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とうきび畑でつかまえて~4,北海道の中心で、愛を叫ぶ②

 普段は観光客の車が停まる北星山駐車場だが、今日はテントが並び夏祭りの様相になっていた。小さな町のお祭りだと思っていたが、会場はたくさんの人であふれていた。
 出店はすべて中富良野町の店のものらしい。王道の焼き鳥もあれば、人気のカフェやパン屋の出店もある。ビールやソフトドリンクなど飲み物を提供しているのは農協青年部だった。それぞれの看板を眺めていると、ふいに背後から肩を叩かれた。
「息吹、どうしたのその格好」
 声をかけたのは和奏だった。彼女は制服の上にパーカーを羽織っている。会場のあちこちで、仕事帰りのミル・フルールスタッフを見かけた。
「浴衣なんて持ってきてたの?」
「これは、その……」
 いったいどこから話せばいいのだろう。言いよどむ息吹に、和奏は何かを察したのかそれ以上追及しなかった。
「その格好ならほかの人は気づかないよ。花火が始まったら、みんな上ばかり見てるしね」
 田舎の人間関係が狭いように、ミル・フルールのスタッフ間もそれなりに濃い。和奏の配慮に頭を下げると、彼女は息吹の頬に飲み物のプラスチックコップを押し付けた。その冷たさに悲鳴が上がる。
「ちょうどよかった。これ、あげるわ」
 彼女は手にビニール袋を提げていた。中には缶の発泡酒が入っているが、彼女はプラスチックカップの生ビールを握っている。
「会場のビールは高いからコンビニで買っておいたんだけど、やっぱり生の誘惑には勝てなくて。ぬるくなる前に息吹も飲んでよ」
 からからに乾いた喉が水分を欲していた。明日は休みのため、酔っても困ることはない。発泡酒を受け取り、プルタブを開けると飲み口から泡が飛んだ。
「連休初日、おつかれさま!」
「おつかれさまです!」
 声高らかに乾杯をし、息吹たちは勢いよくお酒を流し込んだ。
 生ビールは苦味が強くて苦手だったが、発泡酒の軽い口当たりが心地よい。ぐびぐびと喉を鳴らす息吹を見て、和奏が目を丸くする。
「息吹、けっこう飲めるんだね」
「一日中喋り続けたから、喉がからからで」
 空きっ腹の飲酒に、胃がかっと熱くなるのを感じる。喉の渇きは満たされたはずだが、喋り疲れたのどに痛みが残っていた。
「和奏さん、ひとりで来たんですか?」
「今日は去年働いてたメンバーと一緒なの」
 リピーターの和奏はミル・フルールでも顔が広い。昨年一緒に働いていたスタッフが別の寮にいるらしく、その子たちと一緒にまわっているそうだ。
「いま、手分けして出店を回ってるの。農協のいももちを買いたくて」
「いももち、食べたい」
 アルコールが急激にまわり、胃に食べ物を入れないと悪酔いしてしまいそうだ。足取りが確かなうちにと、息吹は出店を探した。人混みをかきわけたどり着いた先に、農協青年部ののぼりが立った大きなテントがある。
「一パック二個入りか、ちょっと多いかな、ほかにもいろいろ食べたいし」
「じゃあ、一つずつ食べませんか?」
 息吹の提案に乗り、和奏はいももちを一皿買う。つぶしたじゃがいもに片栗粉を混ぜて焼くいももちは道民おなじみのおやつだ。平たく焼いたもちには砂糖醤油のたれがたっぷりかかっており、焼き立ての熱さをが発泡スチロールのトレイ越しに感じた。
「いただきます!」
 たれがこぼれないよう気をつけながらかぶりつく。いももちは作り方が様々であり、荒くつぶして食感を楽しんだり、たっぷりのチーズを入れたりと家庭の味がある。青年部のいももちは丁寧につぶされ、舌触りも滑らかだった。
「熱っつ!」
「でも、おいしい!」
 感想を言い合う口から湯気が噴き出す。火傷しそうな舌を発泡酒で冷ますと、あっという間に空になってしまった。息吹たちの食べっぷりを見たほかの客もつられ、出店はあっという間に行列ができる。
「あんたら、おいしそうに食うねぇ」
