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青森に行ったら奈良美智さんのことが大好きになりました
青森に行ったら、奈良美智さんのことが大好きになりました。
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青森県弘前市の弘前れんが倉庫美術館の「もしもし、奈良さんの個展はできませんか?」奈良美智展弘前2002-2006ドキュメント展がとても素晴らしかったからです。(会期2022年9月17日ー2023年3月21日)
※ふだんのエッセイや展覧会レビューは、作家名等を敬称略で書いていますが、今回はこの展覧会タイトルに合わせて、あえて記事タイトルと冒頭の一部を「奈良美智さん」としています。
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いままでは、「かわいい絵だな」「うんうん子どもって時々こういう顔するよね」くらいの「好き」でした。ところがいまではもうめっちゃ大好きです。弘前でいったいわたしに何が起こったのか。
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奈良美智は、青森県弘前市出身の現代美術家。一見かわいいけどちょっと毒があってポップな作風で、日本国内のみならず海外でも大人気のアーティストです。《あおもり犬》などの彫刻作品でも有名ですよね。
奈良美智
1959年、青森県弘前市生まれ。栃木県在住。1987年、愛知県立芸術大学大学院修士課程修了。1988年渡独、国立デュッセルドルフ芸術アカデミー入学。修了後、ケルン在住を経て、2000年帰国。1990年代後半以降からヨーロッパ、アメリカ、日本、そしてアジアの各地のさまざまな場所で発表を続ける。見つめ返すような瞳の人物像が印象的な絵画、日々生み出されるドローイング作品のほか、木、FRP、陶、ブロンズなどの素材を使用した立体作品や小屋のインスタレーションでも知られる。
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弘前れんが倉庫美術館
博物館学芸員資格の取得を目指して通信制大学で学んでいるわたしが、弘前に着いてまず向かったのが、「弘前れんが倉庫美術館」です。
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「弘前れんが倉庫美術館」は、もとは吉井酒造という酒造会社の煉瓦倉庫でした。この煉瓦倉庫が美術館に生まれ変わったきっかけが、まさに奈良美智の展覧会だったそうなのです。
そのはじまりは、2000年夏、当時吉井酒造の煉瓦倉庫の持ち主であった吉井千代子氏がかけた「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」という一本の電話でした。
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「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」
そもそもこの美しい煉瓦倉庫は、酒造工場として建てられましたが、そこには創業者の「かりに事業が失敗しても、これらの建物が将来のために遺産として役立てばよい」という思いがあったといいます。
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煉瓦倉庫
明治・大正期、実業家・福島藤助(ふくしまとうすけ、1871-1925)は、青森のりんご産業の発展に貢献した楠美冬次郎(くすみふゆじろう、1863-1934)のりんご園等があった場所に、酒造工場として、瓦倉庫を建て、日本酒「吉野桜」を製造しました。福島は当時、「かりに事業が失敗しても、これらの建物が将来のために遺産として役立てばよい」と、建物を煉瓦造とした理由を語っています。
まずそこがすごいなと思います。「将来のために」という思いでつくられた場所は、かならずその場のもつ力となって人を集め、文化や芸術をおこしていく原動力になると思うからです。
戦後、実業家・吉井勇 (よしいいさむ、1900-1982)が建物を引き継ぎ、「朝日シードル株式会社弘前工場」を創業します。会社創業に向け、シードル製造の調査のため2ヶ月間フランス等を外遊した吉井は、新しい技術や製品を積極的に取り入れ、青森のりんご加工業にあらたな道を見出すことを試みました。
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創業者の思いを引き継いだ吉井千代子氏は、文化や芸術に対するひらかれたまなざしを持っていました。そのことが、あの一本の電話につながったのです。
2000年7月、雑誌で目にした奈良美智の作品に強く惹かれた吉井は、奈良が弘前の出身であることを知ります。煉瓦倉庫で奈良の作品を展示することはできないかという想いに動かされ、各所に問い合わせるなかで、当時青森県立美術館開館準備室に学芸員として勤務していた立木祥一郎が、奈良と吉井を引き合わせます。
