とうきび畑でつかまえて
プロローグ
目の前に流れてきた回転寿司を見て、安達息吹(あだちいぶき)は愛想よく微笑んだ。
「はじめまして、よろしくお願いします」
前の席に座った寿司――男性とプロフィールシートを交換し、内容を確認する。シートには生年月日や血液型をはじめ、家族構成や住まいの環境、飲酒や喫煙習慣の有無まで事細かに記されている。
婚活パーティーの前半は参加者が全員と会話できるよう、一人三分のトークタイムが割り当てられていた。
大人数のパーティーはまるで椅子取りゲーム。会話が終わると男性陣は隣の席に移動する。次々と流れていく寿司の中から、女性陣は目を凝らして大トロを探していた。
息吹は目の前に座る相手の職業欄を見た。公務員。年収は三百万。
「お仕事は何をされてるんですか?」
「自衛官です」
やっぱりね、と心の中で呟く。
「ほかにも自衛隊の人がいましたが、お友だちですか?」
「そうです。今日は休みなので、みんなで婚活パーティーに行こうって話になって」
彼は野球少年のような坊主頭だった。服装こそ年齢相応だが、ほかの男性参加者と佇まいが違っている。婚活パーティーで自衛官に出会うのは今日に限ったことではなく、息吹はひと目で見抜いてしまっていた。
「自衛隊のお仕事って大変ですよね。寮生活だと自由も少ないだろうし」
「そうなんです。男ばかりの職場だから出会いもなくて」
札幌近郊には様々な駐屯地があるため、彼らの婚活事情は常々耳にしていた。
なにかとストレスの多い寮生活を送る自衛隊員。彼らが基地の外に住まいを持つ方法のひとつに、結婚して家庭を持つことがある。そのため積極的に出会いを求める人が多く、公務員の安定した生活を望む女性たちからも一定の需要があった。
条件としては申し分ないが、プロフィールに書かれた年齢は二十三歳と若い。彼は息吹の二十九歳という年齢を見て笑顔が引きつり、会話が弾まぬまま三分間のトークタイムが終わった。
休憩時間を挟んだ後、パーティーの後半はフリータイムとなり、参加者同士自由に会話を楽しむ。椅子は撤去され、会場の中央に軽食が用意された。飲み物はウーロン茶やジュースのソフトドリンク他、瓶ビールや焼酎などお酒も用意されている。立食形式の料理はオードブルや乾きもののおつまみ。生寿司を見つけ、息吹は迷わず箸を伸ばした。
スーパーで売っているような安いお寿司だ。ネタが乾いてぱさぱさしている。おいしいものではないとわかっていながら、息吹はパーティーに参加するたびにお寿司を食べてしまうのだった。
紙皿にのせた料理をつまんでいると、男性陣に料理をとりわける女性が目に入った。積極的にお酌をし、ドリンクを注がれた男性もまんざらでもない表情を浮かべている。自分にも同じようにアピールしていた頃があったことを思い出し、息吹は紙コップにジンジャーエールを注いだ。
今回参加したのは、二十五歳から三十五歳までが対象の大人数型パーティーだ。休憩時間に中間印象のアンケートをとり、フリータイムの最中にスタッフから結果の用紙を配られる。そこには好感を抱いた男性の競争率が書かれていた。
息吹が選んだのは数学教師の男性だった。ジャケット姿に清潔感があり、塩顔だがハンサムな顔立ちをしている。今回の人気ナンバーワンの彼は、フリータイムが始まるや否やたくさんの女性に囲まれていた。
印象調査には自分を選んだ男性の情報も記されているが、息吹を選んだ人はいなかった。ひとりで食事をしても話しかけてくる人はいない。長く伸ばした髪をコテで巻き、ワンピースにナチュラルメイクと婚活受けする服装を選んだつもりだ。しかし、女性はみな似たような姿をしており、男性が声をかけるのは目鼻立ちの整った美女ばかりだった。
サーモンの脂が舌にまとわりつき、息吹はジンジャーエールで洗い流す。その甘ったるさが気持ち悪く、コップにビールを注ぎたしてシャンディガフを作った。
元来お酒に強い体質ではない。けれど、飲まずにいられなかった。