 テントの中から声をかけてきたのは、先ほど会った穂高の父親だった。膝の上には穂乃花が座り、茹でとうきびをかじっている。
「豊(ゆたか)さん、相変わらずイケメンですね!」
 和奏は彼とも顔見知りらしい。父親――豊は彼女の言葉に太鼓腹を景気よく叩いた。
「いい食べっぷりだ。ビール持ってきな!」
「ありがとうございます!」
 豊がサーバーを操作し、溢れんばかりに注いだ。無料で生ビールをもらい、和奏が笑顔でお礼を言う。ビールは息吹の分もあった。
 和奏は焼き鳥が食べたいと言い、人混みの中に消えた。花火の場所取りについて訊くのを忘れていたが、会場では子供神輿が始まり移動することができない。手持ち無沙汰にビールを飲むと、発泡酒で慣れたのかいつもより苦味を感じなかった。
「――いたいた、息吹」
 人混みの中を立ち尽くす息吹を、穂高はすぐに見つけた。
「浴衣だと探しやすくていいな」
「これ、海さんの浴衣なんだって。藍染が綺麗だよね」
 青年部の出店は常に混雑しており、彼も抜け出すのが大変だったに違いない。その手に茹でとうきびを持っていた。
 会場を練り歩いていた子供神輿が終わると、いよいよ花火の時間が始まる。運営からアナウンスが流れ、人々が北星山の方角を見た。
 穂高もお腹が空いていたのか、大きな口を開けてとうきびをかじっている。先ほど、穂乃花が食べていたのを見ておいしそうだなと思っていた。息吹の視線に気づいたのか、彼が食べかけを差し出す。
「食べる?」
 とうきびは手でむしったかのように芯だけが残っていた。几帳面に頭から尻尾まで順番にかじっており、汚らしさはない。
 穂高に促され、息吹はひと口かじる。実の皮がやわらかくはじけ、とうきびの甘さが舌の上に広がった。
「……おいしい!」
「おう、もっと食え」
 いつも食べているとうきびは実が固く歯ごたえがあったが、出店のとうきびは柔らかく、皮が歯の隙間に挟まることもない。
 なにより、甘い。サッカリンのような人工甘味料特有の味もない。こんなにも甘いとうきびを食べたのははじめてのことだった。
「どうしてこんなに甘いの?」
「朝に採れたものをすぐに茹でたんだ。朝茹でとうきびはすぐに売り切れちゃうから、売り子に頼んで取り置きしてもらってたんだよ」
「いつ茹でたかどうかで味が変わるの?」
「とうきびは収穫したらすぐに甘さがなくなっていくんだ。採れたて茹でたてのとうきびはもっともっとうまいんだぞ」
 自慢げに穂高は言う。息吹がかじった跡を気にせず、彼は綺麗にとうきびをたいらげた。
「いいな、ビール」
「自分だけごめん」
 穂高は車があるため飲むことができない。二杯目のビールも半分まで減り、本格的に酔いが回ってきた。歩くと足元がふらつくが、それを悟られないように平静を保つ。
「今日の仕事、どうだった? 混んだ?」
「ひどかった。あんなに忙しいなんて思わなかった……」
 仕事の話をしているうちに、花火の時間が始まった。中富良野町は花火と音楽を組み合わせて打ち上げるタイプで、BGMを説明するアナウンスが流れる。
 はじめはゆったりとしたバラードとともに、花火が一つずつ打ち上がる。北星山に設置された発射台は距離が近く、山の法面に沿うように花火が開いた。
 息吹はそれを写真に収め、メッセージのアプリを開く。
「チーフもお祭りに来たがってたから、送ってあげよう」
「それって、こないだ話してた人?」
 花火の合間にも会話をする余裕があり、息吹はアプリのトーク画面を見せた。
「この間ね、勇気を出して連絡してみたの」
 画面に残るのは、村崎との簡素な会話のみ。
『お久しぶりです。チーフにお話したいことがあって、ご都合よい時間はありますか?』
 その折り目正しいメッセージの後、彼女から着信があった。

「安達さんが突然辞めるなんて、やっぱりおかしいと思ったの」
 寮の帰宅時間を遅らせたある日、帰路の途中で息吹は村崎の電話を受けた。