そうして「弘前れんが倉庫美術館」へと生まれ変わる前の吉井酒造煉瓦倉庫で、2002年、2005年、2006年の三度にわたり、奈良美智の個展がおこなわれることになりました。
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「吉井酒造煉瓦倉庫だからやるってことしか考えてなかった」という言葉にジーンときます。
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ボランティアの存在
そして、煉瓦倉庫での奈良美智展を語るなかで忘れてはならないのが、ボランティアの存在です。
焼瓦倉庫での奈良美智展の成功を担ったのが、企画を動かす実行委員会のメンバーをはじめとする、三度の開催であわせて総勢1500名以上のボランティアの存在です。市内外、さらに全国からも集まったボランティアスタッフたちは、運営・企画から掃除や壁のペンキ塗りなどの設営準備、展覧会期間中の看視や受付、隣接するショップやカフェでの作業までを担いました。展覧会づくりに関わった経験がなくても「自分になにかできることがあれば」という思いを持った参加者たちが集まり、ゆるやかなコミュニティがひろがっていきました。
総勢1500名以上のボランティアたちは、ゆるやかなコミュニティをつくり、「自分たちの展覧会を自分たちで作り上げる」という思いを持って展示会に関わっていきます。
展示されているチラシや新聞、手書きのメモなどの資料から当時の準備のようすが感じられ、その熱とワクワク感が伝わってきます。それらを見ていると、なんだかこちらまで胸が熱くなってくるのです。
つい、なんでわたしこのとき参加しなかったんだろう、と思ってしまいました。でもよく考えたら2002年8月、わたしは臨月で出産をひかえていたんでした。ってことはどっちにしても来れなかったな、とむりやり自分を納得させました。それくらいくやしいと思ったんです。
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毎日のミーティングではボランティア間の意見が交わされ、現場の状況をふまえて、運営のルールが常に更新されていきました。展覧会に関わる人々の間でのフラットな関係性が「自分たちの展覧会を自分たちの手で作り上げている」という共通認識につながりました。
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残されたものひとつひとつに、作家やそれにかかわる人たち、地域の人たちの愛と情熱を感じて、いちいち感動していたわたしですが、いちばん圧倒的だったのがこのことばです。
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22年間、弘前にすんでて、
「いつかここから出たい!」と
ずっと思って嫌ってたのに、
突然、「一生住むかも」…と思ってしまいました。
-2002年のボランティアノートより
これを見て、わたしはちょっと泣いてしまいました。あとの展示が涙でかすんで見えなくなるくらいに。それにいまも、この記事を書きながらちょっと泣いています。
これって、すごいことだと思うんです。ひとりのアーティストや、展示会や、美術館がきっかけとなって自分の生まれ育ったところを好きになり、そして一生住みたいと思うだなんて!
わたしはいま博物館学芸員資格の課題で、「博物館が地域において担うべき社会的な役割とその意義とは」みたいなことをずーっと調べたり考えたりしているんですが、それってこういうことですよね!! そうですよね!! (いったい誰に言ってるんだ?)
余談ですが、わたしのふるさともまた、弘前と同じように雪国で、そしてりんごの町でした。わたしはりんご畑の真ん中で育ちました。でもこの町には何もないと思ってた。わたしはすこしも「一生住むかも」なんていう風には思えなかった。でも心のどこかで、そう思いたくて、もしも美術館があったら、建物としての美術館じゃなくても、芸術や文化へのひらかれた心やそれに触れる機会がもっとあれば、何か変わるかもしれないと、そのためにいま必死になって勉強しているのかもしれないと、今まですこしもそんなことを考えたことはなかったのに、急にそんなことを思ったりもしたのです。
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りんごの木って、すごく独特な木の形をしているんです。果樹なので、果実が実りやすいように、そして取りやすいようにその形に選定するのですが、晩秋になって落葉し、だらりとただその黒い枝を広げたようすはちょっと奇妙で、けっして美しいとはいえません。
ところが弘前と青森を旅するなかで、バスや列車のなかからりんごの木がみえると、とてもなつかしく愛おしく思えました。不思議なものです。弘前れんが倉庫美術館であのことばに出会った影響もあるのかもしれません。
美術館を地域のみんなでつくり、そしてまたその経験が、地域を愛すきっかけになる。ほんとうに、すばらしいものを見せてもらいました。
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熱をつくるひと
