出来れば秘密にしとこうぜ?な?否!そんなワケあるかーい!『本当は皆んなに話したい想像の世界のジャスティス』
世界の見え方
私は今、新しい世界で生きている。紛れも無く新世界だ。これは想像の事だろうか。自分の内面の精神が生まれ変わると世界が新しくなるのだが、想像のことなのか本当のことなのかどちらかと思うのはあなたの自由だ。この記事では実体験をふまえて想像の世界の奥深さについて書こうと思う。具体的には小説の中の想像世界の感想等だ。私はクリエイティブ思考でセカイを作る方の人間だ。大人になったそんな気質の人達なら少なからずとも二度くらいは経験した事があるだろう。「世界の見え方が変わった瞬間」というものを…。
鬱病
鬱病になった事がある。これは失恋によるショックによるものが大きい。それによって仕事が続けられなくなったり、色々重なって精神的負担を背負ったのだ。自分の場合、鬱になるのはいきなり脳のスイッチが切り替わる感じだった(暗くなった)。鬱が治るときも同じだ(明るくなった)。成功体験をしたりする事に努めて治るまでよく耐えたと思う。もともとネガティブな思考パターンだったのが、病気をしたことで考え方が非常にポジティブになった。心の筋肉が付いた。私は鬱病になった経験でだいぶ成長した。まだ20代前半の頃だった。その時はただ漠然と「病気になったのだな」としか思っていなかった、しかし今になってから思う。この事は「世界の見え方が変わった瞬間」にカウントしても良いのではないのかと。世界が一度暗くなりそして明るくなったのだ。
神様はいつでもあなたを見ている。誰も見ていなくて無駄な努力だったとしても神様が評価してくれる。
そう思って生き続けてきた。報われない努力もあるだろう。せっかく練習を積んできたのに、ここぞというときに失敗したりすることだ。しかし悔やむことはない。物事には落ち度というものが必ずある。その分何か良いこともあるだろう。あなたなんかまだ良い方だ。私には実績が無い。しかし自分の目指すところに向けて、筋トレの様に努力していた事はなくも無い。その最中に幾度となく挫折した事もあった。その時私は病院に居た。もはや私の人生はマイナスだ、ボロボロだ。今は「成功体験」を多くする様にしていて、これを努力としている。具体的には作品をSNSにアップしていいねをもらったり見てもらう事だ。この記事だって文章の作品だ。あなたが見てくださっているのだ。それは神様と一緒にかもしれない。何故「世界の見え方が変わった瞬間」があったのか、それは人並みに努力してきたからだと思う。例え実績が無くても、自分に自信を持ってもいいという権利は平等ではないか。有名人の様に高らかにあっても良いのではないか?自己肯定感は目の前の人生を前に進めるのに大事だ。ボロボロでも誇らしくあれ。生きていればきっとあなたにも訪れる、新しく世界の見え方が変わる時が。それは心の闇と光が解放される時だ。
共感した本
わたくし率 イン 歯ー、 または世界
この本はテンポが良くて読みやすい。言葉の語呂が自分に合っている。あなたがもし本を読むとしたらあると思う、作者の文章が自分の話し言葉とそっくりで、内容がスルスルと頭に入ってくる、という事が。つまりそんな合っている本だ。本の内容には「世界の見え方が変わった瞬間」に起きた事がほぼ一部始終書いてあった。私はびっくりしてこの本を「自分だけの聖書」としていた。「同じだ」と思ったのがまずタイトルから「わたくし率 イン歯ー、 または世界」とあるように歯の中にわたくし率または世界がインしているらしいのだ。自分が親知らずの抜歯をした時期は、世界の見え方が変わったときの一つのフラグとして記憶に鮮明である。辛い時期の始まりでもあった。ある事を背負った。失うものはあったがそれでも得るものもあったと、ポジティブに考えるようにしているが、いわゆる人生の挫折だ。自分にとってはそんな時期の出来事を励ます様な本だ。一人じゃないと思えるからだ。もう世界の見方を変えるくらいしないとやっていられない。私はこの本の中の想像世界に救われた。
ヘヴン
