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とうきび畑でつかまえて~4、北海道の中心で、愛を叫ぶ①

 4 北海道の中心で、愛を叫ぶ。


 暦が七月に変わると、ツアーで訪れる観光客が爆発的に増えた。
 売店の営業時間が伸び朝七時には出勤するが、園内にはすでに観光客の姿があった。客足は朝からずっと途絶えることがなく、退勤が一九時を過ぎる日はほぼ半日立ちっぱなしだった。
「……寮に帰りたくない」
 コーヒーを飲み干し、息吹はカウンターテーブルにつっぷした。
「仕事から帰ったら部屋でゆっくり休みたいのに、話し声がうるさくて全然休めない……」
 満室になった寮では、共用リビングの賑やかさが増した。息吹の部屋はリビングのそばにあり、姦しい話し声に心休まる時間がない。疲労困憊の身体は少しでも早く横になりたいはずだが、息吹はまっすぐ帰宅せず寄り道をするようになっていた。
「繁忙期が終わればまた人が減るから、八月までの辛抱だよ」
 海が息吹の前に燻製チーズのオープンサンドを置く。キャンプ婚活以降、息吹はたびたびカフェ・マーレを訪れるようになっていた。
 中富良野は早く閉まる店が多いが、カフェ・マーレは二十一時までと長い。昼間は観光客が入り忙しいようだが、夜は空いていた。
「ラベンダー、今年はどう? 見頃になったら行ってみようかな」
「ガーデナーの子が、メインの花畑は三連休が見頃って言ってました。六月は雨が多かったけど、開花に影響はなかったみたいで」
 生き物であるラベンダーは毎年綺麗に咲くとは限らない。長雨が続き、株がだめになってしまった年もあるそうだ。息吹は毎日特等席で働いているはずだが、仕事が忙しく、ゆっくり見る時間もないのが現実だった。
「今年も三連休は忙しそうね。花火大会の日が一番混むわよ」
 海の日を含む七月の三連休は、中富良野町や上富良野町で夏祭りが開催されるため、通り道にあるミル・フルールを訪れる人が必然的に増える。売店も一日で最高の売り上げを叩き出すが、そこで働くスタッフの疲労は計り知れない。
「しっかり食べて連休に備えるのよ。これ、おまけね」
 カウンターに小鉢に盛ったラタトゥイユが置かれる。夏野菜をトマトで煮込んだラタトゥイユは冷めてもおいしく、日中の暑さで弱っていた胃腸にも優しい。盆地の富良野地域は気温三十度を超すが、日が落ちると涼しくなるため札幌より過ごしやすかった。
「いただきます」
 大ぶりに切ったズッキーニをすくうと、絡んだトマトソースで魅惑的に艶めいていた。カフェ・マーレで提供される野菜は稲瀬農園ほか、店主自ら畑を耕し育てた作物も使われている。カンパーニュの上にのせてかぶりつくと、野菜の旨味が口一杯にひろがった。
「富良野の野菜は何を食べてもおいしいです」
「あたしも農家の娘だからね。野菜をおいしく食べる方法は心得てるよ」
