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論文紹介 ジョンソン政権のベトナム政策と国内におけるエリートの統制

国際関係論の理論では、その国の政治体制のタイプが対外政策の選択に重要な影響を及ぼすと考えられています。つまり、政治体制のタイプが民主主義に近づくほど、指導者は選挙を通じて説明責任を問われやすくなるため、武力行使に慎重な態度をとりやすくなると考えられます。ところが、政治行動論の研究では、そもそも有権者が対外政策について知識を持っているわけではないことが指摘されています。これは政治的に大きな意味を持ちます。

というのは、ほとんどの有権者は政治知識を補うために、エリートの見解を手掛かりとすることになるためです。もしエリートの見解が一致して政権を支持しているとき、国民も政権が打ち出す政策を支持する傾向があります。そうでないときは、自らが支持する諸党派のエリートが発表した意見を受け入れることで、自分で情報を収集する手間や時間を節約します。

有権者は自ら政治的な意見を形成するのではなく、エリートの動向を手掛かりとして世論を形成しているのならば、民主主義国の対外政策を理解する上で指導者がエリートをまとめ上げる方法に注目することは重要です。次の論文は、民主主義国のエリートが対外政策に与える影響を説明するため、ベトナム戦争のリンドン・ジョンソン大統領の事例を分析したものです。

Saunders, E. N. (2015). War and the Inner Circle: Democratic Elites and the Politics of Using Force. Security Studies, 24(3), 466–501. doi:10.1080/09636412.2015.1070618

国家の指導者は政権を維持するために有権者から支持を集めなければなりません。そのため、対外政策を選び取るときも、その選択で国内の有権者から支持が失われる可能性が考慮されています。このような支持の喪失は指導者にとって政治的な費用となります。これを政治学では観衆費用(audience cost)といいます。

これまでの研究では、観衆費用の有無や程度を一般の有権者の世論という水準で考える傾向がありましたが、むしろエリートの見解の方が政治的に重要である可能性があることを指摘しています。例えば議会や政府の関係者などは指導者の政策選択が自らの見解に反していた場合、その選択に対して即座に観衆費用を課せる立場にあるだけでなく、政権の外部に情報を提示することで、一般の有権者が抱く政権の評価にも影響を及ぼす恐れがあるためです。指導者としてはエリートと対立して、彼らから観衆費用を課される事態を回避するため、多数の有権者が好まない政策を選択するようになる可能性があるのです。

このメカニズムを検討するため、著者はベトナム戦争におけるリンドン・ジョンソン大統領の政権運営の手法を分析しています。ジョンソン政権では、ベトナムの問題に関してエリートとの対立を回避していました。その手法はアメリカの有権者が事態の進展を静観させることに寄与していたと著者は評価しています。

1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件の後で副大統領だったリンドン・ジョンソンが大統領に昇格しました。ジョンソン大統領は政権を発足させた当初から貧困問題の解決、人種差別の撤廃、社会保障の充実に関心があり、これらを包括的に実現する「偉大な社会(Great Society)」の構想を具体化したいと考えていました。ジョンソン大統領にとって北ベトナムの脅威に対する関心は限定的であったようです。しかし、当時の政治状況では共産主義に対して宥和的だと見なされることを恐れていました。

ジョンソンはケネディと同じく民主党の大統領でしたが、この「偉大な社会」の実現に向けた立法過程では、共和党の議員から協力を得ることが不可欠でした。共和党は小さな政府を擁護する立場からジョンソンの「偉大な社会」に否定的であったため、法案成立に向けた懐柔は容易なことではありませんでした。ジョンソン大統領は議員の経験を通じて、対外政策で軟弱だと批判されることのリスクをよく理解していました。1964年以降にアメリカが軍事的措置をエスカレートさせた理由に関して多くの調査が行われていますが、当時のジョンソン大統領の認識として、北ベトナムに宥和政策をとったと評価されたならば、もう共和党の協力は望めないと懸念していたことが明らかにされています。

「ジョンソンは共和党の批判を懸念していた。実際、アンドリュー・ジョンズ(Andrew Johns)の最近の研究では、ベトナムの歴史に関して長らく盲点だったエスカレーションにおける共和党の役割が明らかにされており、ケネディ、ジョンソン、リチャード・ニクソンは『ベトナムが共産主義側に転落した場合の右派からの反発を恐れていた』ことが分かっている」

(p. 486)

また、強硬路線を主張していたのは共和党だけではなく、民主党の議員でも強硬路線を主張する者がいたので、ジョンソンはこうした両方の党派からの批判を回避しようとしました。例外的に反戦の立場をとった人物としては上院議員のウェイン・モースがいますが、ほとんどの議員が軍事的な措置を求めていました(p. 487)。ジョンソンは、有権者のほとんどが北ベトナムに関心を持っていないことも把握しており、政権内部の議論がメディアに漏れ伝わることがないように統制することで、非難の回避に努めました。

ジョンソン大統領が政治的な状況を操作するために、情報を意図的に操作した証拠は数多く報告されていますが、しかし、1964年8月2日にアメリカと北ベトナムとの間で武力衝突が発生したと報告されたトンキン湾事件もその一つとされています。この事件でジョンソン大統領は状況の評価を急ぎ、事実を偽ったことが分かっています。8月4日にジョンソン大統領は16人の連邦議会の指導者を集め、北ベトナムに報復することへの支持を求めており、議会としての決議を出すことを要求しました(p. 495)。このときのジョンソンは、強硬派には自分が強硬派であるように、穏健派には自分が穏健派であるかのように見せかけることに成功しており、結果として政治的論争に陥ることを防ぎました(p. 495)。

少なくとも1968年まではジョンソン大統領の手法は上手くいっていたと考えられています。1965年には18万5000名の部隊が南ベトナムに派遣されており、その規模は1969年までに50万名を超えるほど膨れ上がりましたが、部隊の撤退を支持する有権者は1968年11月まで19%を上回ることがありませんでした(p. 495)。

ジョンソン大統領の事例は、指導者の政策選択を分析するとき、その国内のエリートの動きを考慮に入れることが必要であることをよく示しています。ジョンソン大統領は、民主主義国で多様な政策的立場を表明するエリートを一つの連合体にまとめ、これを自らの政策に協力させることに成功したといえます。しかし、そのために情報を歪曲し、欺瞞的な手法を用いたことが後に明らかになり、非難を浴びることになりました。ジョンソン政権のベトナム政策を国内政治の観点で説明している研究としてはJohns(2010)とStone(2007)も参考になります。

参考文献

Johns, A. (2010). Vietnam’s Second Front: Domestic Politics, the Republican Party, and the War. Lexington: University Press of Kentucky.

Stone, G. (2007). Elites for Peace: The Senate and the Vietnam War, 1964–1968, Knoxville: University of Tennessee Press.

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