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自民党の県連を形態別に分析した『「自民党型政治」の形成・確立・展開』(2017)の紹介

自民党の政治戦略を理解する上で地方政治が重要であることは、これまでにも多くの研究者が議論してきたところです。升味準之輔編『現代日本の政治体制』(1969)では、自民党の党組織の分析が収録されており、中選挙区制の下で当選するには、政治家が個人ごとに組織する後援会こそが重要であったこと、そのために自民党の党組織は必ずしも一枚岩ではなく、地方の自律性が強く残っていたことが述べられています。

シャイナーの『競争なき日本の民主主義(Democracy without Competition in Japan)』(2006)では、地方の各種団体が政治家に票を提供し、その見返りとして公共事業の受注をとるクライエンタリズム(恩顧主義)の手法が分析されていますが、そこで中心的な役割を果たしているのは地方であると説明されています。ちなみに、自民党は都市部で支持基盤が弱いものの、都市部に支持基盤を固めている公明党との連立を組むことによって補完していることも指摘されています(中北浩爾『自公政権とは何か』筑摩書房、2019年)。

しかし、自民党の地方政治にはまだ不明な点が多く残っています。自民党は結党した直後から地方組織の整備に乗り出し、日本全国に都道府県支部連合会(以下、県連)を設置しましたが、そこで中心的な役割を担ってきたのは地方の政治家であり、彼らは決して中央の意向に従うだけの従属的な存在ではありませんでした。笹部真理子氏の『「自民党型政治」の形成・確立・展開』(木鐸社、2017年)は、県連の形態に地域ごとの違いがあることに着目した研究であり、自民党の地方組織に多様性があることを明らかにしています。

笹部真理子『「自民党型政治」の形成・確立・展開:分権的組織と県連の多様性』(木鐸社、2017年)

自民党は1955年に結党してから1956年までの間に、沖縄を除いた46都道府県に県連を設置しましたが、当初は党中央が設定した政治的理念を国民の間に広く浸透させるための組織と位置づけていました。そのため、県連で地方に固有の問題を取り上げる際にも、国家的な見地に従属させて議論すべきであるという方針が示されるなど、党中央の統制を厳格に維持する方針がとられていました。

このような方針が採用された背景として、自民党と対立関係にあった社会党が党勢を拡大し、政権の獲得すら視野に入っていた情勢であったことが挙げられます。当時、自民党の全国組織委員会が発行した支部の組織化要領をまとめたパンフレットでは、党の地方組織を「階級闘争を指導理念とする社会主義と対決するため」の基盤だと述べられていました(62頁)。

しかし、このような方針では党の地方組織の拡大が思うように進まないという現実がありました。支部の設置は進みましたが、党員の獲得は難航しました。1960年代に自民党は地方組織のさらなる拡大を図るための改革案を打ち出し、1963年以降には支部の下部組織として町内会などの自治会に班を、小学校区に分会が設置されることになりました(66頁)。また、1969年度までに50万人の党員を獲得するという目標が設定され、それぞれの県連には中央からノルマが課され、結果として56万人の党員を獲得することができました。ただし、現実に党費を納入しているのは30万人から40万人にとどまっており、新規党員を獲得する難しさが認識されました(同上)。

結局、党中央の指導に基づく活動は地方組織の最低限の基盤を整える上で成果がありましたが、国民に広く浸透するには限界がありました。このような状況が大きく変化したのが1970年代であり、この時期に自民党は地方組織の位置付けを大きく変化させました。全ての党員が参加できる総裁公選制度が導入されたことで入党することの利点を増加させ、また地方組織は地域社会の意見を集約して国政に反映させる組織として新たな機能を与えられました。

その変化については第5章で詳しく述べられていますが、特に注目すべきは地方議会の保守系議員を地域住民と自民党を結ぶパイプ役にしたことです。地方における保守系議員は必ずしも自民党に所属する地方議員とは限りません。地域に固有の事情から自民党と距離を置く必要があるものの、自民党と協力的な関係を持つ地方議員もいました(129-130頁)。また、1973年に全国組織委員会が県連に各種団体連絡協議会を設置し、友好団体との関係構築に力を入れるように指示を出したことも、重要な転換点となりました。これは地域ごと、職域ごとに潜在していた支持者を掘り起こす効果があり、党本部でも各業種別の中央団体連絡協議会が開催されるなど積極的に組織化を支援しました(130-131頁)。

自民党の中央組織委員会は党中央ではなく、政治家が個人ごとに組織する後援会を地方組織に組み入れることに慎重でした。しかし、1970年代になると後援会関係者を地方組織の基盤として積極的に受け入れるようになり、また無党派層を取り込む上で後援会活動の有効性を評価するようになりました。1973年に全国組織委員会が各県連に対して各級議員後援会連絡協議会を設置するように指示し、後援会関係者を地方支部に組み入れたことも、そのような方針の変化を示しています。興味深いのは、学区の分会や町内会の班で一般の市民を巻き込む形での座談会を継続的に開催し、地域の要望を聞き取り、その情報を支部の政務調査会に上げる仕組みを整えたことです(131-132頁)。