 中富良野町に三軒ある稲瀬家。トワと穂高の住む稲瀬家が本家にあたり、海は店の二階に居を構えている。もう一軒はどこにあるのか、息吹は興味を持って訊ねた。
「穂高のお父さんが長男で、次男も近所で農家をやってるわ。末っ子のあたしも分家になるんだろうけど、ひとり身だしそういうのとは無縁だと思ってるの」
 典型的核家族である息吹は、安達家の家系図に興味を示したことはない。両親の親戚も年賀状で存在を知るのみだ。
「なんだかんだ、穂高と仲良くやってるのね」
「トワさんがいろいろ気にかけてくれるので」
 家にお邪魔したのは一度きりだが、トワとは無人販売所で会うことが多い。彼女の作るボルシチを恋しく思っていると、店の扉が開き軽やかなベルが鳴った。
「おばんでした。海ちゃん、規格外の野菜持ってきたから、よかったら店で使って」
 あらわれたのは、段ボールいっぱいの野菜を抱えた穂高だった。
「息吹、来てたんだ」
 穂高は息吹の姿を見ると、当然のように隣に腰掛ける。穏やかな空気に満ちていた店が、彼の登場でぱっと明るくなった。
「こないだ、息吹のシフト教えてもらったじゃん? 休みの日に限っておれの仕事が入ってて、今月は休みがあわないかも」
「穂高も繁忙期なんだから仕方ないよ」
 雲海テラスで交わした約束を守り、穂高は息吹を連れ出そうと計画している。しかし今月は互いに最も忙しい時期であり、具体的な日取りを決めることはできていなかった。
「息吹のシフトやばいな。七連勤とか労働基準法無視してる」
 そう言う穂高もこの時期は休みなしだが、彼はそれに疑問を感じていないようだ。
「でも、三連休の中日が休みなんだな」
「連休は出ずっぱりだと思ってたけど、シフトの都合で休みになったの」
 とはいえ、その休みまでに地獄の七連勤が待っている。せっかくの休みも疲れ果てて寝て過ごすに違いない。表情が曇る息吹に、穂高が励ますように言った。
「連休初日、なかふで花火大会があるんだよ」
「その日は絶対残業だよ。会場に行く元気もないと思う」
「仕事終わったらまっすぐうちに来ればいいよ。おれの車に乗れば楽だろ?」
 中富良野町には北星山(ほくせいやま)と呼ばれる小さな山がある。夏は観光リフトが運行し、山の頂上から町を一望することができる観光スポットだ。山の麓にある駐車場は季節ごとに催し物があり、花火大会はそこの駐車場が会場になっているらしい。
「行っておいでよ、息吹ちゃん。なかふの花火は迫力があって見ごたえあるのよ」
 札幌では豊平(とよひら)川(がわ)の花火大会が有名だが、人の多さにうんざりしてここ数年見に行っていない。小さな町の花火大会なら、ゆっくり楽しむことができるだろう。
「……行こうかな、花火」
 七連勤を乗り切るモチベーションにもなる。頷いた息吹に、顔をくしゃくしゃにして笑う穂高と海は親子のようにそっくりだった。

