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とうきび畑でつかまえて~1、そうだ 富良野、行こう②

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 ミル・フルールで一番の集客数をほこる売店ラベンダーは、ほかの売店に比べスタッフがこなす業務が多い。免税業務をはじめ、落とし物の園内放送や荷物の一時預かりなど覚えることも多く、十七時の閉店間際に観光バスが入ると営業時間が延長になることも多々あった。
 一日中立ちっぱなしは体力的にも辛い。食事で栄養を摂ろうにも、出来合いの弁当に辟易していた息吹は自炊への重い腰をあげた。
「……サラダくらいなら簡単に作れるかな」
 そう独り言ち、陳列された野菜を見つめる。ミル・フルールから寮までの道に無人販売所の小屋があった。
 いつもは素通りしていたが、小屋は思いのほか広さがあった。夕方の時間は品数も少ないが、ガラス張りの冷蔵庫には野菜がぽつぽつと残っている。百二十円のサニーレタスがひとつ、誰かに買われるのをいまかいまかと待ち構えていた。
 葉っぱをちぎってドレッシングをかければ、それはれっきとした料理だ。自分に言い聞かせ、息吹は鞄から財布を取りだす。小銭を探すと、中に五百円玉しか入っていなかった。
 代金は南京錠のかかった貯金箱に入れるため、おつりは出ない。どうしたものか悩んでいると、背後から皺だらけの手が伸びた。
「お金が足りなかったのかい?」
 腰の曲がった老女が冷蔵庫の扉を開ける。その顔には年齢という名の皺が刻まれているが、重力でたるんだまぶたの向こうから鋭い視線を感じた。
「うちはツケをやっていないからね」
 どうやらこの無人販売所の主らしい。彼女は売れ残った野菜をプラスチックの籠の中に回収していった。
「いま、五百円玉しかなくて……明日また買いに来ます」
「この時間に野菜が残ってるほうが珍しいんだ。明日あるとは限らないよ」
「……その時はスーパーの野菜にします」
「やめときなさい。あの店は高いから」
 寮の近くにもスーパーはあるが、規模が小さく、価格もけっして安いとはいえない。老女は息吹の顔をちらりと見、冷蔵庫に残る野菜を指さす。
「いっそ五百円ぶん買っていったらいいじゃないか。レタスが百二十円で、あと三百八十円。すぐ腐るものでもないし、若いからすぐ食べ切るだろう」
「でも、どうやって食べたらいいか……」
 ぽつりと呟いた息吹に、老女がシワだらけのまぶたを大きく見開いた。
「あんた、いい齢して料理もできないのかい?」
 忌憚なき言葉に、息吹は顔が赤くなるのを感じる。老女はさらになにか言おうと口を開くも、息吹の表情を見て察したものがあるのか、大きなため息をついた。
「おおかた、夏の仕事で来た都会の子だろう。向こうはコンビニでもふぁーすとふーどでもなんでもあるから、料理なんてできなくても生きていけるんだろうね」
 中富良野町の人口は六千人と少なく、地元の人間は互いの顔を把握している。見知らぬ顔はリゾートバイトの人間だとすぐにわかるらしい。
「料理ができないって言ったって、茹でたり焼いたりはできるんだろう? アタシが適当にみつくろってあげるよ……おや、今日はアスパラが残ってるじゃないか」
 冷蔵庫の奥から出てきたアスパラガスを、老女は息吹に渡した。
「アスパラなんてすぐ売り切れる人気商品なのに、あんたも運がいいね。アルミホイルに包んで、グリルで焼くと甘みが増しておいしいよ」
 次いで渡されたのはにんじんと玉ねぎ。さらに、常温保管の棚から取り出されたのはじゃがいもだ。合計で五百円をすこしオーバーしてしまった。
「カレーなんて鍋で煮れば誰でも作れる。レタスもちぎれば立派なサラダだ。これくらいならお前さんでもできるだろう」
「ありがとうございます」
「二十円はまけといてあげるよ。今度会った時、どんな味になったか教えておくれ」
 息吹は野菜を自転車のかごに乗せる。無人販売所は店じまいの時間だったのか、老女がシャッターを下ろして鍵をかけた。

「息吹がここでご飯食べるなんて珍しいね」
