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とうきび畑でつかまえて~5,bieiでkoiする5秒前③


「……息吹さん、なんでここにいるの?」
 三姉妹のひとりに、キャンプ婚活で出会った菜摘がいた。
「トワさんに誘われて……菜摘さんこそどうしてここに?」
 彼女とは連絡先を交換した時にフルネームを聞いたが、稲瀬姓ではなかったはずだ。菜摘もそれを察したのか、庭で遊ぶ男の子をひとり指さした。
「私、バツイチなのよ。子供のことがあるから苗字はそのままなの」
 男の子は孫たちの中で一番年上であり、彼女の年齢から逆算するに、若くに授かった子供のようだ。
「息吹ごめん、居間からサビオ持ってきてくんない? 穂乃花が串で指刺したわ」
 穂高が焼肉用のトングを持ったまま叫ぶ。稲瀬家では居間に配置薬があり、サビオ――絆創膏もその中に入っていた。息吹が手渡すと、その様子を見ていた菜摘がひとり頷く。
「そっか、穂高とか」
 勝手に納得されてしまい、否定するタイミングを失った。女手が増えたことで食材の準備も終わり、本格的にバーベキューが始まる。娘婿たちが頑張ったおかげで肉も焼け、息吹が顔を出すとすぐに紙皿を差し出された。
「……で、穂積の嫁さんはいま何してんの? 家にいるのか?」
 すっかりできあがった穣が話しかけてくる。息吹は話が見えずに目を白黒させるばかりだが、助け船を出したのは意外にも豊だった。
「この子は穂積の嫁じゃない。穂高の友達だ」
 肝心の穂高はどこかへ姿を消していた。豊は穂高と息吹の関係を正しく理解しているのか、真意はわからないが、親戚一同は彼女と認識してしまったらしい。誤解は依然解けぬまま、今度は女性陣から質問責めにあった。
 ミル・フルールで働いていることだけはごまかせたが、出身地や年齢を根掘り葉掘り聞き出されてしまう。息吹は早く食事を終えて離れようと思うが、皿が空くとすぐに肉を追加されてしまう。
「札幌なら一穂ちゃんの知り合い?」
「そうです。バイト先の社員さんだったの」
 一穂が堂々と嘘をつき、息吹をかばった。リゾートバイトで中富良野に来たことは秘密にしたほうがいい。矢継ぎ早に飛んでくる質問に冷汗をかいていると、家の中にいた菜摘の息子が庭に叫んだ。
「おかーさん、このプリンなにー?」
 息吹の手土産を台所に放置していた。プリンと聞き、ほかの子供たちも一斉に家の中に入っていく。トワは縁側に座り、息吹のつくったおにぎりを食べていた。
「プリン、食べたい!」
「あんたたち全然お肉食べてないじゃない。お菓子はあとで!」
「そもそもこのプリンはどうしたの?」
「……あの、わたしが買ってきました。よかったら子供たちで食べてください」
 なんて賑やかな夕食だろう。お腹が満たされ、息吹はトワのもとに行く。菜緒子は準備で疲れ果ててしまったのか、台所の椅子に座りこんでいた。
「お肉食べたかい?」
「いただきました。こんなに賑やかな晩ご飯は初めてです」
 おにぎりに手を伸ばそうとし、息吹はプラスチックの容器に入ったお赤飯に気づいた。
「……なんでお赤飯があるんですか?」
「今朝、墓参りの時に作ったんだよ。食べてもいいよ」
 なぜお盆にお赤飯? 不思議に思いつつも、息吹はパックを手に取る。食紅で色付けをしたもち米に甘納豆を入れるのが北海道の味だ。久しぶりに見て無性に食べたくなった。
 冷めてはいるが、もち米はまだやわらかい。口に含むと甘納豆の甘さが染み渡る。この甘さとゴマ塩の組み合わせがたまらない。
「おいしい。トワさんが作ったんですか?」
「菜緒子さんの味だよ。煮しめもあるから、食べたかったら台所から持っておいで」
 お盆の時期、本家のお嫁さんは朝からずっと台所に立ち続けるものらしい。椅子から動けない母に、一穂がお肉を運んだ。
「お盆ってこんなに忙しいんですね」
「アタシも昔は同じだったさ。男は酒が入るとなんもしなくなるからね。親戚の子供たちの世話もひとりで見たもんだ」
