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「これが自分だ」という認識は、別に無くても構わない

「自分と向き合う」を色んな人と実践してきて思うことですが、自分が100%クリアに分かることなんて無いと感じています。ピントが近づきはするけど完全には合わない感覚ですね。

そう言う意味で「これが自分だ」って確固たる認識は別になくてもいい。一定の解像度さえあればいい。ただ「これが自分の意志・行為だ」は、あった方がいいと思うのです。

自分が完全にクリアにならないのは「常に自分が変化している」ことと、自分という絶対性を持ちながらも同時に「周辺と関わり合い成立する相対性も持っている」からかなぁと感じています。

突き詰めると、そもそも自分が完全クリアに分かる必要はあるのか?って問いに至ったりもするんですけどね。

「自分が分からない」の悩みは、自分が分かりたいわけではなく「自分の選択に基準が持てない」といった判断軸や勇気に対する悩みだったりすることも多いですよね。

でも、ある程度まで自分を突き詰めると「自分なりに納得いく選択のあり方」が分かるようになるので、もうその段階でイイんじゃないかとも思うのです。

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