 女子寮は一軒家を改装し、多い時で十五人が共同生活をする。寝室以外はすべて共用であり、リビングでテレビを見ていると和奏に声をかけられた。
「今日は料理をして遅くなって」
 料理といっても、レタスをちぎってアスパラを加熱しただけだ。しかし彼女には新鮮だったらしく、湯上り姿のままダイニングテーブルの隣に座って夕食を覗きこんだ。
「その野菜って無人販売所で買ったの?」
 ご飯は炊飯器で炊いた。白米と野菜という組み合わせに和奏はなにか言いたげだったが、息吹がアルミホイルの包みを開くと小さな歓声をあげる。老女に教わったアスパラガスのホイル焼きは、甘い香りとともに白い湯気がのぼっていた。
「いいね、おいしそう」
 和奏が缶ビールのプルタブを開けると、炭酸の抜ける小気味良い音がする。缶のまま口をつけ、ごくごくと喉を鳴らす姿を、息吹はレタスをかじりながら見つめた。
「息吹も飲みたいなら、冷蔵庫から持ってきていいよ?」
「お酒、あんまり強くないので」
 和奏は息吹と同じ冷蔵庫を使っており、常に缶ビールがストックされているのを知っている。湯上り姿に加え、お酒が入ると頬が色づき艶やかさを増していた。
「アスパラおいしそう。一本ちょうだい」
 了承を得る前に、彼女は箸を伸ばしアスパラガスをつまんだ。息吹も穂先からかぶりつき、口に広がる甘さに目を丸くする。
「……おいしい!」
 ドレッシングも何もつけていないのに、アスパラガスの味が濃い。野菜に甘みを感じたのははじめてだ。二本目に箸をのばす息吹を見て、和奏がにっこりと笑った。
「あの無人販売所、稲瀬農園のなんだよ」
「そうなんですか?」
 ミル・フルールで会った穂高の健康的な姿が印象に残っていた。
「とうきびのほかにも、レタスとかアスパラとかいろいろ作ってるんですね」
「中富良野に稲瀬さんって三軒あるのよ。それぞれの野菜を販売所で売ってるから穂高の家かはわからないけど、無人販売所のおばあちゃんはトワさんっていうんだよ」
「和奏さん、詳しいですね」
 素直に感心する息吹に、彼女は酔いで赤らんだ目元を細めた。
「去年ここにいたから知ってるだけ。息吹も来年リピートしたら、新人の子に同じこと言うと思うよ」
「わたしは今年だけで十分です」
 息吹の正直さに、彼女は声をあげて笑う。リビングにも次第に人が集まり、めいめい夕食を食べたりテレビを見たりと好きな時間を過ごしている。和奏は缶ビールを空け、新しいビールとともにタッパーを持って戻ってきた。
「そろそろいい感じに漬かったと思うから、一緒に食べよう」
「これ、なんですか?」
「摘果メロンのピクルスだよ」
 タッパーの中には、ひと口大に切られた野菜が液体に浸かっていた。
「メロンを育てる時、栄養が分散しないように実を間引きするの。それを摘果メロンっていって、漬物にしたり炒め物にしたりして食べるんだよ」
 和奏に促され箸をのばすと、皮をむいた胡瓜に似ていた。いただきます、と口に放り込み咀嚼すると、ピクルス液の甘酸っぱさとともに野菜の青臭さが鼻を抜ける。
 第一印象は胡瓜。しかし、噛むたびに違う味が顔をのぞかせる。
「メロンの香りがする」
 甘くないメロンとは不思議な味だ。しかし、嫌いではない。箸をのばす息吹を見て、和奏が二本目のビールを開ける。
「夏になったら甘いメロンが食べられるよ」
「メロン、大好きです。食べるまで絶対帰れない」
 富良野は北海道有数のメロン産地だ。ミル・フルールでも季節になるとメロンのカット販売がはじまる。売店ラベンダーは土産物の販売のみだが、食品を扱う売店では季節になるとスタッフが毎日メロンの味見をするらしく、羨ましくて仕方ない。
「息吹ってここに来る前はなにしてたの?」
「短大を出てからずっと、製菓会社で販売員をしてました。ショーケースのケーキを出したり、贈答用の箱菓子をつめたり」
 息吹が働いていたのは北海道を代表する銘菓の会社であり、レーズン入りのバタークリームをクッキーでサンドしたお菓子は本州でも知名度が高い。道内各地に支店があり、息吹はその札幌本店で勤めていた。
「何で辞めちゃったの? お菓子、社販で安く買えそうなのに」
「ちょっと、いろいろあって」
