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経営学(エセ)×文化人類学(なんちゃって)で見えてくる、ミッションという概念の伝わらなさ

「経営学」に「文化人類学」的な視点を取り入れたら面白そう説を唱えてみます。

ただ、僕はどちらの分野も素人レベルなのでボロが出まくるでしょう。ぶっちゃけ「エセ経営学」&「なんちゃって文化人類学」です。それでも、ちょっと面白いモノが見えてくる気がするんですよね。

例えばミッション・ビジョン・バリューをピラミッド形式で表現する構図が世の中では一般的です。でも、僕にとってあのピラミッド構造は「理解はできるけどイマイチ腹落しない構造」なのです。ずーっと歯の奥に何かが挟まったような違和感を覚えていました。

ですが、もしかしたらあの構図は「一神教の世界観」を反映しているからピラミッド状になっている?と解釈すると、自分が腹落ちしなかった理由も分かる気がします。

そもそも「ミッション」の語源ってラテン語のmittere(ミッテレ)って言葉らしいですね。これは「キリスト教の教えを広く伝える」って言葉、つまり福音行為が徐々に現在の意味に変化していったみたいですよ。

だから、「キリスト教的な文化」をふまえたうえでないと、経営学で使われる「ミッション」も体感的に理解できないと思うんです。

言葉は「その言葉が使われる文化を背景にして生まれている」と考えると、他所の文化圏で使われている言葉をそのまま輸入したときに自分たちが腹落ちするかどうかは分かんないですよね。日本は多神教の世界観ですし。

だから、自分たちなりに解釈するならどう説明できるかを考えなきゃなぁと思うのです。ミッション・ビジョン・バリューもピラミッド状じゃなくて自分たちの文化に沿って理解しやすくなる構図があると感じています。

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