奈良美智の作品の魅力、煉瓦倉庫という場の持つパワー、吉井氏のひとがら、ボランティアの力、地域のひとやたくさんのひとの思いが重なってできた展覧会、そして「弘前れんが倉庫美術館」
その情熱の渦の中心にいて、熱をつくっていたひとが、奈良美智。
この展示を見たら、ほんとうに大好きになってしまいます。
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美術評論家の小松崎拓男氏は著書『TOKYO POPから始まるー日本現代美術1996-2021』(平凡社、2022年、11頁)のなかで、奈良美智の戦略的なSNSについて次のように述べています。
(奈良美智は)自身の作品の在り方や方向性を自らプロデュースし、価値付けていく。60万人以上のフォロワー数を誇るインスタグラムやなどのSNSを使ったイメージ作りや情報発信、その中で語られる核廃絶の問題などの社会的なメッセージも含め、作品のイメージを壊さないアーティスト像を作り上げる。柔和な人間像に、ロックなどの若い世代を象徴するような音楽性や知識。掲載された写真から見えてくるアーティスト像は、作品世界の「かわいい」を崩したり、裏切ったりすることなく、リアル・タイムの近しい存在としての奈良美智を伝えている。
戦略的といえばたしかにそういう面ももちろんあるんだろうけど、でもきっとその戦略を超えたところでふつうにむちゃくちゃ熱い人で、故郷を愛する人で、なんか人を惹きつける魅力があって、文学的で、社会的で、愛にあふれていて、そしてめちゃくちゃロックな人なんだろうなあとこの展示を見て思ったのです。
じゃないと、あんな風にまわりのひとは動かないとおもう。熱をつくるひとなんだとおもう。
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そりゃもう大好きになっちゃうよね〜。
りんごのシードル
なんか展示を見ていたら勝手にものすごく熱くなってしまって、美術館併設のカフェでりんごのシードル(ノンアルコール)をごくごく飲みました。
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青森県立美術館
青森旅行最終日は、弘前からJRで新青森へ。そして新青森からシャトルバスで青森県立美術館へ向かいました。
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じつはこの日は11月23日。なんと前日の22日まで改装工事で閉館されていたのです。改装されたばかりの美術館はぴかぴかでまっしろ。
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さて、お目当てのあおもり犬に会うためには、宝さがしの地図をたよりに冒険に行くみたいにいろんな道を歩いていかなくてはなりません。
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ほんとうにこの道であってる? と不安になりながら。
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でも冒険みたいでたのしい。
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ようやく会えたあおもり犬は、まっしろでかわいかった。
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ひとり旅はこういうときはちょっとさみしいね、と思いながら自撮りで写真を撮っておきました。
なんと冬季の11月30日からはこの連絡通路が閉ざされてしまうのだとか。(窓越しの見学は可能)改装と連絡通路の閉鎖の前のわずか7日間の間に、奇跡的にあおもり犬に出会えてよかったです。
明日世界が終わっても
青森に行ったら、奈良美智さんが大好きになりました。
わたしはずいぶん大人になってから大学に入り、学芸員資格の取得を目指しています。するといろんなひとから、「大学はまあわかるけど、なんでまた今さら学芸員資格なん?」「今から学芸員になりたいの?」と言われます。そう言われるといい年なのでどこか恥ずかしく思う気持ちもあったりして、「うん、まあなんとなく」「資格とかぜんぜん持ってないから取ってみたいな〜と思って」なんてごまかすこともありました。
わたし自身もレポートに不合格になったときにはそれなりに落ち込んで、「なんでわたし学芸員資格取ってるんだっけ?」と考えてしまうときもありました。でもこの旅で弘前れんが倉庫美術館の展示を見て、「こういうことだよ! こういうことなんだよ〜」と、わけもわからずに熱くなってしまったりして、気持ちがぎゅっと固まってきたように思います。
やっぱり学芸員資格、取りたいです。やってみたいことも、あるんです。
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うん、あきらめないよ。
#忘れられない展覧会2022 に参加しています。
だれにたのまれたわけでもないのに、日本各地の布をめぐる研究の旅をしています。 いただいたサポートは、旅先のごはんやおやつ代にしてエッセイに書きます!