たまちゃん

助産学生&エンターテイナー ミュージカル/国際協力/歌/ダンス/野球/ベイスターズ/

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最近の記事

ディア・エヴァン・ハンセンを観て…

感想にまとめるのもなんかもったいなくて、思ったことそのまま綴った。(ネタバレない程度に) 🎥🎥🎥🎥🎥🎥🎥🎥🎥🎥🎥🎥🎥 一人だけど、独りじゃない。 これは、ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、エヴァンの人生そのもの。 映画自体が着飾ってない。 だからこそ、私たちはそのまま日常に戻っていける。 恋愛映画を観た後のように、自分の人生と比較して悲嘆することはないし、 ファンタジー映画を観た後のように、現実世界に引き戻される感覚もない。 同じ世界を生きるエヴァンは、きっとこの

    • 人生理念コーチングで行動が変わった!

      脇役でいい。主役じゃなくていい。 リーダーなんて向いてない。 前に立つのは他の人でいい。 支える側が得意。 中軸を支えることが私の存在意義。 ついこないだまでの自分は、自分のことをこう思っていた。 でも、少しずつ、自分の本当の願いに目を向け始めた。 私が注目されたい。 私を見てほしい。 私が真ん中に立ちたい。 私が支えられたい。助けられたい。頼りたい。 こんな願い。 先月、友人みげるの人生理念コーチングというのを受けさせてもらいました。 6つの問いを受け、思い浮かんだ

      • 家族の意思 どこまで信じる?

        授業で、胃ろうをつけた患者と、その介護者である娘の密着ビデオを見た。 患者は、在宅で治療を受けている。 数年前から胃ろうをつけていて、寝たきりで意思疎通が取れない。 夜も眠れず唸っている母親を見て、娘は「こんなに苦しそうで見てられない。」「活発な人だった。こんな風な最期を過ごしたいとは思ってないはず。」「首を絞めてあげれば母は楽になるんじゃないかと思ってしまう。」と話している。 娘は訪問医に「胃ろうを辞めたい」と言った。 胃ろうを辞める=栄養が取れなくなる=死を意味する。

        • 頼るって難しい。

          わたしは人を頼るのがすごく苦手。 本当に本当に辛い時に1人で抱え込んでしまう。(ちょっと落ち着けば相談できるんだけど) 人を頼るの苦手になったきっかけかなって思う出来事がある。 小1の時。 全校朝礼で気持ち悪くなって列を抜けて先生のところに行った。そんで嘔吐🤮 吐いたらスッキリして体調的にはなんともなかった。けど、友達や先生が心配してくれて嬉しかった。 また次の全校朝礼で、別の友達がお腹が痛くて列を抜けた。その子は保健室で休んで3時間目くらいに教室に戻ってきた。友達や先生

        ディア・エヴァン・ハンセンを観て…

          もっとわがままに生きたい

          「生きづらい」 高校を卒業してからそう思うことが多くなった。なぜだろう… 自分としての結論は、わがままに生きられなくなったからだと思ってる。 小学生までの私は、「嬉しい」「楽しい」「好き」「私を見てほしい」など、明るい、"陽"の感情を素直に表現していた。 反抗期になるとその辺が薄れて、その代わり「ムカつく」「納得できない」「イライラする」などの"陰"の感情を素直に表現するようになった。 ここまでは、なんだかんだわがままに生きてきたと思ってる。もちろん、自分の気持ちに

          もっとわがままに生きたい

          幸せを感じる瞬間

          12/25〜1/1 ミャンマーに行ってきました。 参加したのはYMCAの「ミャンマー・ボランティアの旅」 海外にはよく行くけど、いわゆるボランティアという名称が付くものは参加したことがなくて、しかもあんまり興味ない介護っていう分野がメインで、自分がこの旅にどんな気持ちで行けばいいのかわからないまま出発した。 大1の夏にフィリピンの孤児院に行って以来、発展途上と言われる村に行くのは好き。(発展途上というとマイナスな感じがするからあんまり言いたくないけど!) 村人たちは自然と

