田丸久深

小説家。第10回日本ラブストーリー&エンターテインメント大賞・最優秀賞受賞。既刊は『小…

田丸久深

小説家。第10回日本ラブストーリー&エンターテインメント大賞・最優秀賞受賞。既刊は『小樽おやすみ処カフェ・オリエンタル』『眠りの森クリニックへようこそ』『僕は奇跡しか起こせない』『YOSAKOIソーラン娘』『陸くんは、女神になれない』など。

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  • とうきび畑でつかまえて

    【長編小説】 30歳の誕生日、息吹(いぶき)は北海道・富良野のラベンダー畑でリゾートバイトを始める。きっかけは婚活の苦い思い出だった。 お仕事あり・恋あり・涙あり、ひと夏の物語が始まるーー 毎日18時に更新します。

  • リメイク短編小説

    アマチュア時代に投稿した短編小説をリメイクして公開します。

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とうきび畑でつかまえて

    プロローグ  目の前に流れてきた回転寿司を見て、安達息吹(あだちいぶき)は愛想よく微笑んだ。 「はじめまして、よろしくお願いします」  前の席に座った寿司――男性とプロフィールシートを交換し、内容を確認する。シートには生年月日や血液型をはじめ、家族構成や住まいの環境、飲酒や喫煙習慣の有無まで事細かに記されている。  婚活パーティーの前半は参加者が全員と会話できるよう、一人三分のトークタイムが割り当てられていた。  大人数のパーティーはまるで椅子取りゲーム。会話が終わ

    • 夏の思い出盛り合わせ、RSR2024

      「お前にライジングは無理だよ」  20代前半、当時付き合っていた恋人にそう言われたのをいまもよく覚えている。  6歳上だった彼はライブが好きで、モッシュやダイブは当たり前。対してわたしは田舎生まれ故ライブハウスというものに行ったことがなく、札幌に住み始めてようやく好きなアーティストのコンサートに行けるようになった初心者中の初心者でした。  8月のお盆は毎年実家に帰省していたわたしと、仕事でイベントスタッフをしていた彼。8月のお盆休みは、わたしが帰省している間に彼が毎年北海道石

      • note創作大賞2024投稿を終えて。

         こちらで作品やエッセイ以外の文章を投稿するのははじめてかもしれません。  お読みいただきありがとうございます、田丸久深です。  以前からアカウントを作っていたものの、どう活用したらよいものかわからず稀にしか更新していなかったnote。2024年のnote創作大賞に合わせてようやく動かしてみました。  しかし、〆切が終わるととたんに更新しなくなり、これはだめだなと……普段はXであれこれお話ししていますが、読書感想はInstagram、映画や長文で書き連ねたい感想はnoteな

        • アメイジング・レイニー・ソング④

                ○○○  狙い通りまっすぐ飛んだ水は、ピアノよりも少し手前で四方に跳ね返った。  しぶきを受けたストーブから蒸気が上がる。こたつも濡れ、電気カーペットが水浸しになる。室内にできた水たまりは、水滴が落ちると小さな波紋を作っていた。 「……アメ兄」  その波紋の上で、アメ兄はきょとんと、わたしを見つめていた。  彼は気づかれないと思っていたのだろう。息も気配も殺して、わたしが探し回ってあきらめるのを待っていた。それをいとも簡単に見破られたことに、悔しさよりも、

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        とうきび畑でつかまえて

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        • とうきび畑でつかまえて
          19本
        • リメイク短編小説
          5本

        記事

          アメイジング・レイニー・ソング③

          「……ん」  いつの間にか眠っていたようだ。  涙が乾いて、目じりがパリパリする。休みの日はいつも遅くまで寝ているため、早起きには慣れていなかった。  雨はあいかわらず降り続き、からくりの音楽も繰り返されている。ぴちゃん、ぽちゃんと低い音はバケツやお鍋にたまった水に。ちん、とん、しゃんと高い音はガラスのコップやプラスチックのカップに。雨の音色だけは、いつ訪れても変わらない。  身体を起こすと、ひやりと冷たい風を感じた。換気のために窓が少し開いている。空は重い雲が立ち込め、昼間

