前川國男建築のすごさって? 青森・岡山・京都へたてものめぐりの旅
正直に言うと、さいしょは前川國男建築のすごさがわからなかったんです。「なんか、ふつうのビルだな」と思ってしまっていました。すいません!
大学の学芸員課程のレポートのために全国の美術館の建物を調べていたとき、前川國男が美術館建築をたくさん手がけていたことが気になりました。
どれどれ、といくつかの建物の写真を見てみても、なんかふつう。外観は何の変哲もないコンクリートのビルのように見えます。
なのにどうして前川國男の建築物はこんなにもありがたがられているのでしょう。ル・コルビュジエの弟子だから? 日本におけるモダニズム建築の父だから? 何か理由があるのでしょうか。
写真だけではどうにもよくわからないので、じっさいに行ってこの目で確かめてみることにしました。そうしたら「前川國男ブシ」みたいなものがわかるかもしれないと思ったのです。あ、わたしは専門家でも研究者でもないただの愉快なレトロモダン建築好きの大学生ですので、この記事は建物めぐり旅行記として読んでいただければさいわいです。
青森・弘前へ
青森県弘前市には前川國男の建築物がたくさん残されています。前川國男は新潟の出身ですが、母方の郷でもある津軽とはかなり縁が深かったようで、そのため津軽の人は「弘前の人、おらほの建築家」と強く思っているのだとか。(「弘前・前川國男建築を訪ねる」パンフレットより)
弘前こぎん研究所(木村産業研究所)
まずは弘前こぎん研究所(木村産業研究所)です。昭和7年(1932)竣工。前川國男27歳。
ル・コルビュジエのもとで学んだ前川國男が帰国後さいしょに出がけ、ル・コルビュジエのモダニズムの理論を実現した建物だといわれています。へえ〜。ル・コルビュジエの理論についてはあとで触れますね。
わたしは建築のことはくわしくないのですが、それでもル・コルビュジエの名前は知っています。(さいしょの)学生時代の彼氏が同じ芸大の建築デザイン科だったのですが、彼や彼の友人たちがしきりにコルビュジエのことを熱く語りあっていたので、「さぞかしすごいひとなんだろうなあ」と思っていたのです。(それは知っているとは言えない…)
コルビュジエからの影響は見られるのでしょうか。さっそくなかにはいってみましょう。
入り口にはネギ。ネギ!? (二度見)
ネギだよねえ。フレッシュで美味しそう。どなたかのおすそわけかしら。うわぁだめだ、ネギしか頭に入ってこない。コルビュジエどっか行った。
ネギが気になりつつも、気を取り直して「こんにちわあ」と言って事務室に入ると、「こぎんですか? 建物ですか?」と聞かれました。「あ、どっちもです」と答えます。
一階は明るいロビーになっていました。先ほどのネギを内側から見たことになります。一面の窓が開放感があっていい感じです。空間の魔法によってネギさえもおしゃれな観葉植物のように見えてきました。
二階に上がってみます。
廊下のそっけない感じも好きかも。窓の金具がステキ。
青森県出身の棟方志功のポスターが飾ってありました。後述する弘前市民会館の緞帳の絵です。
学校の図工室を思い出します。
床も好きだなあ。
窓に小鳥が止まっているみたい。
タイルや取っ手などもかわいい。
二階のバルコニー。バルコニーの上の部分が朱色に塗られています。ここがコルビュジエ節、前川節なのでしょうか。
コルビュジエとの関連については後ほど検証するとして、弘前市内の前川國男建築をもう少し見てみましょう。
弘前市緑の相談所
昭和55年(1980)竣工 前川國男75歳。
弘前公園の中にある建物。前川國男マップを見ながら歩いていたのですが、うっかり見逃すところでした。あまりにも緑になじんでいるから…。
それもそのはず、公園の木々の高さを考慮して高さを抑えているそうです。屋根も銅板の緑色だし、まるで樹木に溶け込んでいるかのよう。L時型になっているのは、ソメイヨシノの木を一本も切らずに設計したからなのだとか。森にいる緑のおじいちゃん妖精といったたたずまい。
弘前市立博物館
同じ弘前公園内にある弘前市立博物館。昭和51年(1976)竣工 前川國男71歳の建築です。