 言葉を濁すと、和奏はそれ以上追求しない。寮に入ってそれなりに経つが、彼女とプライベートな話をすることははじめてだった。
「私も前は旅行会社でOLやってたんだよね」
 リゾートバイトのスタッフはみな様々な経緯を持っており、年齢層も幅広い。ミル・フルール富良野では息吹と同年代あるいはそれよりも年上の人々が多く、子育てを終え一段落ついた主婦や、夫を家に残し働きに来た人もいる。
「次はどんな仕事をしようとか、決めてる?」
 婚活して家庭に入ろうと思っている、とは言える雰囲気ではない。息吹は「ここの仕事が終わったら考えようと思って」と返した。
「私もそろそろ再就職しようとは思ってるんだけどね。だから今年は北海道を満喫するって決めてるの。お祭りもたくさん行きたいし」
 息吹は思い付きで富良野に来たはいいが、この地でなにをするかまったく考えていなかった。このままでは職場と寮の往復で終わってしまう。焦りを感じ、スマートフォンで富良野近郊のイベントを検索した。
「七月の三連休の一番忙しい時に、なかふで花火大会があるんだよ。末には富良野でへそ祭りもあるしね」
 富良野地域は町名が似ているため、地元の人たちはそれぞれ略語で話す。中富良野町をなかふ、上富良野町をかみふ、南富良野町をなんぷ、と呼ぶ。
「夏が終わると、秋の収穫祭でおいしいものたくさん食べられるよ。ミル・フルールは仕事がハードだけど、絶対に痩せない」
 和奏は一見細身だが、景気良くお腹を叩く。ビールを飲みながら「私も今年はへそ祭りに参加しちゃおうかな」とこぼした。
「あとは、毎年誰かしらLL(エルエル)を経験して帰るかな」
「そんなに太っちゃうんですか?」
 思わず大きな声を出した息吹に、和奏が赤く染まったまぶたを瞬いた。
「違う違う、LLはラベンダー・ラブのこと」
「ラベンダー・ラブ?」
「ひと夏をラベンダー畑で過ごして、そこで恋が芽生えるの。私たちみたいに女ばっかりの売店だとあまり関係ないけど、ガーデナーとか製造とか男手の多い職種だとそういうこともあるらしいよ」
「――ないない、ガーデナーは地元のおばちゃんばっかりですよ」
 突然会話に加わってきたのは、ガーデナースタッフの醍醐(だいご)つかさだ。二十代半ばと、ミル・フルールのスタッフの中では若い部類に入る。細身の体躯や部屋着のジャージがさばさばとした性格に合っているが、ウェーブのかかったショートヘアや大きな瞳には小動物を思わせる愛らしさが残っていた。
「このへんって農家が多いでしょ? 長年家の畑を手入れしていたおばちゃんたちが引退して小遣い稼ぎに来るんです。だからガーデナーは平均年齢高くて」
「そうなの?」
「社員のガーデナー男子は出会いがないって嘆いてますよ。あたしは農業ヘルパーに登録してるので、いろんな農家さんのお話しが聞けて楽しいですけど」
 つかさは息吹たちリゾートバイトとは異なり、農業ヘルパーに登録して斡旋されていた。香川県小豆島のオリーブ農園や愛媛県のミカン農家など、全国の農協同士が提携しているため、一年を通して仕事を紹介してもらえるらしい。スマートフォンで調べると、中富良野町の公式ホームページにも情報があった。
「……息吹さん、そのイベント面白そうじゃない?」
 何の気なしにスクロールしていたの画面を、つかさが覗きこんだ。
『中富良野町でキャンプ婚活!』
 内容を読むに、中富良野町の役場が主催する婚活イベントだった。男性は中富良野町民限定だが、女性は道内外問わず広く募集しているらしい。参加費用も安く、キャンプ場でバーベキューをしながら親睦を深めるというものだった。
「田舎は少子化が進んでるし、自治体が腰をあげてやらないといけない問題なんだろうね」
「農家の嫁不足も深刻だけど、北海道に移住したがってる女子とならうまくいくかも?」
「でも、ここでいい人と出会っても遠距離になっちゃうよね」
 和奏とつかさは好き勝手言いながら詳細を確認している。そしてふたりで顔を見合わせ、息吹を見た。
「息吹、行ってきたら?」
「同じ道内だし、ここの仕事が終わっても会えるじゃないですか」
 中富良野と札幌は車で二時間半、公共交通機関を使えば三時間の距離がある。けれど二人は距離感がいまいちわかっていないらしい。
