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論文紹介 戦争の複雑性とマーケット・ガーデン作戦の敗因

軍事学の研究では戦争の結果は完全な予測が不可能であり、複雑性に富んだ現象であると考えます。これは戦争の結果は運次第であるという意味ではありません。個別に見ていれば、些末に思われるような出来事、例えば部隊の移動で生じたわずかな遅延や、上級部隊の情報提供で生じた下級の指揮官の事実誤認といった出来事が、ずっと後になってから極めて深刻な事態の原因となることがあるという意味で予測が困難なのです。初期の条件のわずかな変化であっても、結果に大きな変化が生じる性質のことを複雑性と呼びます。

戦争が複雑性に富んだ現象であることは、軍隊の運用に計画性を持たせる上で避けては通れない問題です。たとえ緻密に作戦計画を立案したとしても、その通りに作戦を実行できないためです。それでも、部隊が組織的な戦闘を遂行するには計画を立案しなければなりません。そこで軍事学では作戦計画の実現可能性を引き上げる手段として、作戦を可能な限り簡明にすることを重視すべきであるという考え方に立ちます。つまり、その作戦が成功するために満たすべき条件を可能な限り少なくすることで、戦況が思いがけない方向に変化しても、計画がある程度は耐えられるような余裕を織り込むのです。

1944年9月にイギリス軍、アメリカ軍などはマーケット・ガーデン作戦としてドイツの北西部に進撃することを目指した攻勢作戦を実施しました。マーケット・ガーデン作戦を成功させるために複雑な条件を満たす必要があり、部分的には戦果も得ていますが、全体的には多くの死傷者を出した上に戦略的な目標を達成できませんでした。以下の研究は、この事例分析に基づいて作戦全体を簡明にまとめることの重要性を論じたものです。

Lillbacka, R. (2020). Operation “Market Garden”, nonlinearity, and Clausewitzian simplicity. Comparative Strategy, 39(1), 76-93. https://doi.org/10.1080/01495933.2020.1702355

この論文の狙いは、戦争の複雑性を踏まえ、簡明な作戦計画を立案することの重要性を明らかにすることです。理論的な分析については省きますが、著者は戦争のプロセスには予測困難な複雑性があり、初期の条件から結果を見通すことができないことを指摘し、マーケット・ガーデン作戦が失敗した大きな原因は、この複雑性を軽視したためだと説明しています。著者の議論を理解するため、まず作戦の背景と目標について確認しておきます。

1944年6月にノルマンディーに上陸し、西ヨーロッパ侵攻の足掛かりを確保してから、アメリカ軍とイギリス軍はアントウェルペンの港湾を兵站基地にしようと考えていました。しかし、アントウェルペンが封鎖を受けたことで、兵站基地として利用できなくなったため、その封鎖を解除することを目的とした作戦が立案されることになりました。

連合軍の北部戦線を担当する第21軍集団のバーナード・モントゴメリー司令官は、速やかに進撃するため、大胆な空挺作戦を構想しました。この作戦の妥当性を巡って議論が起きましたが、最終的に9月12日の作戦命令でモントゴメリーの作戦計画が承認されました。イギリス第一空挺軍団の下にアメリカ陸軍の第101空挺師団、第82空挺師団、イギリス陸軍の第1空挺師団、第1ポーランド空挺旅団が編成されました。作戦の目的はアントウェルペンへ通じる南のアーネムへの接近経路を確保して一挙に進撃することであり、そのために複数の橋梁を空挺部隊で次々と奪取することが構想されました。

空挺作戦の立案で幕僚が作業に与えられた時間は1週間ほどにすぎず、短期間で準備が進められました。その過程で空挺部隊を輸送する航空部隊から、ドイツ軍の防空火力に晒される危険が指摘され、橋梁から離れた場所に部隊を降下させることが提案され、また輸送機の不足から部隊を降下させるタイミングを何度かに分けることも要求されました。これらの案が受け入れられたことで、空挺部隊は降下後に移動すべき距離が増大し、また戦闘開始の直後に使用可能な戦闘力が制限されることになりました。こうした問題を抱えながら9月17日に作戦は開始されることになりました。

著者は、9月19日1500時にはアーネムに部隊が到達することが予定されていたと指摘した上で、それが部隊にとって厳しい目標であったことを指摘しています。マーケット・ガーデン作戦では中間目標として5か所の橋梁を確保しなければなりませんでした。確率的に考えれば、この作戦全体の成功確率を50%近くにするには、5か所の橋梁それぞれの戦闘で少なくとも87%程度の勝率が見込める戦闘力が必要でした。もし作戦全体の成功確率を75%に引き上げたいなら、それぞれの橋梁の戦闘では94%の勝率が見込める戦闘力が必要となります。こうした確率計算は理論的なものにすぎませんが、マーケット・ガーデン作戦が成功するためには、一つ一つの戦闘で確実に勝利を収められるほどの優勢を期することが欠かせなかったことが分かります。