「ヘヴン=天国」という意味だろう。ある種世界の見え方とは、自分定義の「見立て」だ。私はこう思う。天国と地獄の間がこの世か?否、天国も地獄もここだ。天国なのか地獄なのか、それは世界の見え方によるものだ。最初は地獄に居た。それでも地獄から天国に這い上がってきた事実それが「世界の見え方が変わった瞬間」である、と。ヘヴンの中のストーリーには天国と地獄が混在している。そして世界の見え方が変わった後に気づくこと、それを理解していないと分からない要素が満載なのだ。世界の「見立て」のやり方が自分の定義とおんなじだ。普通に読むとただの物語だしかし、限りなくマイナスにした人間の特性上の上で内容が構成されている。もうちょっと詳しく言おう。人間を限りなくマイナスにして二種類に分ける事ができる。「自分から積極的にグイグイいく方」と「受け身だがどしんと腰を据えて構えている方」の二種類だ。よく喋る女性と黙っている男性みたいなものだ、それがヘヴンのヒロインと主人公だ。主人公は斜視だ。これは文字通り世界の見え方が変わった人に対する、アイキャッチだ。私達にしか分からない、いじめられっ子のアイキャッチ…。神様は見ているだろう、だから目に印が付く。斜視は普通と世界の見え方が異なる。アイをキャッチして不幸な子供たちを集めて、神様は一体何を企んでいるのだろうか。きっと我々をびっくりさせたいのだろう。愛を越えるものを見せたいと必死なのだ。最初は誰でも地獄に居る。目覚めて天国に這い上がってくるのだ。描かれている主人公は大人になったらいじめっ子を見返す様な大物になったりするのかな、等と想像したりしている。
幼年期の終り
SF小説である。小生SFが大好きだ。幼年期の終りからは「人間を越える知性を持つ意志の存在」をリアルに感じとる事ができた。「カレルレン」がそれそのものである。形は西洋の「悪魔」というイメージだ。自分が描くとしたら、もっと可愛くして風の谷のナウシカの「テト」みたいなマスコットにしてしまうのも手だろう。あなたの肩にも目に見えないマスコットが乗っている。最初の「世界の見え方が変わった瞬間」ではそのマスコットの存在をかろうじて確認できたにすぎない。その後、何度かまた世界の見え方が変わり、マスコットが更にアクティブになる。話しかけてくるようになってくるのだ。声は自分にしか聞こえない。厳密に言うと声ではない。音波とはまた別の波動だと思う。日々の生活で、これを私は「幻聴」と説明している。そんな幻聴も最近では落ち着いてきている。メンヘラなのだ。とにかく酷い目に合って心が打ちのめされてメンヘラになった。しかしそのリスクと引き換えに通常、人とは違う体験をしている。ちなみにメンヘラなんて憧れるものではない。人間、健康に越した事はない。頭の中で神様に釣られると頭が壊れてメンヘラになって進化する、そう考えた。「直球」で言ってしまった。私はストレートでしかモノが言えないタイプだ。恵比寿様が鯛を釣り上げているだろう、そのでっかい鯛があなただ。
最後に -パラレルワールドの不思議-
ここまで書いてきたが、このくらい踏み込んで書く必要があると思った。何故かというと孤独だからだ。皆も孤独であろう。「自分も同じだ」と思って貰うと仲間が出来た気持ちになる。「自分とはちょっと違うな」と思って貰うと視野が広がる。いずれにせよ、考え方を共有すると何かメリットがあるんじゃないだろうか。孤独も紛れる。たまに他のアーティストの表現で見る「頭の中に3人の友達が居る・頭の中で3人が相談している」これについては私は違うタイプだと思った。謎だ。他にも色々なアイコンがあって面白い。例えば「猿」「蜘蛛」「金魚」「ゴーグル」「艶ぼくろ」アイコンにも色々ある。ここまでこの記事を読まれると「想像力豊かだな」と思われるか「訳が分からない」と思われるか「この人頭おかしいんだ」と思われるかのいずれかだろう。当たり前だ、私は今鏡の中に居る。私は凡才だが、天才が故に孤独なアーティスト、またはアーティスト志望にだけ分かって貰えたら満足だ。もともと万人受けすると思って書いてない。正直「世界の見え方が変わった瞬間」というのは人生史上の大事件だ。この世界と平行線上にある、パラレルワールド(本当にあったら面白くないかい?)を読み解くことだってもしかすると出来るかもしれない。人生観を広げてほしい。パラレルワールドはあなたが作るのだ。あなたの頭の中と密接に関係しているパラレルワールドだ。つまり短く言うと表現だ。イラストでも歌でも小説でも何でもいい、自分の得意分野で、自分の宇宙を形にして表現してみてはどうだろうか。「既にやってます」と返ってきそうだ。自分の想像の世界を広げてプロを目指して、もうプロの方は更なる高みを目指して頑張ってほしい。私も頑張ろうと思う。カメラのウデももうちょっと上げねば。
それではこの辺で。アディオス!
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