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幸せを感じる瞬間

12/25〜1/1
ミャンマーに行ってきました。
参加したのはYMCAの「ミャンマー・ボランティアの旅」
海外にはよく行くけど、いわゆるボランティアという名称が付くものは参加したことがなくて、しかもあんまり興味ない介護っていう分野がメインで、自分がこの旅にどんな気持ちで行けばいいのかわからないまま出発した。

大1の夏にフィリピンの孤児院に行って以来、発展途上と言われる村に行くのは好き。(発展途上というとマイナスな感じがするからあんまり言いたくないけど!)

村人たちは自然と共存していて、のんびりとした時間が流れる。村人同士のつながりが深くて、笑顔は明るい。トイレは汚いし、家の中も土だし、屋根は壊れそうだけど、幸せそう。

日本では(特に都会では)見られないこの雰囲気が好き。

言葉が通じないから、表情とかジェスチャーでしか会話できない。でも、その表情やジェスチャーに反応してコミュニケーションをとるのも好き。

介護のアドバイスのために訪問したある一件の家でこんなことがあった。
家で転倒してから歩くのが難しいおばあちゃん。
介護の悩みを打ち明ける家族。
何ができて、何ができないのかインタビューして解決策を考える日本から来た看護師、介護福祉士。
医療も道具も行き届いてないこの場所で何ができるか頭を悩ませる。
ふと家族の表情をみると、眉間にシワが寄っていた。
おばあちゃんの気持ちになってみた。
自分のことで家族が悩んでいる。
表情も雰囲気もグレーだし、私だったら申し訳なくなる。
これからもっと動けなくなったらと考えると不安になる。
よく考えれば、この家に入った時からおばあちゃんの笑顔を一度も見ていない。
なんでかわかんないけど、私はどうしてもこのおばあちゃんの笑顔を見たくなって、でも言葉は通じないから、通訳さんに教わったバナナの歌を披露してみせた。そしたらおばあちゃんが笑ってくれた。嬉しくなって何回も踊った。折り紙で鶴を折ってプレゼントした。

他の家では、子どもと折り鶴で戦いごっこしてみたり、日本人を怖がるおじいさんに仲直りの印で折り紙プレゼントしたり、、、

そうやって言葉の壁を越えてコミュニケーションとるのが単純に楽しい。

自然と共存し、人間らしい生活をしているからこそ現れる無邪気な笑顔を見るのが大好き。

それが好きだから、だから村に居たいと思うんだ。

人間らしい彼らといると、私は幸せを感じられるし、そんな自分が好き。

途上国を発展させたいから途上国に行くのではなく、そこにいると幸せだから途上国に行くのだと気づいたわけ。

海外でバリバリ医療やるのもピンとこない。
かと言ってミュージカルつくるのもピンとこない。じゃあ私は海外行って結局何がしたいの?

そんな疑問を持ったままミャンマーに行って正解だった。

また一歩進んだ旅でした。

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