「今日のパーティーは正直ダメ会ですね」
ふいに声をかけられ、息吹は甘エビの寿司を頬張りながら振り向いた。
「あっちの自衛隊グループなんて合コン状態じゃないですか。こっちは真剣に相手を探してるっていうのに」
話しかけてきたのは年上の男性だった。品のよいスーツを厭味なく着こなし、腕には高級そうな時計をつけている。彼が手に持つコップにはビールがなみなみ注がれており、目元がかすかに赤らんでいた。
ファーストタイムで話しているはずだが、名前はおろか話の内容ですら覚えていない。息吹は酔いのまわった頭で記憶を掘り起こす。
「高園(たかぞの)です。一度にたくさんのひとと話したら名前もなにも覚えられませんよね。せっかくなので、少しお話ししませんか?」
男性――高園に言われ、息吹はごくりと寿司を飲み下した。
印象調査の結果が悪くとも、フリータイムで仲が深まることもある。婚活パーティーでは、いつ何時チャンスが訪れるかわからない。
「よかったら、名前を教えてもらえませんか? 番号で呼ぶのは寂しいので」
「……安達息吹です」
「イブちゃんか。可愛い名前だね」
高園は突然口調を砕いた。その話し方に、息吹はようやく彼のことを思い出す。
前半のトークタイムで息吹の前に座った際、彼は直前まで話していた女性との会話をやめようとしなかった。よほど好みのタイプだったのか、息吹のことなど眼中になかったのだ。
婚活パーティーの年齢制限は甘く、彼は三十八歳だった。ご執心だった女性は二十代前半。若い女性たちは人気ナンバーワンの教師に群がるか、自衛隊グループの男子たちと盛り上がっているようだ。
「俺、歯科医なんだよ。いつもはエグゼクティブのパーティーに参加してるんだけど、たまには違うところに行こうと思って」
トークタイムの際、息吹も職業が気になり話しかけようと思った。しかし彼は隣の様子ばかりを気にし、ろくにコミュニケーションもとろうとしなかったのだ。
「イブちゃんは何の仕事してるの?」
「……いまは家事手伝いです」
いいよどむ息吹に高園の眉がぴくりと動く。
「求職中ってこと? 前の仕事は?」
「製菓会社で販売員をしてました」
「あれって短大卒の子が多いよね。学歴低いと再就職もいいとこ見つからないでしょ?」
「……はあ」
不躾な言いように息吹は閉口する。彼はビールをあおり、赤い目をふと見開いた。
「思い出した、家事手伝いの子。二十九歳だっけ?」
彼はようやく息吹を思い出したらしい。
「三十前の無職で婚活って、男の人生に乗っかる気まんまんじゃん!」
彼の声は会場内に大きく響いた。
「いるよな、三十前で焦って婚活する女。エグゼクティブのパーティーに来る女なんてみんな三十過ぎで、俺らのことATMとしか見てないんだよな。なんで自分が稼いだ金をババアにくれてやらなきゃなんねーんだっつの」
「……別に、みんながみんなお金目当てで婚活してる訳じゃないと思いますけど」
息吹はひかえめに言い返してみるが、彼の耳には届かない。
「それが嫌で普通の婚活パーティーに来てみたら、今度は極端に若いやつか極端に焦ってるやつのどっちかだな。こっちは子供を産んでくれる健康な若い子がいいっていうのに、若いのは若いの同士でつるむしさあ」
彼は本命の女性に振り向いてもらえないのが悔しいのか、わざと声を張り上げて話す。息吹は運営スタッフの姿を探したが、こういう時にフォローするはずの姿はどこにもない。
「婚活パーティーより先に仕事見つけたら? 三十歳で無職で婚活って、それで見初めてくれる人がいるとは思えないけど」
「まだ二十九歳です」
しかし、二十代でいられるのは今日までだ。暦は五月に変わり、明日の自分はついに三十の大台にのってしまう。
「そもそも、婚活パーティーに参加しないと出会いがないっていう時点で、その程度のレベルってことだよな」
「それをあなたには言われたくないですね」
思わず、その言葉が口からこぼれていた。