 七月の連休初日は予想をはるかに超える忙しさだった。
 天候に恵まれた雲一つない青空の下、観光客は花畑を思い思いに歩いている。気温の高さが功を奏し、ソフトクリームも飛ぶように売れた。小腹を満たしにカフェを訪れる人、旅の思い出に土産を買う人と売店はどこも盛況であり、ここ一番のかきいれ時という言葉を身をもって感じる。
 しかし、そこで働くスタッフたちは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
「すみません、カットメロンってどこで食べれるんですか?」
「子供にミルクをあげたいんだけど、授乳室ってありませんか?」
「駐車場で車をぶつけられたんですけど」
「ホエアイズザレストルーム?」
「プリーズコールタクシーフォーミー」
 日本語のみならず、たくさんの言語が飛び交う店内。要求も様々であり、スタッフは対応に追われた。商品はあっという間に棚から消え、補充してもすぐになくなってしまう。買い物客の列が途切れることもなく、息吹はレジから一歩も動けなくなってしまった。
 はじめに中国の団体客が入り、爆買いで棚に並んでいた商品を根こそぎさらっていく。その後韓国の団体客が入り、化粧水やハンドクリームについて事細かに質問してくるが、韓国語がわかるスタッフもいなければハングルでは筆談もできない。ひとつの波が去るごとに疲れがどっと押し寄せた。
「黛さん、お水が飲みたいです」
「一瞬だけですよ。ここで飲んでください」
 朝から喋り通しで声が嗄れていた。息吹はレジの陰に隠れてペットボトルをがぶ飲みする。黛は店内をかけまわり、てんてこまいになるスタッフのフォローに明け暮れていた。
 ひと息ついてレジに戻ると、久しぶりに日本人の観光客だった。しかし、外国語ばかり聞いていたせいで会話が日本語に聞こえない。なぜだろうと一瞬戸惑ったが、店内にいるのは関西弁を操るおばさまたちだった。
「ちょっとこれ、孫のお土産やから一人分ずつ包んでや」
「すみません、小分けの袋をお付けしますのでご自宅でお願いいたします」
「なんでやってくれへんの? ほかの店はちゃんとやってくれるで」
 この忙しさの中、いちいちかまっていたらレジがすすまない。そう言いたい気持ちを、息吹はぐっとこらえる。
「いまお包みすると、包装紙がしわになってしまいます。綺麗な状態でお渡しするためにもご自宅での包装をお願いしております」
「ここの店員さんは元気やな」
 嫌味に、息吹は微笑みで返す。だてに長年接客業をしていない。関西マダムはそれで食い下がったが、長蛇の列が続くレジに一人の中国人女性が割り込んだ。
「ちょっと、なんで横入りすんのよ」
 後ろに並んでいた人々が喧々と騒ぐ。女性も空気を察したのか怯み、黛が中国語で「列に並んでお待ちください」と声をかけた。
 海外との文化の違いが、こういう時に浮き彫りになる。ようやく順番がまわってきたマダムたちは一度に会計を済ませることにしたのか、姦しく話し続ける。息吹は黙々とレジ打ちをこなした。
 列を順調にさばき、先ほどの中国人女性がやってくる。息吹は手早くレジを打ち、液晶に表示される会計画面を指さした。
「合計で九百八十七円です」
「ア?」
 はじめは喧嘩を売っているかと思ったこの「ア?」は、中国語で「阿?」という。日本語で「なに?」と聞き返しているだけだった。
「プリーズ、ナインエイトセブンイェン」
「チッ」
 そしてこの舌打ちも、悪気があってしているものではないらしい。息継ぎのようなものであると知った時に、ようやく海外の観光客への苦手意識が減った。息吹が会計を終えると彼女は「謝々」と笑ったが、先ほどの関西マダムは礼も言わなかったはずだ。
 団体客が入れ替わる一瞬の切れ間に、スタッフは乱れた店内を整える。今日は閉店までこの忙しさが続くらしい。最も忙しいはずの連休中日が休みであることに、息吹は心の底から感謝した。
「……すみませんが、これをお願いします」
 レジに人がいなく、呼びかける声に駆けつけたのは息吹だった。姦しい人々も花畑に行ったのか、店内は束の間の穏やかさに包まれている。杖をつく初老の男性は、ラベンダーの香りのするお線香とろうそくのセットを購入した。
「今年もラベンダーが綺麗に咲いてるね」
「ありがとうございます。こちらお土産用の袋はおつけしますか?」
「ああ、そうだね……」
 手が不自由なのか、ゆっくりとした動きで鞄から財布を取り出す。レジもさほど並んでいない為、息吹は余裕をもって接客することができた。
「家内にあげるものだから、土産用の袋はいらないよ」
「かしこまりました」
「去年は一緒に来たんだけど、今年は自分ひとりだから」
 なにかの団体旅行だろうか。家で待つ奥様にお土産を買っていくとは良い旦那さんだ。そんなことを思いながら、息吹はお線香のセットを手提げ袋に入れる。
「……五十年も連れ添ったのに、はじめて買ってやるのが線香なんてな」
 袋を渡す寸前、彼はそう呟いた。
「……奥様もお喜びになりますよ」
「ありがとう。帰ったら仏壇に供えるよ」
 商品を受け取ると、男性は目深にかぶった帽子に手を添えて会釈をする。
 長年接客の仕事をしていると、様々な人に会う。夫婦とは素敵なものだと、息吹は素直にその後ろ姿を目で追った。

