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私が今の会社で働き続ける理由~あべのハルカスから見た景色~

お久しぶりです。TAKUMIです。2年ぶりの投稿です。そうです、2年ぶりです。まるで亡霊のように復活しました。TAKUMIです。私が当ツールに手を付けるようになったのは社会人3年目に突入をした2年前でした。何故、亡霊のように復活したのかというと、新卒で今の会社で勤め始めてからの中で一番、辛かった時期が直近の1ヶ月だったからです。「だからなんだよ」って話なんですけど、「こんなにも辛いのは嫌だ」と悩みに悩んだ挙句、GW中も実家に帰ることは無く、瞑想に瞑想を重ねた結果、トンネルを抜け出すことが出来たので、改めて今の会社で働き続ける理由を言語化した上で再構築したいと思い、久しぶりに投稿をすることにしました。はい、知ってます。ただの自己満足です。ただの自己満足にどうぞお付き合い頂ければと思います。

「既卒・第二新卒の就職支援でなければ意味が無い」

この言葉は私が会社で良くして頂いている先輩、社長が常日頃から口にしている言葉です。所謂、合言葉です。なんだそれ、別にいいじゃないか。合言葉なんてそんなモノです。けれでも赤の他人からすればどうでも良いと思われるような合言葉も、私にとっては凄く大切にしたい心得です。私が今の会社に入社したのは2019年4月です。世間でいうところの19卒として入社をしました。この4年ちょっとの間に世の中ではコロナが蔓延して、21卒や22卒の方々は買い手市場寄りの景気の中で苦労もあったかもしれないが、当時の19卒なんてモノはここ最近では一番の「空前の売り手市場」と呼ばれる様な市況であり、「会社さえ選ばなければ新卒で入れないことは無い」と揶揄されるくらいに売り手市場であったと記憶している。売り手市場、採用をする企業が困っている状態であり、求職者優位の市況というわけだ。(その反対は買い手市場と言います)その様な中で自分で言うのもなんだけど私はもがき苦しんだ。恐らく大学内で一番苦戦していた学生だったといっても過言ではないかもしれない(笑)※ここでの苦戦とは「敢えて活動をしてなかった人たち」ではなく「活動をしていても内定を貰えないパターンを指します」