 息吹がいままで関わってきた女性の多くは、彼氏の存在がひとつのステータスだった。しかしミル・フルールにいる女性たちは、おひとり様でも人生を楽しんでいるように見える。
 婚活がうまくいかず、ふてくされていた自分が小さな人間に思える。曖昧な言葉でごまかし婚活のページを閉じると、一件のメッセージが届いた。
『姉貴が富良野にいるって本当?』

 就寝準備を整えた息吹は、布団に潜ってからようやくメッセージに返信した。
『久しぶり。五月から中富良野で働いてるよ』
 既読はすぐについた。返信を待つよりも早く、画面が着信を告げる。
「――なんでそんな面白いことになってるの教えてくれなかったわけ?」
 電話口で叫ばれ、息吹はスマートフォンから耳を離す。
「水臭いじゃん、弟に何も言わずに家を出るなんてさ」
「別に引っ越したわけじゃないし、秋になったら家に帰るから。わざわざ大地(だいち)に言う必要もないじゃない」
「俺が毎年富良野にツーリング行ってるの、姉貴だって知ってるじゃん!」
 電話の主は安達大地。息吹の二つ年下の弟だった。
「今年も休みが取れたらツーリングする予定だから、そっちに顔だすわ」
「いいよ来なくて」
 夏の富良野は北海道観光の鉄板だ。知り合いに話せば観光がてら様子を見に来る可能性がある。息吹はそれを懸念し、ごくわずかな人にしか富良野行きを告げていなかった。
「そもそも、何で大地が知ってるの? お母さんが話したの?」
「俺、いま、札幌に帰ってきてるんだよ。姉貴の姿がないと思ったら、親父から中富良野にいるって聞いてさ」
 カレンダーを見ると、今日は日曜日だった。観光の仕事は休みが不規則なため、曜日の感覚が狂ってしまう。
 大地は札幌の大学を卒業後、大手企業に就職し東京で働いていた。営業という仕事柄、出張で日本各地を飛び回っており、札幌で仕事がある時はいつも実家に泊まっている。帰省するとリビングのソファーを我が物で陣取るため、寝そべりながら電話で話す弟の姿が目に浮かんだ。
「親父、姉貴がいなくて寂しそうだったよ」
「お父さんには、毎日楽しくやってるって言っておいて」
「俺も姉貴に会いたかったんだけどな……」
 顔をあわせると喧嘩ばかりの姉弟だが、離れればそんな殊勝なことも言うらしい。息吹が面食らっていると、大地が「あのさ」と切り出した。
「俺、結婚することにしたから」
「……は?」
「今日はその報告で、彼女と一緒に来てんの。お袋にはあらかじめ言っておいたのに、まさかなにも伝わってないとは思わなかった」
 彼は心底残念そうに言うが、息吹はその半分も耳に入らない。明かりを消した部屋のなか、身体を起こして正座をする。
「……まさか、子供ができたとか?」
「違うよ。姉貴、俺が何歳になったと思ってんの?」
 息吹の二つ年下――つまり二十八歳。
「俺も営業だからさ、結婚してるかしてないかで職場での態度も変わるわけ。取引先からも、家庭がある男は真面目な仕事をするだろうって評価されるんだよ」
 二十代後半なら、男女とも結婚について真面目に考えるころだ。姉のひいき目をのぞいても、大企業に勤め安定した収入を得る大地は優良物件に違いない。
 良い男は早めに売れてしまうという俗説を、まさか自分の弟で知ることになろうとは。
「おめでとう、今度彼女に会わせてね。どんな子?」
 息吹は心の中の動揺を必死に圧し殺した。
「職場の先輩で、ひとつ年上なんだ」 
 すなわち、息吹より年下の二十九歳。
「あっちが自分の年齢をやたら気にしてるから、お互い二十代のうちに籍を入れようと思って。慌ただしくなるかもだけど、よろしく」
「わかった、なにか手伝えることがあったら言ってね」
 大地は最後まで、姉の心の中で吹き荒れる嵐に気づかぬままだった。
 通話を終えたスマートフォンの画面を、息吹は呆然と見つめる。明かりを消した室内で、干しっぱなしの洗濯物がブルーライトを浴び不気味に揺れていた。
 息吹は充電器につないだスマートフォンを操作する。
『中富良野町でキャンプ婚活!』
 そのイベントへの参加申し込みメールを送った。


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