外壁の赤茶色の打ち込みタイルは前川の晩年によく用いられたものだといいます。あたたかみがあって、周囲の環境によくなじんでいます。
なかに入ってみました。(博物館なので、中を見るには入場料が必要です)藩政の成り立ちなどがわかる展示もあり、とても勉強になりました。
そして、建物。中央のロビーがとてもよかったのです。公園の緑がきれい。天井まで届く大きなガラス窓からがたっぷりと光が届きます。朱色のレトロな革製のソファーは開館当初から設置されているものだそう。ここも、公園内の樹木を一本も切らずに建築されたのだとか。
控えめでふつう、建物が主張せず、周りの環境になじむ。けれどもなかに入ったときに、視界が開けて、小さなおどろきがあります。
「日常とのつながりのなかで、でもすこし特別な時間にいることを実感できる」前川國男の建物は、そんな建物なのかもしれない、と思えてきました。
何より「木を切らない」っていうのがやさしい。
弘前市民会館
昭和39年(1964)竣工 前川國男59歳。弘前市立博物館のすぐそばにある建物です。
建物の写真を撮りたかったのですが、ちょうどこの日なにかの催しものが開催されているらしく、たくさんの人が集まっておられました。そこにレンズ(iPhoneですが)を向けるのもぶしつけな気がしてやめておきました。
ですので写真は弘前市のサイトからお借りしています。
外観はコンクリートのふつうの建物ですが、中に入ると棟方志功の緞帳や、洋画家・佐野ぬい氏のステンドグラスや、宙に浮かぶような喫茶batonがあるそうです。ここを訪れた友人によると、この喫茶batonがとっても素敵だったんですって。「え〜あそこ行かなかったの?」と言われてちょっとがっかり。次回は必ず行ってみたいです。青森にはなんだかまた行けるような気がしているんですよね。どうか呼ばれますように。
弘前市民会館は遠巻きに見ただけになりますが、集まっていたみなさんが楽しそうで、この建物が市民に愛されているのが遠くからでも伝わってきました。
青森・弘前で感じた「前川國男ブシ」をまとめてみると、周囲になじむ外観、なかに入ったら大きな窓と広々とした空間があり、開放感を感じる。そんなところでしょうか。
しかしこれではまだ前川國男建築を理解したとは言えません。さらなる探求が必要だと考えたわたしは、岡山市へ。
岡山市へ
近代建築ツーリズムネットワークによると、岡山市には3つの前川國男建築があることになっています。
しかし、岡山ではフラれまくりでした。そもそも年末に行ったのが失敗でした。神戸から広島に帰省するときに立ち寄ったのです。岡山へは青春18きっぷで。
岡山県庁舎
バスを降りたらすぐ向かいにどどーんとそびえているのが岡山県庁舎です。とにかく横に長く、大きい。延床面積は27000平方メートルに及ぶそうです。
昭和32年(1957)に竣工された岡山県庁舎は、ピロティで持ち上げられた全面スティール・サッシュの事務棟が特徴的です。
本館4階から8階までの外壁を覆うガラス窓とパネルは、「カーテンウォール」と呼ばれるものです。パネル表面には表情をつけるための折り目がつけられていて、板チョコみたいと言われています。
写真でみたときは「ふつうっぽい」と思ったのですが、じっさいにみるとその大きさに圧倒され、カーテンウォールと呼ばれる壁の迫力がどかーんとやってきます。
いまでこそふつうのビルっぽく思ってしまうけれど、終戦まもない1950年代にこのビルを見たひとはさぞかしびっくりしたと思うのです。1945年6月の岡山大空襲で市街地の7割とともに、当時の県庁舎も焼失した岡山市。そこにこの県庁舎が、つまりこのカーテンウォールがどどーんとそびえた立ったわけですから、人びとに与えたインパクトは相当なものだったと想像されます。
県庁舎を設計するにあたり、指名競技設計方式が採用されました。多数の候補者のなかから選ばれたのが当時47歳だった前川國男です。その選定理由は「新しい時代の造形感覚に徹し、清新にして滋味あふれる独創に満ちている」というものでした。滋味溢れるって、なんかわかる。