うちの大学はそれなりのマンモス私大だった。講義ともなれば一度に100人~150人レベルで学生が参加することも大いにあるマンモス大学。例年のごとく3月に就職活動が解禁となるが、その前から就職活動を終えている学生もいれば、2番手グループとしては3月中での就職決定。3番手グループは4月中。5月中なら「少し苦戦しているね」と周りから言われる始末(笑)大手就職の人達でも建前上は解禁の6月1日付で内定が出て、無事に承諾をすれば6月中旬には就職活動を終えていた。確かに私以外の人間は皆、終えていた。当時お付き合いをしていた彼女も終えていた(笑)そして当時、まだ終えていなかった私は見事に振られた。哀しいだろ?慰めてくれよ。はい、有難う。冗談ではないのだけれど、前置きはこれくらいにして当の私はどうだったかというと、熱い夏が終わろうとしても尚、就職先が決まっていなかった。大学の講義に参加をしたり、ゼミに参加をすれば自分一人だけがスーツを着ている。なんなら凄く意識が高い一つ下の後輩とは同じように1日を過ごしている。そんな日々だった。当時の夏は本当に暑かった。確か最近の日本で一番の猛暑の年だったのではないと思う。上下黒のスーツを身にまといながら、スマホで気温を見たら「41度」と表示されているのを見て、気が狂いそうになり、38度なんて日があれば「あ、ちょっと今日は涼しいかも」なんて思っていたりもした。そんなこんなで苦戦をする中で大きな転機になったのは9月だった。東京の飯田橋という町に当時あった某会社が主催をする「逆求人フェスティバル」というモノに参加をした。「逆求人」、簡単に言えば通常の企業の合同企業説明会の逆バージョン。企業ではなく求職者がブースを設けて、採用担当者が興味のある求職者のブースに集まり、求職者野プレゼンを聞く。そして興味があれば後日の面談の日取りを採用担当と求職者の間で行う、そういった非常に面白いモノだ。今もあるかは知らないけれど、もし今もあれば凄くオススメをしたいイベントです。※因みに私は当時、東京で就職をしたいと思っていたので、メインの活動は東京でした。東京に就職をしたいと考えるようになった動機は初回投稿を参照してください。
そんな就活イベントに参加をして私の就職活動は大きく動き始めた。当時、イベントに参加するまでの私は面接では「いかに壮大な話をするか」「いかに優秀そうに見て貰えるか」そんなことを考えて選考に臨んでいました。要は新卒の典型的なパターンである、エピソード押しのスタイルです。恐らく、そのスタイルが人一倍強かったから、就職活動に苦戦したんだと思う。面接が始まれば人一倍明るく振る舞い、「○○な活動をしていました~!」なんて話を少しばかり脚色して伝えていたことを今でも鮮明に覚えている。けれども今の仕事をしていても強く実感するけれど、企業の採用担当が欲しい情報はそんなことではない。正直、ストレートに言えば面接官からすればエピソードなんてモノは殆ど、どうでも良い。聞いても自分たちが経験してきていることが大半だから先ず驚かないし、「凄いね~」なんてリアクションにはならない。「ふーん、それで?」そんな感じ。その証拠に通称「ガクチカ」を答えた後には100%に近い確率で「何故やろうと思ったのですが?」や「どのように頑張ったのですか?」といった質問が飛んでくる。つまり、面接官が知りたい情報は「WHAT」ではなく「WHY」やHOW」なのである。その認識が当時の私には完全に欠落をしていた。けれでも、逆求人フェスティバルに参加するにあたり、プロフィールシートを自作するのだけれど、それを作成している中で自身の発想が180度間違っていることに気付いた。恐らく、今の感覚で言えばマッチングアプリのプロフィールを作る感覚であったり、合コンに参加をして「どうしたら好印象に思って貰えるのか」といった感覚に近いんだと思う(笑)マッチングアプリで1行「宜しくお願い致します」しか書いていない男性が右にスワイプして貰えるはずはないし、合コンで自分の自慢話ばかりする男性がウケる筈もない。新卒にありがちなエピソード押しのスタイルはもはや前述したモテない人とほぼニアリー=なスタイルなのである。逆求人のプロフィールシートを作ったら本番の数日前から採用担当者から「良いね」みたいなのが届く仕組みになっていた。要は「あなたに興味があります」という意思表示。自身が仕上げた内容を濃くすればするほど「良いね」数は増えていき、楽しくなってきた。それと同時に前述したようなモテない人のごとく「自分にベクトルを向けるのではなく、採用担当の方にベクトルを向けることが一番大事なんだ」と気付くようになった。これ以上はノウハウになってしまうので続きはWEBで(笑)そんな感じで逆求人フェスティバルに参加をして、主催者の方曰く、「今回の開催分では一番人気だった」らしい(笑)そして某大手人材エージェント会社とのコンタクトが、そこから始まり、あれよあれよと最終面接まで進んでいった。そして同タイミングで自己応募をしていた会社が現在に自分が働いている会社だった。2018年9月。19卒にとってあまりに遅すぎる9月。少しずつ面接でのコツを掴んでいた自分にとってはゴールが少し見えてきている9月。面接のコツを掴み始めたと同時に自身が大事にしたいモノも見えてきていた。「どこで働くのか」ではなく「誰と働くのか」。どうせやる仕事。1日の半分、健康寿命の3分の1を費やす仕事の時間。対価としてお金を貰うにしても、どうせやるなら「人として好きと思える人が沢山いる会社」で働きたいと思っていた。恐らく自身が新卒の就職活動という名目でエントリーをした企業数は100社は超えている。嘘抜きで面接参加した企業も70社は超えている。まあ、1年近くも活動していれば、それくらいはいっても不思議ではない(笑)そんな自分にとって訪問する会社は、どれも同じに見えていた。特段変わったことは無い。違うのは規模やネームバリューだけ。けれども今の会社は違った。最初の選考は説明会+グループ面接だった。うちの会社は30人から40人規模の零細企業の為、社会的な認知度は決して高くはない。けれども「既卒・第二新卒を支援する」という企業コンセプトは聞こえは良いだけに説明会も人気だった。9月としては異例の30人くらいが参加していたと思う。そんな中で自分は一番前の席に着席をしていた。説明会が始まると、社長がいきなり出てきて漫談を話し始めた。今になって聞いた訳では無いから分からないけど、確実に笑わせにきていた。声に出して手を叩いている自分がいた。周りは恐らく真面目にしなきゃ、という考えから総シラケ、一番前に座っている一人の男が説明会だというのに爆笑をしている。そんなカオスな状態だった。それでも社長は意気揚々に話していた。企業説明が終わって質問タイムに入ったが誰も手を上げることは無かった。そしたら社長が「ほな、帰るわね~」といって司会者がツッコミを入れる。そんなコントが繰り広げられる不思議な時間だった。でも自分にとっては「ビビッと」来た瞬間でもあった。それと同時に「説明会中にふざけたから絶対落ちた」とも思っていた。最後の悪あがきで質問タイムが質問無しで終わりそうになった時に手を挙げた。「今の皆さんは素ですか?」周りの就活生からすると奇想天外な質問だったと思う。そうしたら社長が「せやな~続きはWEBで」なんて言ったもんだから、自分のビビッとは確信に変わった。ここで働きたいと思った。