「私もあのあと、新店舗のオープンで忙しくなってね。彼ともすれ違いが増えて喧嘩ばかりになって、一度お別れしたの」
「……そうだったんですか?」
 自分が辞めた後のことは何も知らない。新店舗オープンの忙しさは計り知れず、そういう時ほど互いの絆が試される時だ。彼は仕事に明け暮れる村崎を支えきれなかったらしい。
 寮への帰り道、歩道を歩くと車のヘッドライトが息吹を照らしていく。一人歩きを心配した穂高に、夜は車どおりの多い国道沿いを歩くように言われていた。
「別れ話の時に、彼が突然、安達さんとのことを暴露したの。二兎を追う者は一兎も得られなかったって。自分に酔ってて、すごい気持ち悪かった」
 息吹に見せた姿とそう変わらない姿を、彼は村崎にも見せたらしい。結局彼は、自分がしたことを隠し通す忍耐がなかったのだ。
「それで、どうして安達さんが辞めたのかようやくわかった。でも、私もすぐに連絡できなくて……どうして何も教えてくれなかったのかって、疑心暗鬼になっちゃって」
「それはわたしが悪いんです。もっと早く話していれば」
「でも、早くに知っていたらわたしは安達さんのことを恨んでいたと思う。だからあのときはあれでよかったんだと思うよ」
 軽トラが一台、息吹を追い抜いていく。穂高かと思ったが、車はそのまま走り去ってしまった。この町では白い軽トラなど誰もが持っているのだ。
「安達さんが、一番、辛かったよね」
「そんな、わたしは……」
 傷ついたのは事実だ。村崎や彼のことを心の底から憎んでいた。自分が婚活に明け暮れている中、ふたりはのうのうと幸せな時間を過ごしていると思っていた。
 けれど、自分が知らぬところでふたりにも変化があったのだ。
「連絡先も消してSNSもブロックして、もう二度と会うこともないと思ってたんだけどね。年明けくらいかな、久しぶりに参加した婚活パーティーで偶然再会しちゃって」
 札幌にはさまざまな会社の婚活パーディーがあるが、その実、参加者の輪は狭い。息吹も違う会社のパーディーで同じ男性と会ったことがある。
「それからまた、連絡をとるようになったの。はじめは婚活の情報交換をしてたんだけど、そのうちまた二人で会うようになって」
「チーフもひどいことをされていたのに?」
「そうなの。だから私も散々悩んだんだけどね」
 息吹なら決して受け入れることはできないだろう。彼がまた同じことを繰り返すとも限らない。失った信頼は二度と取り戻すことができないのだ。
 けれど、村崎は違った。
「二回目のプロポーズをした時に、彼、土下座したの。君にしたことは一生をかけて償うって。安達さんにも謝りたいけど、きっと俺の顔を見るのも嫌だろうって」
 人生で最高にロマンチックなはずのプロポーズが、土下座とは聞いたことがない。電話口に話す村崎も笑っていた。
「私もなんで受けちゃったんだろうね。それなりに付き合いも長くなったから、情みたいなものがあったのかも」
「チーフが納得されて出した結論なら、それでいいと思います」
「でもね。ずっと、安達さんのことが忘れられなかったの」
 息吹に黙って結婚することは簡単だろう。職場が離れれば接点もなくなる。お互いに連絡さえしなければ、何も知らぬままそれぞれの道を歩むことができた。
 けれど息吹たちは、富良野の地で再び出会ってしまった。
「私が結婚すること、安達さんは許してくれないだろうなって」
 村崎も同じように悩んでいた。息吹があれほど望んでいた苦しみを彼女は味わったのだ。自分のすることが相手を傷付けるかもしれないと、その恐怖を身をもって学んだ。
 けれどそれを知っても、息吹は嬉しいと思えなかった。
「……たしかに、なんでよりを戻すのか疑問ではありますけど」
「私、駄目な男の人が好きなんだろうね。だからこの齢になっても結婚できなかったのよ」
 仕事での面倒見の良さが、プライベートになるとそう転がるのか。尊敬していた先輩の意外な一面に、息吹は面食らう。