          アメイジング・レイニー・ソング③

          とうきび畑でつかまえて~エピローグ

           エピローグ  五月の十勝岳連峰は山肌に雪を残し、水を引いた田畑がそれを水鏡に映していた。  今年は雪解けが早く、札幌は三月下旬には積雪無しが発表された。桜前線は順調に北上し、ゴールデンウィークには札幌で満開の桜を楽しんだが、富良野はまだ蕾の木がちらほらと見受けられた。  自転車のペダルを踏み、息吹は通い慣れた道を走る。冬の間に嫌というほど味わった満員電車も、むやみに通行を止める信号もない。  無人販売所には旬のアスパラがたくさん並んでいた。ホイル焼きにして食べようと、南京

          とうきび畑でつかまえて~エピローグ

          アメイジング・レイニー・ソング②

               ○○○  わたしがアメ兄と初めて言葉を交わしたのは、みぞれまじりの雨が降る初冬。彼のお父さんのお葬式のときだった。  葬儀は地域の生活館で行われ、アメ兄のお父さんがまだ若かったこともありたくさんの弔問客が訪れていた。通夜振る舞いは宴会のような賑わいで、あちこちで酒瓶が空いていた。お通夜は亡くなった人が寂しくないよう賑やかに過ごすのだと、お酒で顔を真っ赤にしたお父さんが教えてくれた。  その中でわたしは、ひたすらお母さんにくっついていた。  親戚はたくさんいたけれど

          アメイジング・レイニー・ソング②

          とうきび畑でつかまえて~7,雪像が溶けるほど恋したい②

           仕事を終え帰宅すると、家族はみんな寝静まっていた。  テレビをつけるとバラエティー番組の時間だった。しかし、画面には特別情報が流れ、爆弾低気圧への注意を呼び掛けている。大地は朝早くに新婚旅行に旅立ったため、いまは雲の上だろう。  遅番の日は帰宅が二十二時近くなる。この時間に夕食をとるのは気が引けるが、かといって空腹のまま眠ることもできない。冷蔵庫をのぞくが、夕食の残り物はなかった。  悩むうち、雪まつりで買ったピロシキを思い出す。電子レンジで温めると、テーブルに置いたスマー

          とうきび畑でつかまえて~7,雪像が溶けるほど恋したい②

          アメイジング・レイニー・ソング①

           七月はにわか雨の子犬のワルツ。  八月は天気雨の愛の挨拶。  九月は台風の幻想即興曲。  毎月変わるその音楽を聴けるのは雨の日だけだった。  さて、今月の曲は何だろう。わたしは傘をくるくるとまわし、放課後から降り始めた雨音に耳をそばだてる。  中学校から歩いて十五分。町営団地の並びを抜け、住宅街を歩くとやがて現れる日本家屋。町でも五本の指に入る大きな家には、手入れの行き届いた広い庭があった。  かつて鯉を飼っていた池は、雨粒が落ちて幾重にも波紋を広げている。毎年おいしい野菜

          アメイジング・レイニー・ソング①

          とうきび畑でつかまえて~7,雪像が溶けるほど恋したい①

           7 雪像が溶けるほど恋したい 「あなたはここにいる大地を夫とし、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、夫として愛し敬い慈しむことを誓いますか?」 「……はい、誓います」  教会のチャペルで交わされる誓いの言葉を、息吹は最前列の席から見守った。  大地の結婚式は二月の三連休に開かれた。教会での挙式の後、提携した結婚式場で披露宴をしたが、式は親族と一部の友人が集まるアットホームなものだった。  息吹は大地から披露宴の受付を頼まれた。北海道の結婚式は会費制のため、手順

          とうきび畑でつかまえて~7,雪像が溶けるほど恋したい①

          とうきび畑でつかまえて~6,近いようでまだ遠い富良野②

               ○  息吹の勤務最終日は、終始穏やかな一日に終わった。  十月になると朝晩の気温がぐっと下がった。日が落ちる時間も早くなり、タイムカードを押すと外は真っ暗だった。 「安達さん、ぜひ来年も来てくださいね」  その誘いに、息吹は曖昧に笑い返す。最繁忙期のころは二度と働くものかと思っていたが、いざ最終日を迎えると後ろ髪を引かれるから不思議だ。  自転車に乗ると、風の冷たさに指先の感覚がなくなる。雪虫の大群に遭うと、羽虫が鼻や口など穴という穴に入って大変だった。  しかし

