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ハタチの君と、創業100年・神戸の老舗洋服店へスーツを仕立てに。

けっして安いものではない。でもよい買い物だったと思う。

ハタチの息子の、成人式のスーツを神戸の老舗洋服店(テーラー)に仕立てに行った。

息子、はじめての採寸

スーツを仕立てるということ

成人式のためとはいえ、どうせお金を出して買うのなら、ずっと着られるものがいいなと思った。オーダーでつくってサイズが変わったらもったいない、と思われるかもしれないが、ちゃんとした紳士服は「お直しすること」を前提に作られているので、直しながら長く着ることができる。そう考えるとかえってコスパが良いし、サステナブルでもある。洋服のお直しを専門的に学んだとき、そこが紳士服の魅力とおもしろさだなと思った。

じゃあスーツも自分で作れば、という話なのだけど、わたしはドレスだけを愛しているので、紳士服は紳士服を愛している人につくってもらったほうがいいに決まっている。餅は餅屋ってやつだ。

ゑみや洋服店

紳士服を愛していそうなお店を探していたときに思いついたのが、「ゑみや洋服店」創業大正11年、今年創業100年の神戸の老舗テーラーだ。

創業100年 

神戸は横浜と同じく、国際的な貿易港があったことから、早くから洋装文化が発展した街だ。かつては呉服屋だったというゑみや洋服店。呉服屋の別事業として始めた洋服のテーラーが、やがてメインの仕事となって生き残り、今年で創業100周年を迎えたそうだ。

神戸っぽい
かつて生地を入れて持ち運んだトランク

今回、ゑみや洋服店に乗り込んだのは、わたし、息子、夫の三人。息子は主役、夫はスポンサー、わたしはまあ、にぎやかしというか記録係というか。(その役割、いる?)

三人で「たのもう!」とばかりに店内に入る。なんともスタイリッシュな店内にちょっとおじけづく。

しかし、だからといってここでひるんではいけない。ここはわたしが「成人式のスーツをつくりたいんです」「家族みんなイギリスが好きなんでイギリスっぽいのにしたいんです」と、さっさと言いたいことだけ言ってしまう。にぎやかしだって役に立つんだぞ。

フフっと微笑む店主に「こちらへどうぞ」と通されたのは、シックな打ち合わせスペース。サヴィル・ロウの本が飾られていたり、007のコーナーもあってイギリス感満載だ。

サヴィル・ロウとは高級紳士服を扱う一流のテーラーが軒を連ねる、ロンドンのウエストエンドにある街路名。「背広」の語源はこの「サヴィル・ロウ」にちなんでいると言われている。

どうやら店主は無類の007好きらしい。

『007シリーズ』は見たことがないのだが、ロンドンオリンピックの開会式でエリザベス女王とジェームズ・ボンドが共演したオープニング映像はとても印象的だった。

店主は007がお好きなようだ

さて、店主がイギリス好きということにすっかり安心したわたしたち。さっそくオーダーへと進む。

神戸ブランドクーポンなるものがあるらしい

「ちょうどいいときにいらっしゃいました」
と店主。

聞けば、神戸の地場産業であるファッション産業の支援のため、神戸で販売される地場産品を対象とした割引クーポン(神戸ブランド・エールクーポン)があるらしい。

このクーポンを利用すれば、なんと3割引きで商品が購入できるのだ。対象商品が神戸のファッション産業関連商品として認定されているものであれば、神戸市民でなくても、誰でもこのクーポンを使うことができる。

せっかくなので、スーツの予算で三つ揃い(スリーピーススーツ)に、そしてシャツもオーダーすることにした。ありがとう神戸市さん!

スリーピーススーツとは
ジャケット、ベスト(ウエストコート)、パンツ(トラウザーズ)を同素材で仕立てた背広(スーツ)のこと。

イギリスとイタリアの違い

まずは全体的なスタイルを決定する。

007のイメージで仕立てた三つ揃い 

スーツスタイルは、大きく分けて「イギリス風」のブリティッシュスタイルと「イタリア風」のイタリアンスタイルに分かれる。いちばん大きく異なるのは生地の違いだそうだ。

ブリティッシュスタイル
寒冷地で湿気のあるイギリスでつくられているのは、打ち込みのしっかりした厚めのウール生地である。そのため、固めでしっかりかっちりした印象のスーツスタイルになる。

イタリアンスタイル
一方、温暖な気候のイタリアでは、柔らかでドレッシーな仕立てが好まれる。生地もドレープ感のある滑らかな生地だ。全体的にソフトでエレガントな印象のスーツに仕上がる。