 息吹が仕事を辞めて富良野の地にやってきたように、村崎と彼の間にも同じだけの時間が流れていた。息吹の知らない絆が二人の間にはあるのだろう。
 それを自分がどうこう言えるものではない。
 新しい車がまた一台、正面から走ってくる。その強いライトに目を細めると、白い軽トラだと気づいた。
 運転手は穂高ではない。けれど息吹は、その車を見ただけで勇気をもらえるのだった。
「幸せになってくださいね、チーフ」
 ありったけの勇気を振り絞り、息吹は電話の前で笑顔を作った。


「――とまあ、そんな感じかな」
 息吹が話し終えたころ、メインの打ち上げ花火が始まった。
 夜空を大玉と小玉の連続打ち上げが始まる。目の前で打ちあがる花火は迫力があり、大輪の花が開くたびに山肌が花火の色に染まった。 
 穂高がなにか言っているが、花火にかき消されて聞こえない。息吹が聞き返すと、彼は耳元で声を張り上げた。
「息吹はそれでいいの?」
 その表情は不満げだ。間近にある彼の顔に、息吹も負けじと声を出す。
「いいんだと思う」
「思う?」
「わたしも気持ちの整理がついてないの」
 それは村崎も同じだろう。おそらく、彼も。
「穂高も言ってたでしょ? 雲と霧は同じだけど、見る場所が違うだけで姿が変わるんだって。だからわたしも、時間がたてばわかるようになるんだよ」
「でも……」
「もういいの、これで終わり」
 たーまーやー、と、会場のあちこちで歓声があがる。話し疲れ、息吹は手に持つビールを一息に飲み干した。
 お酒が思考力を奪う。ぐるぐるとまわる頭の中、今日の出来事が何度も繰り返される。
 妻の仏前に供える土産を買った、あの男性の表情が忘れられない。仏壇に話しかけながら、お線香をあげる姿が容易に想像できた。
 周囲の歓声にあわせて、息吹は叫んだ。
「わたしも、結婚、したい!」
 打ち上げ花火の音にかき消され、息吹の叫びに気づく人はいなかった。
 いまの時代、ひとりで生きていくことはなんら珍しくない世の中だ。独身を謳歌する人も多く、寮で暮らす年上の女性たちも結婚に焦っている様子はない。
 息吹はいままで、村崎とその恋人を見返すため婚活に明け暮れていた。しかし、村崎と話したあの日から、本当の気持ちを考えるようになっていた。
「わたしも、誰かに選ばれたい!」
 長年連れ添った細君のためにお線香を買った、あの男性のように。
「誰かと一緒に、生きていきたい!」
 共白髪生ゆるまで、寄り添い、生きていく。そんな関係が自分にもほしかった。
「わたしも……!」
 愛が、欲しい。
 その叫びは声にならず、ただ吐息が漏れるだけだった。
「……息吹?」
 花火が叫びを掻き消すが、隣に立つ穂高には聞こえてしまう。彼は顔に驚きをはりつけたまま、息吹を見つめた。
 酔いがまわって、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。目には涙まで浮かんでいた。
 鼻緒が擦れて足が痛い。それを和らげようと身体を動かすと、酔いが力を奪った。よろめく息吹を、穂高が支える。
「わたし……」
 いままで言葉にできなかった感情が、花火のように爆発していた。にじむ涙を乱暴に拭い、息吹は穂高を見上げた。
 唇の端に、とうきびのかけらがついている。それに気づき、伸ばした手でつまむ。
 花火が夜空を彩り続けている。息吹を見下ろす彼は、いままで見たことのない表情をしていた。
 それは哀れみか、怒りか、驚きか。付き合いの浅い息吹には表情に名前を付けることができない。
 息吹の指先を伝うように、彼が動く。
「穂高?」
 呼びかけが声になる前に、彼の唇が塞いだ。
 穂高はとうきびの味がした。

 花火大会の夜。朝日が昇るまで、穂高とともに過ごした。


#創作大賞2024 #恋愛小説部門


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