 トワはなぜ自分を親戚の集まりに呼んだのか。息吹は不思議に思っていたが、労働力として呼ばれた気がしないでもない。
 バーベキューの網には、ジンギスカン以外にも様々な具材が乗っていた。なかでも驚いたのはとうきびがまるまる一本焼かれていることであり、塩むすびと一緒に醤油を塗られている。菜摘がそのお世話し、息吹の視線に気づくとトングでつまんだ。
「食べる?」
「いいんですか?」
「まだたくさんあるから大丈夫だよ」
 息吹は紙皿に受け取ったが、熱くてまだ食べられそうにない。先ほどから穂高の姿が見えず、紙皿を持ったまま探すと家の裏手に大きな畑が広がっていた。
 稲瀬家には何度もお邪魔しているため、駐車場のそばにビニールハウスがあることは知っていた。しかし、裏手にある畑を見たのはこれがはじめてだ。はたしてどこまでが稲瀬家の土地なのか、興味津々歩いていると、夜闇に背の高い植物が見えた。
 とうきび畑だ。あたりは暗いが、月明りでわかる。畑のそばに穂高の姿があった。
「なにしてるの?」
 声をかけると、彼は小さく飛び上がった。
「なんだ息吹か、びっくりした」
 彼は大きな石を椅子がわりにし、ひとりでビールを飲んでいた。傍らには段ボールが置かれ、その下に炭火の赤黒い明かりが見える。段ボールの隙間から煙が出ていた。
「また燻製作ってたんだ」
「子供たちに見つかったら、チーズもソーセージも全部食べられちゃうからさ」
 穂高は立ち上がり、腰かけていた石に座るよう促す。自分はつなぎが汚れるのも構わず、地べたに座り胡坐をかいた。
 その手には茹でとうきび。彼も息吹が持つ焼きもろこしに気づいたのか、見合わせてぷっと噴き出した。
「穂高、あまり食べてないでしょ?」
「おれがいたら、叔父さんたちにいろいろ言われるからさ」
 彼は質問攻めにされるのを見越して避難していたのだろう。息吹は一穂のフォローにより、核心まで掘り返されることはなかった。
 焼きもろこしが手でつかめる熱さになり、息吹はかぶりつく。焦げた醤油の芳ばしさと、炭火の風味が口いっぱいに広がった。
「……いいな、焼きもろこし」
「食べる?」
 息吹が差し出すと、彼は大きな口を開けてかぶりつく。焼きもろこしをつまみにビールをあおる姿は実においしそうだ。彼がお酒を飲む姿を見るのははじめてだった。
「家で育ててると、こういう時に贅沢に食べられていいね」
「今日食べてるのは出荷せずに廃棄するものなんだよ」
「そうなの?」
 こんなにも甘いのになぜ捨ててしまうのか。よく見てみると、いつも食べているものと違い実が先まで入っていなかった。
「とうきびはひとつの株に三、四本なるんだけど、一番上に栄養が集まるんだ。下にいけば味も落ちるしから、うちでは早いうちに間引きする。じいちゃんは一番上のおいしいところだけ出荷してたんだよ」
「なんかもったいないね」
「間引きしたとうきびがヤングコーンだってこと知らないだろ?」
 そうなの? と、息吹は素っ頓狂な声をあげる。サラダに入っているヤングコーンは、それ専用の品種があるものだと勝手に思っていた。摘果メロンといい、野菜や果物を育てるためには消費者の知らない苦労がたくさんあるらしい。
「いまは親父の采配で、二番目以降も加工用に出荷してるけどな。おれもいつかじいちゃんみたいに、甘みを集中させたでっかいとうきびを作るのが目標なんだよ」
「穂高はおじいちゃんが大好きなんだね」
 稲瀬家の仏間には豪華な精霊棚がしつらえてあった。お葬式もさぞたくさんの人が集まったのだろうと思う。
「新盆ってことは、亡くなったのは最近だったの?」
「今年の一月かな。じいちゃん、おれたちに気を遣って忙しくなる前に逝ったんだ」
 トワも穂高も、そんな事があったとは思わせないほど毎日を明るく過ごしていた。
「おれ、畑仕事はじいちゃんから教わったんだ。齢とってから足腰が弱って介護が必要になったけど、毎日畑ばっかり見ててさ。いまごろこのへん散歩してるんじゃないかな」