大事な説明会で手を叩いて爆笑をするという失態を犯した自分は当然、通過するとは思わなかったけど、なぜか一次のグループ面接が通過した(笑)そして二次では役員陣3人に囲まれて真面目な面接をした。けれどもそこも通過した。そして「今年から導入してて」と採用窓口の方に言われるがままに性格適性テストを受けた。ところが入社して分かったことだが後にも先にも性格適性は当社の選考フローには無かった。だから一応、警戒はされていた(笑)(笑)それも何とか通過をした(笑)社長との最終面接では初回投稿で書いたように「東京でのコーヒーが飲みたくなったから東京で働きたいです」と答えて社長から爆笑された。そしたらよくわからないけど、内定が貰えた。そして2018年10月。最終的に私は今の会社を選ぶことにした。

全社合わせて30人強。勿論、求職者が真っ先に登録をするようなドラえもんの会社や松本人志さんがCMをしているような会社には知名度では完全に劣る。でも当社には、そんな大手エージェントで上手く就職活動や転職活動で上手くいかなかった人たちからの登録が毎日ある。大手エージェントで採用活動が上手くいかなかった企業からの問い合わせが毎日ある。

ハッキリ言って人材エージェントへの風当たりは世の中からは良いとは言えない。「ねじ込まれるんじゃないか」「変な企業を進められるんじゃないか」「面談したこともない求職者を紹介されるんじゃないか」「マッチングなんて考えておらず、利益しか見ていないのではないか」そんな不信感を持った求職者と毎日WEBで会話をするし、当社の営業担当は疑心暗鬼な企業の人事担当者と毎日のように打ち合わせをする。

当然、僕らも慈善団体ではなく利益集団。だから結果にコミットしたがる。けれども人材業界で利益だけを優先するのであれば「経験者」を登録者層として年収の30~35%で企業から成果報酬を貰う方がよっぽど利益になると思う。けれども敢えてはそうしない。そこにロマンを感じる。そこにロマンを感じるのは、自分も新卒時代に苦しんだからこそ、困っている既卒の方々であったり、転職を希望している方々を救うことで、自分も引き上げられている気持ちになるからかもしれない。ポテンシャル枠の人間が経験者の人を打ち負かす。この仕事をしていて、そんなシュチュエーションは凄く多いという訳では無いけれど、何度も目にしてきた。企業にも色んな考えがある、そして人柄採用という舵に切る会社もある。そんな時に感じる、下剋上な気分が何とも言えなく好き。※当社のお客様は中小、ベンチャーが多く採用に何かしらの悩みを抱えているお客様が多い。

そんな下剋上を実現するためには時間も労力も掛かる。けれども、その分だけ達成感はある。そして顧客である求職者、企業からは心の底から助けを求められているし、期待をされている。社長が良く言っている。「仕事とは誰かの期待に応えること」であると。凄く共感する。誰かの期待に応えようとするプロセスが仕事の本質とも言えるのではないだろうかと思う。その果てに成果という見返りがあり、お金が貰えるのだと思う。別に当社は宗教チックな会社ではない、当社で働き続ける理由は本当に人それぞれ違う。けれども自分の中での定義づけとしては「夢を見る場所である」と当社のことを考えている。そんな夢から覚めた時、冷静になって損得主義に走って当社のことを見た時には「ブラック企業」と感じる人は正直いると思う。けれども、自分は誰かの期待に応える、応えようとする人間でありたい。社員間の中は凄く良いと思う。どれくらい良いかというと自分の鉄板のネタが社長の物真似であり、それを本人の前でやっても怒られない(笑)大いに受ける(笑)挙句の果てには物真似をした後に社長から「俺はTAKUMIに死んでほしいと思っている」なんてブラックジョークも飲み会中に言われて笑い転げている。それぐらいに仲は良いし居心地は最高に良い(笑)

実は昨年の5月に自分は東京から大阪支店に異動をした。なので個人的にかなり大きな変化があった直近2年間だった。丁度、1年が経とうとしたタイミングだから今回の投稿をしたくなった気持ちもある。本社よりも人数が少なく、一人当たりのパフォーマンスによる拠点数字の影響力は確実に増した。年次も5年目に入り、責任感は大いに増した。そんな中で東京と大阪の市場の微妙な違いにアジャストできていない自分もいる。求職者と対峙をしている時に「自分の発言が正しいのか」と悩むこともある。けれども先日にあべのハルカスに行った。天下のあべのハルカスである。夜だったからとても景色が良かった。そして東京とまではいかないけれど、多くのネオンやオフィスの町明かりが地平線の先にまで広がっているように見えた。大阪にはこれだけの人達がいる。経済規模は申し分ない。絶対に自分たちを必要としている人たちや会社がいる。大きなことではないかもしれないど、町明かりに照らされるように自分の心にも改めて火が灯ったような、そんな気がした。だから、改めてこの場を借りて自分が今の会社にこれからも存在し続ける意味を再構築する。せやからもう一度。

「既卒・第二新卒の就職支援じゃないんやったら意味なんてあらへんねん」

おしまい

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