          とうきび畑でつかまえて~6,近いようでまだ遠い富良野②

          とうきび畑でつかまえて~6、近いようでまだ遠い富良野①

          6 近いようでまだ遠い富良野  九月のシルバーウィークも観光地には貴重な稼ぎ時であるが、真夏の最繁忙期に比べると日ごと観光客の数が減っていた。別れの季節も佳境に入り、毎日のようにどこかの売店でスタッフが別れの挨拶をしていた。  ラベンダーの季節を過ぎても雰囲気を味わえるようにと、花畑にはブルーサルビアが植えられている。マリーゴールドや鶏頭などさまざまな種類の花が列になって植えられ、花畑はまるで虹のような彩りにあふれていた。 「最終日の仕事がいい天気でよかったわ」  シルバー

          とうきび畑でつかまえて~6、近いようでまだ遠い富良野①

          とうきび畑でつかまえて~5,bieiでkoiする5秒前③

          「……息吹さん、なんでここにいるの?」  三姉妹のひとりに、キャンプ婚活で出会った菜摘がいた。 「トワさんに誘われて……菜摘さんこそどうしてここに?」  彼女とは連絡先を交換した時にフルネームを聞いたが、稲瀬姓ではなかったはずだ。菜摘もそれを察したのか、庭で遊ぶ男の子をひとり指さした。 「私、バツイチなのよ。子供のことがあるから苗字はそのままなの」  男の子は孫たちの中で一番年上であり、彼女の年齢から逆算するに、若くに授かった子供のようだ。 「息吹ごめん、居間からサビオ持って

          とうきび畑でつかまえて~5,bieiでkoiする5秒前③

          とうきび畑でつかまえて~5,bieiでkoiする5秒前②

           八月十一日に山の日が制定されて、お盆休みにはなにか変化があるのだろうか。  混みはすれど、七月の最繁忙期に比べると明らかに観光客の数が少ない。とはいえ激務には変わらず、息吹は売店ラベンダーでせっせと仕事をこなしていた。  夏休みシーズンに突入してから、ミル・フルールを訪れる観光客にも子どもの数が増えた。大人は景色を見て楽しむが、子供には遊具もなく退屈な場所らしい。親が買い物に夢中になっている間に商品を弄り破損してしまうことが多々あった。  今日は子供が芳香剤をぶちまけてしま

          とうきび畑でつかまえて~5,bieiでkoiする5秒前②

          とうきび畑でつかまえて~5、bieiでkoiする5秒前①

           5 bieiでkoiする5秒前  最繁忙期が終わり八月を迎えると、ミル・フルール富良野で慰労会が開かれた。  営業時間が終わると、園内の広場にバーベキューのグリルが設置された。お肉や飲み物などはすべて会社が負担し、参加費が無料のため大半のスタッフが出席していた。  短期で契約のスタッフは七月末で終了した。寮の廊下には荷造りの段ボールが並び、早くも別れの季節が始まっている。息吹の契約期間もようやく折り返し地点を迎えた。  スタッフはショップごとに集まり、乾杯の挨拶があると手

          とうきび畑でつかまえて~5、bieiでkoiする5秒前①

          とうきび畑でつかまえて~4、北海道の中心で、愛を叫ぶ③

             ○  怒涛の三連休を終え、ラベンダー畑の美しさがピークを迎えた。  混み具合は連休ほどではないが、毎日たくさんの観光客が押し寄せる。はじめは辛いと思っていた十二時間勤務も、次第に慣れてしまうのが人間の恐ろしいところだった。 「和奏さん、ソフトクリームください」  昼食のお弁当を食べ終え、息吹は売店ハマナスに顔を出す。夏日が続き、休憩中のソフトクリームが習慣になってしまっていた。  和奏が鮮やかな手つきでラベンダーソフトを巻く。外の暑さですぐに溶けてしまうそれを、息吹は

          とうきび畑でつかまえて~4、北海道の中心で、愛を叫ぶ③