空挺作戦の前提としていた敵情についても誤認がありました。一般的に空挺作戦では奇襲効果を最大限に活用するため、敵が混乱から立ち直る前に有利な態勢を占めることが期待できなければなりません。さもなければ、敵地に孤立した降下部隊が各個に撃破されることになります。著者はこの点について事前に連合軍が得ていた情報と、現地の状況に大きな乖離があったことを指摘しています。事前の情報では、降下予定地域には、旅団以上の規模の敵が存在しないと評価されていました。しかし、実際にはドイツ軍の第15軍の勢力およそ80,000名が健在であり、後述するように装甲部隊も投入できる状態にあったのです。

9月17日の1300時には連合軍の空挺部隊は予定された地域に降下し、最初の統制線には計画通り進出できました。しかし、その後はドイツ軍の激しい抵抗に直面し、予定通りに橋梁を奪取することができなかったり、またドイツ軍によって橋梁が破壊される事態が生じてきました。この破壊工作のために、部隊は架橋作業を余儀なくされ、部隊の前進には遅れが目立つようになりました。戦闘が二日目以降になると各部隊では死傷者が続出し、停止せざるを得ない部隊も出てきました。このために、作戦全体のテンポが損なわれ、次第に攻勢から勢いが失われていきました。

ここでは、この作戦で特に重要な戦闘だったアーネム橋の戦闘に注目してみます。著者は、この橋梁をめぐる戦闘でも、やはり敵情の解明に問題があり、思いがけない抵抗に直面したと評価しています。当時、この橋梁はイギリス陸軍のロイ・アーカート少将が率いるイギリス第1空挺師団と、自由ポーランド軍のスタニスワフ・ソサボフスキー少将が率いるポーランド第1空挺旅団の攻撃目標とされていました。この橋梁の事前情報でドイツ軍がアーネム付近に強力な防空網を構成しており、航空機の接近は困難であると誤認されていたため、空挺部隊はアーネム橋から10キロメートル前後(6マイルから9マイル)の地域に降下することになりました。

現地に存在すると見られた機甲師団の脅威の情報は過小評価されていました。ドイツ軍の機甲部隊が降下が予定された地域のすぐ近くに展開していることは、作戦開始前に空挺軍団司令部の情報部で勤務していたブライアン・アークハート少佐によって報告されていましたが、作戦全体が中止になることを避けられました。このため、イギリス第1空挺師団とポーランド第1空挺旅団は降下した後でヴィルヘルム・ビットリヒ中将が率いる第2SS装甲軍団と交戦することになりました。この部隊では人員こそ不足していましたが、かなりの砲迫火力の支援の下で戦車を運用することが可能であり、結果としてイギリス第1空挺師団、ポーランド第1空挺旅団は壊滅的な損害を出しました。

以上の分析を踏まえ、著者はマーケット・ガーデン作戦の成功確率について次のような考察を展開しています。

「マーケット・ガーデン作戦は、わずかな時間で目標を獲得することに依存していたため、地上部隊が必要な前進速度を維持する能力が、成功確率の適切な指標である。つまり、必要な前進速度に対する実際の前進速度の比率は、根本的な成功確率に反比例すると想定される。成功の可能性を示す第二の指標は、空挺部隊が降下後に妥当な時間内で目標を確保する能力であり、目標の獲得確率は、基礎となる成功確率に比例するはずである」

(Lillbacka 2020: 85)

著者は、これら二つの指標を使ってマーケット・ガーデン作戦の成功確率を分析しています。著者はデータ・ポイントが少ないため、分析の信頼性を正確に推定できないので、確率の値については暫定的なものと見なす必要があると述べていますが、それでもマーケット・ガーデン作戦の構想に全体として致命的な欠陥があったことは浮き彫りになっています。ナイメーヘンからアーネムの戦闘に関しては、降下した部隊が予定通り目標に到達し、任務を達成できた確率は23%ほどしか見積ることができず、特にアーネム橋については48時間以内に到達する確率は4%しか見積れなかったと指摘しています。このような局地的な不利が作戦全体の成功確率を大きく引き下げることになりました。

マーケット・ガーデン作戦は時間的な制約があったために、一度に複数の戦闘を遂行することを構想した大胆な空挺作戦でした。作戦全体が成功するは複数の戦闘で確実に勝利を収めていく必要があり、しかも厳しい条件下で部隊はそれを達成しなければなりませんでした。モントゴメリーの作戦構想の問題は、個別の戦闘で直面する困難を除去できていなかったことであり、結果として不利な成功確率で作戦を開始することになりました。より小規模かつ限定的な作戦であれば、作戦全体の結果は違ったものになっていたと思われます。

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