          幸せを感じる瞬間

          まるごとすべてを受け入れる

          「キリスト者の共同体である私たちは、すべてのいのちを守り、智恵と勇気を持って、無償、思いやり、寛大さ、すなおな傾聴、それらに特徴づけられた態度をあかしするように招かれています。 それは、実際に目前にあるいのちを抱擁し、受け入れる態度です。 そこにあるもろさ、さもしさをそっくりそのまま、そして少なからず見られる、矛盾やくだらなさをも、すべてそのまま引き受けるのです。 私たちはこの教えを推し進める共同体となるように招かれています。 つまり、完全でもなく、純粋でも洗

          まるごとすべてを受け入れる

          険しい道を選ぶ

          私の周りには、自分の思いに素直に生きている人がたくさんいる。 好きなことをして、夢を叶えるためにまっすぐに生きている人がたくさんいる。 彼らの好きなことや夢に対する思いはものすごく強くて、ものすごく熱い。 周りに反対されても自分を信じ続ける強さがある。できないって言われてもできる!って言い返す強さがある。 そんな人たちの姿はかっこいいし、素敵だなって思うし、尊敬するし、羨ましいとも思う。 わたしが助産師を目指したきっかけは、そんなにカッコいいものじゃない。 も

          険しい道を選ぶ

          受験の思い出

          今週末は、私の大学の推薦入試があります。 塾でバイトをしているので、受験生たちにエールを送ってきました。 志望校の先輩だからと慕ってくれる生徒さんたち。 それぞれに色んな思い出があります。 私が関わったのはほんと一握りだけど、勉強方法の相談に乗ったり、面接練習を何度もやってアドバイスしたり、できる限りのフォローはしてきたつもりです。 入試に挑む生徒さんたちに声を大にして言いたいこと。 「自分が今できる最大限の力を発輝してきてください!」 そりゃあ、合格の報告が聞けた

          受験の思い出

          今しかできないことなんて無い

          「今しかできないから!」 って言葉をよく耳にする。 私もよく口にする。 「学生のうちしかできないから!」と。 でも最近ふと思う。 今しかできないのか、10年後になってもできるのか、決めるのは自分なんじゃないか?? 今どうしても直感的にやりたい!!のか、 今しかできないからやっておくか!!なのか、 (前者は私の思考回路的にそうそう無い。) 実際、50過ぎて小説家になった人も、エベレスト登った人も、企業した人もいるわけです。 あれもやりたい。これもやりたい。 や

          今しかできないことなんて無い

          死について考えてみたこと

          ここ一年を振り返ると、"死"について考えることが多かった。 医療学生として、死を身近なものとして捉えるための授業を受けた。宿題で遺書を書いた。 渡航予定だった場所でテロが起こって、渡航したら死ぬかもしれない。それでも行くのか。たくさん迷った。 つい最近、死について考えたのはモンゴルで行ったワークショップ。 ここには9人の仲間がいます。 9人でモンゴルに閉じ込められてしまいました。 このままだと全員殺されてしまう。 しかし、たった1人だけ日本に帰ることができます。 残った

          死について考えてみたこと

          10代最後の日に。

          私事ですが、明日で20歳になります。 誕生日を前にワクワクするのは小学校で卒業したはずが、やはり20歳となると例年とは違う感情が湧き上がってくる。 大人になるのかぁぁ!笑 大人になるってどういうこと?? 現時点でわたしが出す答えは 「自由になること」 自分のことを自分で決められる。 自分で決めたことに自分が責任を持つ。 形式上保護者の同意は必要なくなる。 他人に迷惑かけようが自分の責任になる。 そういう意味で自由になること。 自由には責任が伴う。 一方で、10代という

          10代最後の日に。

          愛されるよりは愛することを。

          中学生の時、たまちゃんって結構毒舌だねって言われた。 そのくらい、言いたいことストレートに相手にぶつける方だった。 相手が傷つく傷つかないとかどうでも良かった。 自分の素直な感情を思いっきり露出していた。 自分の言いたいこと言わずにモジモジしている友達がかわいそうって思ってた。 自信なくてもとりあえず前に出て踊ってみる自分が好きだった。 反抗期だったから、人と同じことをしたくなかった。親や先輩、先生に言われたことに従順になりたくなかったというのもある。 でもだんだんエスカレ

          愛されるよりは愛することを。