 お盆は死者が里帰りする期間だ。穂高は幽霊の話をしているが、不思議と怖さは感じない。庭で遊ぶ孫たちの賑やかな声も遠ざかり、息吹は暗闇で爆ぜる炭火を眺めた。
「じいちゃんのそのまたじいちゃんが、開拓で北海道に来たらしいんだ。昔はいまみたいに機械もなんもないから、みんなで手で耕してさ。良い作物が採れるようになるまで何年もかかったんだって」
 北海道に住む大半の人が、ルーツを本州に持つ。都市部に行けば行くほど祖先のことなど忘れ去られているが、穂高は子供のころからその話を聞かされていたらしい。
「うちにも昔、ラベンダー畑があったんだよ」
「そうなの?」
 意外な話に、息吹は畑を見る。ラベンダーの株はどこにも残っていない。
「このあたりの地域は昔、たくさんの農家がラベンダーを育ててたんだ。香水の原料として栽培も盛んだったけど、人工香料ができてからはどこの農家も撤退した。その時にあきらめず頑張った農家もいて、いまは超有名な観光地になったよな」
 それは中富良野町のファーム富田(とみた)のことだ。かつてラベンダー農家が激減した際、その農家だけがラベンダー畑を守り細々と栽培を続けた。やがてその花畑がJRのポスターに起用されたことがきっかけで脚光を浴びるようになり、いまや世界中の人々がラベンダー畑を見に富良野の地を訪れている。
「おれのじいちゃんはほかの野菜に乗り換えちゃったけど、ラベンダー畑をつぶした時のことは忘れられなかったみたいでさ。畑をつぶして始めた野菜だから、何が何でもおいしいものを作るって決めたらしいんだ」
 稲瀬家の野菜を食べると、そのおいしさに驚くことばかりだ。手塩にかけて育てられた野菜に、そんな気持ちが込められていたとは。
「その話を聞かされて育ったから、おれもこの畑を守っていきたいと思ってるよ。親父やじいちゃんや、ご先祖様から受け継いだ大切な土地だからな」
 お盆のはじめ、死者を迎えるために迎え火を焚く。彼の足元で爆ぜる炭火の明かりを目印に、ご先祖様が様子を見に来ているだろうか。月明りに揺れるとうきびは髭が茶色く縮れ、実が成熟した証だと穂高が教えてくれた。
「親戚の集まりに巻き込んじゃってごめんな。疲れただろ?」
 缶ビールを飲み干し、穂高は地面に置いた。
「うちはあまり親戚付き合いがなかったから、こういうの新鮮。賑やかで楽しいよ」
「みんな、息吹に根掘り葉掘り聞いて来ただろ。田舎ってそういうデリカシーのないところがあるから、気を悪くしたらごめん」
 親戚たちは息吹を穂高の彼女だと思い込んでいる。矢継ぎ早の質問の中に、農家の嫁にふさわしいかどうか、という探りがあったことも気づいている。
「おれ、昔付き合ってた彼女が似たような目にあって、『農家の嫁は無理』ってフラれたことがあるんだ。お互い二十歳になったばかりだったのに、親戚はすぐ結婚だのなんだの言ってくるから」
 息吹を見上げるまぶたがとろんとしている。彼も朝から動きっぱなしだったのだろう、お酒が入って疲れが出たようだ。
「親戚たちのことは気にしなくていいよ。おれの家族はわかってるし、嫌じゃなかったらこれからも遊びに来て。ばあちゃんも穂乃花も息吹のこと大好きだから」
 このあと彼は、親戚たちから息吹とのことを幾度となく聞かれるのだろう。その苦労が目に浮かぶが、穂高はそれをおくびにも出さず息吹の膝に頭をあずけた。
「少しこうさせて」
「いいよ」
 身体に彼の重さとぬくもりを感じた。
「息吹はいつもうちの野菜をおいしそうに食べてくれるからさ、そういうのが好きだなって思うよ」
 酔いのはずみか、穂高がぽつりと呟いた。
 膝の上に乗せた頭は表情が見えない。その髪からは日向の香りがする。短い髪に指を絡めると、彼はくすぐったそうに首を動かした。
「やめろよ」
「こっち見て」
 穂高が息吹を見上げる。酔いで赤らんだ瞳と、耳まで真っ赤になった顔を見て、息吹は吸い寄せられるように唇を重ねていた。
 彼に触れるのは久しぶりだった。一線を越えた夜があったからといって、彼が軽々しく息吹に触れることはなかった。プラトニックな距離がまるで中学生のようだと思った。