     〇

 稲瀬家の玄関チャイムを押すと、すかすかと抜けた手ごたえで音が鳴らなかった。どうやら電池が切れているらしい。
「……あの、こんばんは」
 すりガラスのはめ込まれた引き戸に手をかけると、鍵がかかっていなかった。家の明かりがついているため、中に人がいるのはわかっている。退勤時に穂高にメッセージを送ったが、返信はおろか既読もついていなかった。
「こんばんは。誰かいませんか?」
 玄関を開けて声をかけると、ようやく出てきたのは穂乃花だった。
「……おっきいばあちゃんの友だち?」
 彼女はなぜかタンクトップ姿だった。今日も三十度を超す暑さだったため、家の中も暑かったのかもしれない。
「玄関で待ってないで、中に入っといで」
 家の奥からトワの声が聞こえ、息吹は呼ばれるまま靴を脱いだ。
「穂高はまだ帰ってきてないのさ。急に呼び出されて、車でどっか行ってるよ」
 トワは仏間にいた。穂乃花に浴衣を着せていたのか、手に持つ朝顔の柄が可愛らしい。だから下着姿だったのかと、息吹は納得する。
「祭りに行くなら穂乃花も連れて行ってやって。この子ったら、行きたいのをずっと我慢してたんだよ」
「だって、おとうさんはお仕事だから行けないって……」
「そんな時の穂高おじちゃんだろう。祭りの出店にはじいちゃんとばあちゃんがいるから、おもちゃでもなんでも買ってもらいな」
 桃色の兵児帯を締めると、穂乃花は鏡を見て嬉しそうに声をあげた。ご機嫌な様子で家の中を走り回る姿を眺めていると、トワが息吹を呼ぶ。
「あんたも早く脱ぎなさい」
「え?」
「娘が着てた浴衣があるんだ。ずっと箪笥にしまい込んでいたから、着せてあげるよ」
 仏間の隣にあるのが彼女の部屋なのか、そこには立派な霧の箪笥があった。たとう紙の中に入っていたのは藍染の浴衣で、白抜きに浮かぶ菖蒲の柄が大人っぽい。娘とは海が着ていたものだろう。
 トワはミル・フルールの制服を脱いで肌襦袢を着るように言った。着付けができないのを見抜かれている。なすがまま立ち尽くしていると、手際よく浴衣を着せはじめた。
「柄が大人しいけど、あんたの齢ならちょうどいいだろう」
 藍染の浴衣は二十代では地味に見えただろう。しかし、三十路を過ぎた息吹はそれを着こなせるようになっていた。赤い帯を締め、二重に巻いた帯の表面を折り上げて粋っぽさを演出する。ひとつに結んでいた髪をおだんごにすると、玄関から力強い足音が聞こえた。
「ただいま、遅くなってごめん!」
 穂高が勢いよく仏間のふすまを開ける。その無遠慮さに、トワが「これ!」と叱った。
「着替えてるんだ、声くらいかけなさい!」
「別に穂乃花の着替えなんていまさら……」
 走り回る穂乃花を目で追い、やがて穂高が息吹に気づく。
「おつかれ。時間がないからさっさと行こう」
 浴衣姿にはノーコメント。そのリアクションに拍子抜けしながら、息吹は穂高の軽トラに乗り込む。いつもと違う足もとにタラップを踏むのが大変だったが、穂高はそれを助けることなく荷台に何かを積み込んでいた。
 息吹の膝の上に穂乃花が座り、お小遣いの入った巾着袋を大切そうに握りしめている。穂高は荷物を積み終えると運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
「今年は観光客が多いのか、出店の材料が尽きそうなんだって。さっき連絡が来て、あわててかき集めたんだ」
「出店って何があるの?」
 仕事帰りに直行したため、お腹がペコペコだった。穂高を待つ間にお菓子でもつまもうかと思っていたが、水ですら飲めていない。一日中喋り続けた喉が痛かった。
「祭りの食べ物ならなんでもあるよ。焼き鳥に焼きそばにビールにタコ焼きに、農協青年部からはいももちと茹でとうきびかな」
「おいしそう」
「とうきびはうちの畑で育てたやつだから、味は保証するよ」
 稲瀬家から祭り会場は近く、あっという間に到着する。駐車場に軽トラを停めると、祭り関係者とおぼしき人々が集まってきた。
「悪いな、穂高。今年は出店の商品が良く出るんだよ」
「これから花火で一番人が入るっていうのに、売り切れなんて悲惨だからな」
 農協青年部のTシャツを着た男性たちが、重たい段ボールを次々と運んでいく。息吹はひとりでトラックを降り、穂乃花を抱き上げた。しかし、下駄を履いた足ではふんばれず身体がぐらついてしまう。
「その子はこっちにもらうよ」
 声をかけられ振り向くと、恰幅の良い男性が立っていた。すでにお酒が入っているのか禿げ頭まで真っ赤であり、甚平を着た腹は見事なビール腹だった。
「じいちゃん!」
「穂乃花、もうすぐ花火はじまるぞぉ」
 孫娘にでれでれと顔を緩める男性こそが、稲瀬家本家の長男であり、穂高の父親だ。彼は浴衣姿の息吹を見て、おやと目を丸くした。
「農協にこんな子いたっけな。売り子が増えるのは助かるよ」
「違うよ親父。息吹はお客さんだ」
 穂高が段ボールを三ついっぺんに担いでいる。息吹が手を貸そうとするも、彼は「いいよ」と首を振った。
「荷物運んじゃうから、先行ってなんか食べててよ。あと花火の場所取りしておいて」

#創作大賞2024 #恋愛小説部門


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