報じている。この前日14日の「御前会議ごぜんかいぎ」に関する記事では「これ以上国が焦土と化し国民が戦火に倒れるのを見るに忍びない」という天皇の発言に触れながら「われわれは皇国に生を享けた感激に泣かざるを得ない。そしてこの感激は今日只今からのわれわれの行動を律するものでなければならぬ」とあり、皇国再建を国民に求めている。さらに、読売報知においても天皇の発言を「五体のワナワナと震うを禁じ得ない大慈大愛の御言葉」と称え、天皇の決断による戦争終結を印象づけている。

また、「大御心に帰一せん」と題した社説では「大東亜戦争は戦争の詔勅しょうちょくにもへいとして明なるが如く、正義の戦争であり、自衛自存の戦であった。ねがうところは東亜の解放、十億民衆の康寧福祉こうねいふくしであったのである」とし、「国難打開に一歩の誤りなきを期し、以て聖慮せいりょを安んじ奉るのみである」と国民に呼びかける。つまり、戦争の正当性を強調している。なお参考として、この一方で、(発行経緯は特殊だが)沖縄の捕虜収容所や民間人収容地域で配布された『うるま新報』の15日紙面では「渇望の平和 愈々到来いよいよとうらい」と題してポツダム宣言受諾を報じており、本土の新聞とは対照的である。

▼概括 ~ といったことを考えながら ~:

日本の国体への固執(うるま新報は例外)、各紙にはそういった狙いが含まれているように思うが、これに関しては前回『野火』読書感想文で述べた「軍官民一体」を強調する報道姿勢からも想像がつく話である。
以上を総合した結果、私は当時の新聞各紙が国民に呼びかけていた国体護持からなる再三の精神論のことを今後は「オートジャイ論」と呼ぶことに決めたのである。前述した本書『黒い雨』の玉音放送の場面において、混乱した者の内には国体の変更を予見した者も多く居たと思う。

以上

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