 穂高が腕を伸ばし、息吹を抱き寄せる。窮屈な姿勢が苦しいが構わなかった。息継ぎをするのももどかしく、お互いの唇を求めあった。
 婚活。五歳差。農家の後継ぎ。両親との同居。キスの間、すべてを忘れていた。
 この気持ちが、執着心が引き起こす勘違いであるはずがない。
 風に乗って聞こえる音に耳を澄ませる。砂利の敷き詰めた駐車場に停まり、ドアを閉める音。とたん、庭の話し声が盛り上がる。どうやら誰かやってきたらしい。
「これ、買ってきた。みんな遊ぶかと思って」
「花火だ!」
 子供たちの歓声があがる。庭をかけまわる足音に話し声がかき消されたが、やがて、ひとりの足音が近づいてくることに気づいた。
 子供とは違う、大人の足だ。
「――穂高」
 唇を離し、息吹たちは身体を起こした。
「あんた、誰?」
 あらわれた男性は、穂高によく似た顔立ちをしていた。

 遅くまで続いたバーベキューは、子供たちの花火が終わるとお開きになった。
 お酒を浴びるように飲んでいた男衆は、それぞれの奥さんが引きずるように連れて帰った。菜緒子は途中で力尽き、片付けを任せると早々に休んでしまった。豊も寝室に行き、大きないびきが居間まで聞こえてくる。
 バーベキュー台の中にはまだ炭火が残っており、誰かが火の番をしなければならない。穂高が眠ってしまったため、息吹がその役を引き継いでいた。
 突然現れた男性は、精霊棚に向かいお線香をあげた。りんを鳴らす横顔もまた、穂高によく似ている。その隣に座った穂乃花は、彼の登場に誰よりも喜んでいた。
「おとうさん、いっしょにお風呂はいろ」
 穂乃花は彼をそう呼んだ。トワは彼のためにお茶を淹れ、お赤飯とお煮しめを食卓に並べる。夕飯を食べていなかったのか、彼はすぐに割りばしを割った。
「穂積、今日は泊まっていけるのかい?」
「いや。明日も朝早いから、穂乃花が寝たら帰るわ」
 彼――穂積は稲瀬家の長男だった。これで稲瀬家三兄妹が全員揃った。息吹は相変わらず部外者だったが、帰るタイミングを逃してしまっていた。
「ホテルも今が稼ぎ時だもんね。今年も忙しいのかい?」
「おかげさまで、お盆時期は毎日満室だよ」
 穂積は富良野市にあるリゾートホテルで働いていた。富良野でも有数のリゾートバイト先であり、息吹も富良野行きを決めた際、ミル・フルールにするかそのホテルにするか悩んだ記憶がある。
「――で、この人、誰?」
 穂積が息吹を見る。穂高とよく似た顔立ちをしているが、兄は涼しげな目元をしていた。仕事の疲れか、頬がこけ目の下にもクマが刻まれているため、暗殺者さながらの険しさに緊張してしまう。
「おっきいばあちゃんの友達だよ。いぶっていうの」
「……安達息吹です」
 穂乃花はいつもよりお喋りだが、訝しがる穂積の気持ちはよくわかる。実家に見知らぬ人がいれば誰だって驚くだろう。
「息吹さんもリゾートバイトでこっちに来てるんだって。もしかしたら穂積のところで働いてたかもしれないね」
 親戚たちには隠した一穂だが、家族には正しく伝えるらしい。ミル・フルールのスタッフと聞いて、穂積はぴくりと眉を動かした。
「リゾバってことは本州の人?」
「いえ、札幌です」
「札幌? わざわざ?」
 おそらく、働く環境は似ているはずだ。彼も普段から本州出身の同僚がいるに違いない。ああいった場では道内の人間は逆に珍しいのだった。
 穂高は片付けが終わると力尽きたのか、居間ですやすやと寝息を立てている。燻製の段ボールは冷ましている最中であり、炭火もバーベキュー台に移したため火事の心配はない。
「何歳?」
「三十です」
「二個上か」
 同世代だが、それを知ったからといって距離が縮まるわけでもない。邪魔者は退散しようと腰を上げると、玄関から大きな声が聞こえた。
「おばんでした。なあに、みんなもう帰っちゃったの?」
 その声は海のものだ。ひっきりなしに人が訪れる田舎の家に驚きつつ、息吹は知っている人の登場にほっと胸をなでおろす。
「遅くなってごめんね。明日の仕込みに時間かかっちゃって」