著者はこの一連の改革の意義について「ここで重要なのは、党中央は各県連に対して地域の状況に応じて柔軟に対応することを求めたことである。その結果、各県連では、党中央が挙げた種々の方法のうち、地域の政治・社会状況に適合的な方法に重点を置いて、組織の変容と適応を進めていった。その結果、結成以来存在していた県連組織の多様性は、1970年代を通じて、さらに強まっていった」と説明しています(132頁)。自民党の県連が地方ごとに独自の発達を遂げたのは、このような歴史的背景があったためでした。

この著作で最も興味深いのは、第5章から第8章にかけて展開された県連の形態別の分析です。著者は自民党の県連を3種類に類型化しました。一つ目の類型である「県議ネットワーク型」は、県連の運営が都道府県議会の議員、県議に担われており、会長や幹事長があまり交代しません。典型的な事例としては熊本県連が挙げられており、そこでは1959年に熊本県連が旧自由党系と旧民主党系で分裂した歴史があります(151-2頁)。この対立を解消する上で重要な役割を果たしたのが小国町の町長を務めた河津寅雄(1902~1979)であり、その後も会長職は地方政治家から選ばれてきました。会長候補選考委員会も国会議員2名と県議会議員5名で構成されています(155頁)。この構成からも県議会議員が県連で重要な決定を担う存在であることが分かります。

二つ目の類型は「代議士系列型」であり、そこでは国会議員が県連の会長職を独占し、県連の運営において大きな影響力を持っています。典型的な事例としては群馬県連や高知県連が挙げられています。群馬県連で会長候補を選定してきたのは群馬県選出の国会議員であり、党中央で特別に有力な政治家を輩出していることが指摘できます。福田赳夫(1905~1995)藤枝泉介(1907~1971)中曽根康弘(1918~2019)はいずれも入閣の経験があり、特に福田と中曽根は自民党で派閥を指導する実力者でした。1965年に持ち上がった八ッ場ダムの建設計画で住民の対立が先鋭化した際には、賛成派の支持を受けた福田と反対派の支持を受けた中曽根で県連が実質的に二分される状態に陥ったこともあります(162-3頁)。群馬県連において地域支部の活動はそれほど活発ではなく、むしろ国会議員を通じた陳情に活動の重点が置かれているといった特徴も見られます。このため、県連の常任役員と政調会の委員には担当省庁ごとの割り当てが与えられており、陳情を組織的に実施する体制がとられています(164頁)。

三つ目の類型は「組織積み上げ型県連」であり、これは県連の組織構造が安定していません。その典型的な事例とされているのが静岡県連です。なぜ静岡県で県連の組織構造がそれほど不安定なのかという点について著者は静岡県は県内に人口20万以上の規模を持つ都市が散在しているため、東部の沼津、中部の静岡、西部の浜松の間で利害の対立が表面化しやすかったという政治地理的な要因を指摘しています(178頁)。静岡県には有力な国会議員が少なかったために、代議士系列型の県連組織が発達しませんでした(177-8頁)。さらに、市町村議会では地区ごとに候補が推薦される地区推薦制度が根付いていたことから、地方政治家はそれぞれの地区ごとの利害に基づいて政治活動を展開する傾向があり、特定の有力県議を中心に据えて県連が運営される「県議ネットワーク型」の発達も阻まれました。

静岡県連の会長職は国会議員が就任していますが、実質的に県連の意思決定を主導できるわけではなく、「名誉職的」傾向が強いとされています(187頁)。そのため、県連の執行部だけを見れば、幹事長、政調会長、総務会長の三役の地位がより高くなっているといえますが、「組織積み上げ型県連」である静岡県連の特徴として最も重要なのは県連の下部組織である支部の影響力が強いことです。市区町村ごとに置かれている支部は市町村議会議員によって運営されており、支部長、支部役員(支部の幹事長、総務会長、政調会長)はいずれも市議によって努められています(190頁)。国会議員の候補者を選定する際に、静岡県連では支部の意向が重視されていることも指摘されています(197頁)。

各都道府県の県連がこれら3つの類型にきれいに分類できるというわけではありません。著者は3つのパターンが併用されるような場合もあると想定しており、また時期によってパターンが変化するようなことも起こり得ると述べています。日本では1994年の政治改革によって中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に移行しましたが、その影響を受けて高知県連では代議士系列が弱まり、地域支部を重視する体制に変化しました(238頁)。このような変化を都道府県ごとに詳しく分析することができれば、さらに日本政治に対する理解が深まるでしょう。

日本政治を考える上で、地域ごとの特性を考えることの重要性を丹念な分析によって示している文献であり、今後の調査研究に重要な洞察を与えてくれるものだと思います。ただ、ヨーロッパの比較政治学の議論で取り入れられているカルテル政党論の枠組みを議論の出発点に据えた点に関しては、そのような必要性があったのか最後まで疑問が残りました。政党組織論の視点から見えてきた部分もありましたが、例えば選挙地理学の視点を取り入れることで、地理的要因が及ぼした影響をより系統的に調べることもできたかもしれません。

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