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人生を変えた一冊

ついにこのタグ「#人生を変えた一冊」がやってきました。

読書家と名乗っている私のとって、また私の人生経験からしても「私が書くべき記事」だったと認識しております。

まず初めに『世界を変えた10冊の本』という池上彰先生が書いた本があります。

この本は『聖書』『コーラン』などの世界的に誰もが知っている本がほとんどですが、世界を大きく変えた10冊が紹介されています。

実は私の人生を変えた1冊もこの中にあります。

『アンネの日記』です。

私は恥ずかしながら大学生まで「アンネ・フランク」という人間を知ってはいましたが、本当に「知っている」だけ、詳しくアンネ・フランクを説明しろと言われたとしても「戦争の被害を受けた子」くらいしか認識がありませんでした。

そんな私がアンネ・フランクとの出会いは本当に偶然の出会いでした。



私が大学3年生の春休みにスコットランドに留学しましたが、スコットランドには日本からの飛行機で直行便がありません。どこかを経由していく必要があります。

有名どころではフランスやアムステルダムです。

私はアムステルダム経由でスコットランドへ留学しましたが、最初の土日を使ってアムステルダムに旅行に行くことにしていたのです。

土日2日間だけで旅行と聞くと驚く方もいるかもしれませんが、飛行機でも2時間くらい、またスコットランドに行くために経由しているアムステルダムは旅行に行くための費用が安く済むのです。

アムステルダムの有名な観光地と言えば「Vincent Willem van Gogh Museum」(ヴァン・ゴッホミュージアム)です。

私はゴッホの『ひまわり』が見たいくらいな感覚でアムステルダムに行くことを決意しましたが、ついでに観光地がないか調べたところ「アンネの家」があったのです。

中学高校で歴史の教科書でちょっと目を通したレベルの私がアンネの家に観光に行ったのです。



実際に行ってみると言葉を失いました。

見るもの全てが暗くて、悲しくて、教科書で習う第二次世界大戦とは全く違う世界がありました。

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ナチスドイツに見つからないために本棚の裏に住んでいるのです。

私はこの本棚を見た時に「こんな世界があったのか」「そもそもこんな世界あってはいけないだろう」など色々な感情が芽生えました。

現地の家具や荷物などは全て撤去されていましたが、それはこの家を観光地にしようと思って撤去したのではなく、フランク一家がホロコーストの一環としてこの家から連れ出された際に家具なども全て撤去されたからだそうです。

何も残っていない家でした。



そして12歳の女の子が書いた日記のレプリカだけが置いてあり、私はどうして今までこの本を読まなかったのだろう、またこの本は絶対に読むべきだと思ったのです。

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私はこの本を読むことを決意し、スコットランドに戻ったらすぐ本屋へ行き『アンネの日記』を購入しました。



それからは毎日朝学校に行く前は『アンネの日記』を読み、学校が終わって家に帰り、食事を済ませた後にまた読むようになっていました。

まさか12歳の女の子が書いた本がこれほど当時のホロコースト被害者の心情を表せているなんて思っていもいませんでした。

本の後半になっていくとどんどん話が暗くなっていき、その中にも光を見つけようとする少女の気持ちを思うと泣けてしまいます。

この本が私に与えた影響はおそらく他の本で越えることはできないでしょう。



『アンネの日記』を入り口として私はユダヤ人差別について、1933〜1945年のドイツの歴史について、ユダヤ人大量虐殺を意味するホロコーストについてを学び始めました。

余談ですが私は『アンネの日記』で卒論も書いています。

そして出会った女性がハンナ・アーレントというユダヤ人です。

彼女は映画にもなっているため有名かもしれませんが、私は彼女の考え方から大きな学びがありました。

これを描き始めるともう一つ記事が出来上がってしまうため後日書こうと思います。

そして私は彼女の考え方がどのように培ってきたものなのかを知るために彼女が書いた本を読み始めました。

ハンナ・アーレントの書く内容、考え方は本当に素晴らしいもので、私は彼女の書いた言葉を何度も目を通しています。

しかし難読な内容が多く、読むことに躊躇してしまう私もいます。




私は今、ここまでこの記事を書いてきて、ハンナ・アーレントについても書かなければこの「#人生を変えた一冊」は書き終わらないことに気がつきました。

記事自体もものすごく長くなってしまうため、一旦ここで本日の記事は終わります。

本日の記事は『人生を変えた一冊(前編)』ということにしておきます。

前編を簡単にまとめると『アンネの日記』との出会いで改めて戦争の悲惨さ、差別、貧困、色々なものが勉強になりました。

アンネの家に行った当時の私は「この内容は全ての人間が知るべきことだ」とまで思ったのです。

この記事を読む人はおそらく社会に出ている人が多いかと思います。読んだことのない人はぜひ『アンネの日記』を読んでいただきたいし、自分の子供に対して人生で一度は読ませてほしい本でもあります。

ぜひ読んでみてください。



実は私はどうしてもこの記事を本日6月12日に書きたかったのです。

なぜならアンネ・フランクが『アンネの日記』を書き始めたのは、1942年6月12日、12歳の誕生日プレゼントに父オットー・フランクからもらった日記帳に初めて日記を書いた日なのです。

アンネ・フランクを研究していた私にとって毎年6月12日は特別な日、1年で一番アンネ・フランクという女の子を思い出す日だからです。

日本人が8月15日に戦争の怖さを改めて勉強する日と同じ感覚で私は毎年6月12日を迎えているのです。

私は毎年noteという媒体を使ってホロコーストについて発信を続けていきます。

ではまた明日。
Taku

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