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愛されるよりは愛することを。

中学生の時、たまちゃんって結構毒舌だねって言われた。
そのくらい、言いたいことストレートに相手にぶつける方だった。
相手が傷つく傷つかないとかどうでも良かった。
自分の素直な感情を思いっきり露出していた。
自分の言いたいこと言わずにモジモジしている友達がかわいそうって思ってた。
自信なくてもとりあえず前に出て踊ってみる自分が好きだった。
反抗期だったから、人と同じことをしたくなかった。親や先輩、先生に言われたことに従順になりたくなかったというのもある。

でもだんだんエスカレートして、毒舌なたまちゃんは、傲慢なたまちゃんに変わってしまったんだ。
私が正しい。私がリーダーなんだから、副リーダーに選ばれたんだから、みんなより正しい。人のことを批判するのが当たり前になった。
気づいたらいつも誰かのせいにしていた。

ある日、友達に言われたの。
「たまちゃん、うちらのこと見下してるでしょ!?」って。

図星だった。なにも言えずに泣きじゃくるしかなかった。
なんでこんなに最低な人間になっちゃったんだろう。自分でもわからなかった。

もう二度と、人のことを見下したりしない。って誓った。

でも数ヶ月後に同じ過ちを繰り返してしまった。
私が正しい。あなたは間違っている。なんでわかってくれないの??あなたのせいで私はうまくいかない。あなたが変わってくれないと私はやっていけない!!
ぶつかり合ってわかったことは、
私が最低な人間だった。ということ。

本当に自分が悪かった。心の底から思った。前よりもっと心の奥深くで。

相手がどう思うのか、どう受け取るのか、ちゃんと想像できる人になろう。そうすれば、相手と自分を同じ目線に立たせて考えることができるでしょ?

思ったことを口に出すのはグッと我慢するようになった。(顔には出すけどw)
自分が正しいとは限らない。相手がどう思うのか、どう感じるのか想像した上で自分の意見を述べるように意識し始めた。

そうしたら、人付き合いがうまくいくようになってきた。精神的に参っていた友達に手を差し伸べて感謝された。目上の人に「なんでこんなこともわからないの!?」って怒られることが減った。先生との喧嘩が大人になった。人の悪口を言わなくなった。

これは私の中で、成功体験だと思っていた。
特に大学では、友達がたくさんできた。みんなから「たまちゃんは良い子だね」って言われて気分が良かった。
やっと自分の長所を伸ばせたって思った。揉め事の無い毎日が楽だった。一昔前の自分だったらイライラしてしまいそうな友達の行動になんの感情も抱かなくなった。

でも今考えてみれば、友達に無関心になったことでストレスが減っただけだ。友達関係でストレスがないってこんなにも楽なんだって思った。
結局、できた友達のほとんどは顔見知り程度ってだけなんだ。
今年に入ってからも、たくさんの人と出会ったのに、私が相手に合わせて仮面を選びながら接しているから、関係が続かない。活き活きとした人生を送る素敵な人にたーくさん出会ったのに。

「愛されるよりは愛することを求めなさい」
というカトリックの教えがある。

私に足りないのはまさにこれだ。
認められたい。必要とされたい。求められたい。理解してほしい。っていうエゴでいっぱいなのだ。
だから、傲慢になっちゃう。
相手を傷つけるのが怖くて、良い子でいたくて、本当に言いたいことを言えない。それは、否定されるのが、傷つくのが怖いだけなんだ。
自分から心を開かないから、相手も開いてくれないんだ。

そんな人間にはなりたくなかった。
一番願っていなかったことなのに…

向き合わなきゃ!自分の弱みに!

そして強くならなきゃ!
否定されても、理解してもらえなくても、自分を持ち続けられるように。

慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを
私が求めますように
私たちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、自分を捨てて死に、永遠の命をいただくのですから (「平和を求める祈り」より)

がんばろ!
成長し続けよう!

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