そうか、と思いました。さいしょは前川國男建築の外観を見て「ふつうのビルやん」と思ってしまったけど、「ふつう」をつくったからすごいのか! ということにわたしは気づきはじめました。いまでは当たり前になっている「ふつう」をさいしょにつくったのがすごいんですよね。
ちょっと前川國男のことがわかってきたところでいよいよ中に入ります。
ところが、入り口は工事中。でもすこしくらい見られるところがあるかも、と思っていたわたしが甘かった。けっこうがっつり工事中だったのです。
しかし、「県民ひろば」の案内所は開いているようなので、迂回通路を通って案内所に。「すいません、建物を見にきたのですが、工事中でも見学できるところはありますか?」と聞いてみました。受付の女性は、すこしお待ちください、と担当の職員の方を呼んでくださいました。
「ああ、そんな、見れるところがあったらと思っただけなので、わざわざそんな、大丈夫です」
とわたしが慌てていうと、
「でも工事をしていて、危ないところもありますからちょっとお待ちくださいね」
と、県庁の建築のことを書いた資料を渡してくれました。えらいことになってしまったともうしわけない気持ちで待っていると、担当の男性職員の方が来てくださいました。聞くところによると、段階的に改装補修工事をしていて、いままさにちょうど、「前川建築見どころ部分」を絶賛工事中なのだという。がーん。
ピロティも、中庭にも、回廊もバルコニーも見どころはみんな、どこもかしこも工事中〜。(森山直太朗の「どこもかしこも駐車場」のフシで)
見学できるところはないそうで、もうしわけなさそうな職員さん。いえいえ、こんな年の瀬も押し迫った工事中に訪れたわたしがいけないんです。
「ちょうどこの先にねえ…議会棟の階段があって、そこがまさに前川國男の意匠が現れているところなんですが…そこも工事中で…」
残念そうに工事幕を見やる職員さん。その様子と「意匠」ということばに、職員さんがこの建物を大切に思っておられることが伝わってきました。
ああ、意匠。
「デザイン」ではなくて「意匠」ということばを使われたところにわたしは感動しました。「意匠」というのは「デザイン」の訳語ですが、その意味は、モノの外観をあらわすことばとしてよく使われています。
しかし、蘆田裕史『言葉と衣服』(アダチプレス、2021年)によると、「意匠」はもともとモノの外観ではなく、人の思考や構想を指す言葉だったとあります。
そしてこの職員さんもおそらく、後者の「思考や構想を指す言葉」として「意匠」ということばを使われたようにわたしには感じられたのです。
議会棟の階段の手すりは、ひとの手のかたちに添って握りやすくデザインされており、木の温もりが伝わるそうです。それはおそらく、前川國男の滋味溢れる「思考」であろうと思いました。
職員さんは、わざわざ出口まで見送ってくださり、「耐震保全工事は、令和8年に終了予定ですので、またよかったらいらしてください」とおっしゃいました。
わたしが「あの、保全工事ということはこの建物自体は保存されるということでしょうか?」と職員さんに聞くと、
「はい。工事は必要最低限の耐震工事だけで、大切に残していきます」と誇らしげに答えてくださいました。建物への愛を感じました。
ああよかった。
そして、来てよかった、と思いました。
林原美術館
林原美術館は前川國男がはじめて手がけた美術館建築です。1963年竣工。岡山県庁から岡山城のお堀沿いを歩いて美術館へ。
ところが、展示入れ替え中で休館でした。門が固く閉ざされていて外観すらも見えません…。
しかたなく、とぼとぼ歩いて岡山県天神山文化センターへ向かいます。
岡山県天神山文化プラザ
竣工当時は「岡山県総合文化センター」という文化施設として開館された建物です。1962年竣工。
ところがここも、休館日でした。がーん。
でも門は開かれている。ちょっと近くまで行ってみましょう。
外観は、いたってふつうのビルのように見えました。
しかし、近づくと、何やら天井が黄色い。え、ちょっと何これ。
いやこれは、ただごとじゃない。
わたしは明るい黄色に吸い寄せられるようにピロティへ。
なんだこの空間。それに何? あのオブジェは。
中庭から青空。そして、オブジェ。
どーん。
なんじゃこりゃあ。むちゃくちゃかっこいいではないですか!