 勝手知ったる実家をずかずかと歩き、海は居間に顔を出す。彼女も新盆の法要には出たはずだが、その後店に戻っていたらしい。
「穂乃花ちゃん宵っ張りだね。眠くないの?」
「おとうさんとお風呂入るの」
 穂乃花は父親にべったりとくっついているが、しきりにまぶたをこすっている。穂積はそれに気づくと、娘の頭を撫でながら顔を覗き込んだ。
「眠いなら布団に行っていいんだぞ?」
「やだ。おとうさんといる」
 眠気で機嫌が悪いのか、穂乃花がぐずりはじめる。穂積も繁忙期の仕事で疲れているはずだが、それをおくびにも出さず娘を抱き上げた。
「風呂入って一緒に寝るか。ばあちゃん、お湯沸いてる?」
「誰も入ってないから、もうぬるくなってるかもしれないわ」
「わかった。ほら、穂乃花行こう」
 穂積と入れ替わるように海がお線香をあげ、仏間から白檀の香りが漂ってくる。トワがお茶を淹れようとするのを遮り、海は自分でポットのお湯を注いだ。
「息吹ちゃん、大丈夫だった? 親戚に囲まれてびっくりしたでしょ」
 またしても帰るタイミングを逃し、息吹は座布団から動くことができない。今日が寮の掃除当番じゃなくてよかったと、心から思う。
「穂積のお嫁さんって言われなかった?」
「言われましたけど……穂積さんのお嫁さんって?」
 稲瀬家にはじめてお邪魔した時から、息吹は穂乃花の存在を不思議に思っていた。彼女も稲瀬家の一員であるが、穂高や一穂の妹にしては齢が離れすぎている。
「穂乃花は穂積と別れたお嫁さんの子供なの。親権は穂積にあるけど、仕事が不規則だから一緒に暮らせなくて実家で預かってるのよ」
 ホテルの仕事には夜勤もある。子供が熱を出しても休みをとりづらいのは男親も同じだ。
「穂積は仕事でなにかあった時のために寮に入ってるのよ。穂乃花がもう少し大きくなれば一緒に暮らせるんだろうけど、それまでは休みの日にしか会えないね」
「この間の花火大会も、本当は穂積と一緒に行く予定だったんだわ。でも、仕事で抜けられないって連絡が来て、大泣きするのをなだめるのが大変だったんだ」
 中富良野町の花火大会の日、浴衣を着せてもらった穂乃花にはそんな事情があったらしい。ふたりでお風呂に入っているのか、穂乃花の楽しそうな笑い声が聞こえた。
「穂乃花ちゃんと食べようと思ったんだけど、寝る前だからだめだよね、これ」
 海は手土産のビニール袋を見せる。中に入ったマシュマロに一穂が反応した。
「いいな、食べたい」
「じゃあ、女子だけで食べちゃおうよ」
 いたずらっ子のような笑みを見せ、海はあまっていた割りばしを割る。息吹もそれにマシュマロを刺し、熱の残る炭火に近づけた。
 熱で焙られたマシュマロは表面が軽く焦げ、ふくらみを増す。程よく焼けたマシュマロを食べると、唇について糸のように伸びた。それを舌で舐め取り、息吹は目を細める。
「キャンプでマシュマロ、憧れだったんです」
 まさか田舎の民家で食べる日が来ようとは。海は焼けたマシュマロをトワに渡した。
「豊さんや菜緒子さんは言わないだろうから、私から話そうと思うんだけど、いい?」
 海に聞かれ、トワはしぶしぶといった様子でうなずく。そして彼女は息吹の隣に座り、静かに口を開いた。
「稲瀬農園は最初、穂積が継ぐ予定だったの」
 穂高は稲瀬家の次男坊であり、息吹もそれを不思議には思っていた。
「穂積が家にいたころはお父さんもおじいちゃんも元気だったし、農家の仕事だけじゃ視野が狭まるってホテルと兼業してたの。そこでリゾートバイトに来てた本州の女の子と出会って、とんとん拍子に結婚したのよ」
 お嫁さんは年上で、息吹と齢が近かったそうだ。だから親戚は息吹に会った時、勘違いして話しかけてきたのだった。
「そのあとふたりはホテルの仕事を辞めて、正式な跡取りとして家に入ったの。お嫁さんは北海道に憧れていた人だったから、畑仕事も熱心に手伝ってくれたんだけど……理想と現実の違いに悩んでたみたいで」
 北海道の大自然に憧れ、本州から移住してくる人は多い。しかし、自然が身近にある生活は都会のような便利さがない。冬の富良野は豪雪地帯であり、本州の人間にはその寒さですら辛いものがあるだろう。