最後の望みを託した婚活パーティーで、なぜこんな思いをしなければならないのか。息吹は紙コップを握りしめ、高園を見上げた。
「出会いがないのはそっちも同じでしょ? 自分のレベルが高いと思うなら婚活をする必要もないですよね」
突然の反論に、高園は一歩二歩と後ずさる。
彼の顔が赤いのは酔いのせいか、それとも屈辱のせいか。おそらく自分も同じような顔をしているに違いない。怒りで胸の鼓動が早まり、余計に酒がまわるのを感じた。
「三十前の女を馬鹿にするのは結構ですけど、二十代前半の若い子に声をかける三十八歳も十分滑稽ですからね。若者同士でつるむなんて当たり前じゃないですか。若い子は結婚に焦ってないから、まずは恋愛をするために齢の近い人を選びますよ」
そして若い男性もまた、結婚に焦るアラサー女子に怯み若い子を選ぶ。不毛なブーメランの応酬とわかるも、息吹は話すのをやめられなかった。
「女は男の年収ばかり見るって言うけど、男だって女の年齢ばっかり見てますよね。そっちがATMATM言うならこっちは子供を産んで育てる機械じゃないですか」
続けざまの反論に、口をぱくぱくと動かす彼はまるで金魚のようだ。
「自分がモテないだけのことなのに、僻みをわたしに押し付けないでください!」
会場中に、息吹の叫びが響いた。
一気にまくしたて、乾いた喉を酒で潤す。ようやくスタッフが駆け付けたが、彼らが声をかけたのは息吹だった。
「お客様。参加者様とトラブルを起こされては困ります」
「絡まれてるのはこっちなんですけど!」
やり場のない気持ちに、紙コップを握りつぶす。ほかの参加者は騒ぎを遠巻きに見るばかりだった。中には好奇心丸出しの表情を浮かべている人もいる。人気ナンバーワンの数学教師はあきらかに引いていた。
終わった、と、息吹は思った。はたから見れば、モテない参加者がヒステリーを起こしたと思われるだろう。
事情を説明する暇も与えず、会場からつまみ出される。スタッフには次回参加についての制限を言われ、ブラックリストに載ったことを知った。
帰りの地下鉄の中、息吹は後悔の気持ちで一杯になった。
パーティー会場で口論したのは自分も悪い。絡まれたとはいえ適当にあしらえばよかった。滅多に飲まないお酒で悪酔いし、卑屈な気持ちになっていたのは自分も一緒だ。
SNSに愚痴をぶつけよう。スマートフォンを取りだすと、求人サイトからメールマガジンが届いていた。
息吹が仕事を辞めてから、間もなく一年が経とうとしていた。
新卒で入社した会社を退職し、失業保険を使い切ってもなお漫然と日々を過ごしている。実家暮らしで生活に困ることもなかった。
就活よりも婚活。家庭に入って専業主婦になってしまえばいい。
そう思って婚活に精を出したが、出会う人とうまくいったためしがない。
無職の婚活は男性の経済力をあてにしている、と、高園が言ったことは的を射ている。専業主婦を養える男性は、子供を産み育てる女性は若ければ若いほどいいのだろう。
無謀な婚活をずっと続けてしまっていた。いまの自分に必要なのは婚活より就活だ。
しかし、再就職に踏み出せない自分がいる。
メールマガジンに載っている職種は、コールセンターのオペレーターや販売スタッフなど多岐にわたる。適当に読み流しているうちに、他とは毛色の違う求人を見つけた。
『夏の富良野(ふらの)で大自然を満喫しながら働こう!』
「……富良野?」
そのタイトルが気になり、求人を開いた。
富良野といえば北海道でも有数の観光地だ。仕事内容は、夏に最盛期を迎える観光地で販売の仕事をするというものだった。
いわゆるリゾートバイト。若者が多いイメージだが、求人に載った写真が目を引いた。
抜けるような青空と、画面いっぱいに広がるラベンダー畑が鮮やかだ。
「行こうかな、富良野」
二十代最後の日、息吹は応募のメールを送った。
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