え、ちょっと待って、
ここからの、これは、想像できないでしょう。
とんでもないものをつくらはったわ、前川さん。これはふつうじゃない。
ところであの巨大な籠みたいなものはなんだろう。
アート作品のようでした。
ものすごい気を感じました。
アートだわ。この場所はアートです。
違う角度から眺めてみました。
まるで変形ロボのようです。階段がガシャンガシャンと動いて今にもトランスフォームしそう。これが1962年に建てられたものだとは。
ふと、写真集でみたコルビュジエの建物を思い出しました。
建物の裏手や配管もかっこいい。
ル・コルビュジエの建築について
ここで、前川國男が師事したル・コルビュジエについて。
近代モダニズム建築の巨匠といわれたコルビュジエは、1926年に「近代建築5原則」を唱えます。
この原則と前川國男の建物を重ね合わせてみると、その理論がよく理解できます。
1、ピロティ
ピロティとは建物全体を地面から持ち上げている柱のこと。コルビュジエはピロティによって人や車が自由に通り抜けできる空間を確保しようとしました。これは前川建築にも受け継がれています。
2、屋上庭園
建物の中に巧みに自然を取り込んでいます。
3、自由な平面構成
新しい建築構法で広々とした空間が可能に。
4、連続水平窓
横長の窓により採光を取り入れる。
5、自由なファサード(立面)
まさに、未知との遭遇!
前川國男、すごい。すごさがわかったところでそれを踏まえて、さらに京都の建物を見てみましょう。
ロームシアター京都
ロームシアター京都は、平安神宮、美術館、図書館などが建ち並ぶ、歴史的な文化地域・岡崎にある文化施設です。1960年竣工。
水平連続窓、水平にどーんと大きな前川國男建築の特徴が現れています。
ここで、コルビュジエの「建築的プロムナード」と、それに日本独自の視点を取り入れて前川國男が発展させた「エスプラナード」について。
ル・コルビュジエは、建築的な順路にしたがって現象が起こってくる、そんな建築を構想します。これが「建築的プロムナード」です。(松隈洋『前川國男現代との対話』六耀社、2006年)
順路に従って歩くたびに視点や景観が変化し、驚きがある。岡山の天神山文化プラザもそんな感覚がありました。
前川はそれを独自に発展させ、市民が道路からふらっと自由に出入りできる、「エスプラナード」と呼ばれる広場的な空間を構想します。
「エスプラナード」とは前川いわく、プロムナードと同義語ですが、商業的な通路ではなく、人が憩いを持ちながらぶらぶらと歩いて行くようなものだとしています。つまり、ここにたたずんでもいいよといわれている建物なのです。
ロームシアター京都の建物も、エントランスからピロティを通って、ふらりと入って行きたくなります。
コの字型の中庭に出ました。
となりの京都市美術館別館の建物とデザインが呼応し、なじんでいます。
中庭からは、山が見えます。思わず、ふらりと入ってたたずみたくなる空間です。たたずむことを許されている。まさにエスプラナード。
屋根やといの意匠が、美術館の建物とリンクしています。前川はこの岡崎の地に溶け込むようにこの建物を設計したそうです。
建物に入ると、といの部分を見ることができました。こうなっているんですね。
松隈洋『前川國男現代との対話』によると、前川は自身の建物についてこう述べたといいます。
前川國男建築のすごさまとめ
青森・岡山・京都をめぐって、前川國男のすごさがわかりました。場所になじむふつうをつくりあげた、そのすごさと滋味深さ。日本的なたたずむ、という感覚。やっぱり、自分の目でみないとわからなかったことばかりです。では、わたしの感じた前川國男建築のすごさをまとめます。
コルビュジエの建築理論を日本で実現した(ピロティ、水平的連続性)
自由な平面構成とファサード(その後のモダニズム建築の礎となる)
周囲になじむ建物
緑や周囲の自然環境を取り込む
人にやさしい意匠
なかに入った時の開放感(コルビュジエの建築プロムナード)
建築プロムナードを発展させ、エスプラナードというたたずむことを許される空間をつくった
やっぱりじっさいに行ってみるって、大事ですね。満足。でもなかに入れなかった青森の弘前市民会館と岡山県庁舎には、また行かなくちゃ。どうか行けますように。
▼関連note
ドレスの仕立て屋タケチヒロミです。 日本各地の布をめぐる「いとへんの旅」を、大学院の研究としてすることになりました! 研究にはお金がかかります💦いただいたサポートはありがたく、研究の旅の費用に使わせていただきます!