「田舎は人間関係が濃いから、ちょっと目立つことをしたらそれを見た近所の人が告げ口するの。同居だとプライバシーもないからよけい息がつまっただろうけど、それでも子供ができるまでは頑張ってくれてたのよ」
 慣れない土地の生活にはじめての畑仕事、さらに夫の家族との同居と、お嫁さんの心労は計り知れない。都会の良い意味で希薄な人間関係や娯楽の多い生活から、人間関係そのものが娯楽のような狭い町に来てしまった。
「穂乃花が産まれた時は、初孫だからみんな大喜びしたのよ。でも、すぐにまわりが『次は男の子だね』『跡継ぎを産まないとね』って言って……それで心が折れちゃったのよね」
「アタシらの時代ならそれも普通の話だったんだけどねえ」
 トワの時代は、親が決めた相手と結婚するのが当たり前だった。女性は子供を身ごもらなけらば離縁されても仕方なく、跡継ぎになる男児を産んでようやく家の人間になれる。
 それに異論を唱えたのは一穂だった。
「あたしはお嫁さんの気持ち、わかるよ。いまは女の人も自立してるし、結婚して子供がいなくても楽しそうに暮らしてる。せっかく子供が産まれたのに、すぐに次の子、次は男の子って言うの本当にやだ」
 彼女が田舎に帰りたがらないのは、母親だけでなく、義姉の苦労も知っているからか。
「……でも、穂乃花を置いていったのは、どうかと思ってるけど」
「親戚がうるさかったからね。女の子でも婿をとればいいって」
 一穂と海が、ため息まじりにマシュマロを食べた。
「穂積も親戚づきあいがほとほと嫌になったみたいで、穂乃花を預けて家を出ちゃたの。ホテルの正社員になって、それで穂高が跡継ぎになったのよ」
「穂高はそれまで何をしてたんですか?」
「家の仕事と農協の臨時職員。スノボが好きだったから、冬はスキー場でインストラクターもやってた。田舎は仕事が少ないから、臨時職員でもコネがないと入るの大変なのよ」
 一穂が田舎に戻らない理由の二つ目が、地元に就職先がないことだ。観光地ではアルバイトを募集しているが、それも夏季限定が多く、雪の降る時期になると無職になる。
「穂高はじいちゃんっ子で、昔からの農業をやりたがってたから喜んで跡継ぎになったの。今の時代必ず長男が継ぐ必要もないんだから、私たちは穂高が跡を継ぐことにも賛成だけどね」
 当の本人はいまだ、座布団を枕がわりに深い眠りに落ちている。穂乃花はお風呂をあがったころか、脱衣所で父親と着替えをしているようだ。
「息吹ちゃんがなにも知らずにいるのはフェアじゃないと思ったから、全部話したわ。間違いないわよね? 母さん」
 海に問われ、トワはしわだらけのまぶたでゆっくりとまばたきをした。
「穂高とこれからどうしたいかは、息吹が自分で決めなさい」
 低く、はっきりとした声だった。それに息吹は背筋が伸びる。
「あんたも考えたいことがあって富良野に来たんだろう。いろいろ悩んでるのは前から聞いていたからね」
 親戚からは無言のプレッシャーを感じたが、ここにいる人たちは、息吹に考える時間を与えてくれる。その心遣いが嬉しくもあり、申し訳なくもある。
「穂高を好く思ってくれているならそれは嬉しい。でも、札幌に帰るならそれを止めたりはしないよ。これはあんたの人生だ」
「わたしは……」
 自分はどうしたいのか。穂高を抱きしめたぬくもりがまだ腕に残っている。
「息吹は若い時のアタシに似てるんだ。頑固で、意地っ張りで、自分が納得しないと良いと思わないだろ?」
 ずばり的を射ている。苦笑する息吹に、トワが白い歯を見せた。
「今日の話は忘れてくれてもいい。アタシたちのことが嫌になったらそれでいい。アタシはあんたのことを他人とは思えないから、顔を見たらおせっかいを焼いてしまうんだよ」
 庭で燃え続ける炭火が爆ぜ、虫の声とともに夜風を居間へ届ける。
 その風は秋の香りがした。


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