ショルダーの形もこんなに違う。イタリアはパッドが少なくなだらかなショルダーに。イギリスはパッドをしっかり入れた構築的なショルダーラインだ。

『男の服飾辞典』より 婦人画報社、1991年 イラスト:タケチヒロミ

どっちのスタイルと言われたら、「当然イギリスでしょ」と思っていたのだが、最近ではソフトなイタリアンスタイルのほうが流行っているらしい。こちらの007イメージのものも、基本はイタリアンスタイルを基調に、肩を構築的に仕上げたそうだ。

シュッとしてる

なるほど、スーツにもトレンドというものはあるのだな。夫の意見も加味し、「基本はイギリス風だけど、トレンドのイタリアテイストも適宜取り入れたものにする」という方向性に決定。次に生地を選ぶ。

サッカー好きの息子は、イタリア代表のサッカー選手のスーツ姿のかっこよさに惹かれていたようで、イギリスとイタリアのいいとこ取りにワクワクしているようだ。

イギリスですよね〜

生地見本帳から生地を選んでいく。

生地見本帳がすでにかっこいい
真剣に選び中

生地は国産、イタリア製、英国製とあって、お値段も異なる。やはり英国製はお高い。でもめちゃくちゃかっこいい。生地台帳からしてかっこいいなんてずるい。

ハリス・ツイードもある

こちらはその名もチャーチル ※ という名前の生地見本帳。

かっこよすぎん?

※ウィンストン・チャーチル(1874-1965)
イギリスの元首相・第二次世界大戦中に首相となり、危機にあった英国を勝利に導いたとされている。

いやあ、これを見ちゃうとね、やっぱり英国製に惹かれてしまう。なんかいちいちかっこいいんだもん。それは息子も同じだったようで、いっけん無地ライクなグレーの生地に見えつつ、よく見たらヘリンボーンの織り柄のある生地を選んでいた。

ヘリンボーン
ヘリンボーンとはニシンの骨(Herring bone)のこと。織り柄の見た目が魚の骨に似ていることからついた生地の名称。

いい選択だと思う

「ハタチのお祝いだからここまではしてあげるわ。あとは(2着目以降は)自分の力でやってな」と、念押ししながら決定。

チャーチルに決めた!

仕上がりをイメージしながら生地を決めていく、という非日常な体験に「すご」と、興奮している様子の息子。

ボタン、裏地、裾のカット…決めることはたくさん

生地が決まったら、スタイルを決めていく。決めることはたくさんある。

と、その前に、ジャケットの名称をおさらい。

『男の服飾辞典』より

ボタンの数

まずは、ボタンの数を決める。最近では、3つボタンのひとつがけ、というスタイルが主流らしい。

2番目のボタンを留め、いちばん下のボタンは留めない設定だ。ではひとつめのボタンはどこにあるのか? ということなのだが、段返りといってラペル(下の衿)の裏側にある。これは留めることを想定してないボタンなのだ。

『男の服飾辞典』より

この3つボタンひとつがけがいまの主流らしい。ほほう。

ちなみに、例えばイギリスのモッズスーツになると、4つボタンのふたつがけなんかもあるらしい。たしかにビートルズとか60年代のイギリスのスーツって、多目のボタンをきっちり留めているイメージがある。モッズスーツの特徴としては、Vゾーンが狭く、細身で、ウエストがシェイプされていてその位置も高いそうだ。(店長談)

モッズ
1950年代後半〜60年代中頃にかけて、イギリスで流行した音楽とファッションのスタイルのこと。ミリタリーパーカーに細身のスーツ、スクーター、女の子たちはミニスカートのワンピース、というイメージ。モッズの若者たちを描いた映画、『さらば青春の光』(Quadrophenia・1979年制作)に影響された若者がたくさんいたという。

この感じのモッズスーツを成人式用にあえてつくる子たちもいるそうだ。男の子4人でビートルズっぽい感じに。それはそれでカッコいいね。

ただ、今のトレンドは「3つボタンひとつがけ」だそうなので、そちらにしておいた。Vゾーンが深いほうが今のスタイルに合わせやすいみたい。(個人的にはモッズっぽいのも好きなんだけど)

カッタウェイ

カッタウェイ(Cutaway)
カッタウェイとは、腰のあたりから斜めに丸く裁った上衣の前裾のこと。

『男の服飾辞典』より 
『男の服飾辞典』より 

本来のジャケットは、シャツを見せてはいけないという掟があったそうなので、あまりカットを入れなかったそうだが、現代では軽快なイタリアンなエレガントスタイルの流行もあり、前裾を流れるようなラインでカットすることが多いそうだ。そっちのほうが着やすいという夫の意見も取り入れ、そうすることに。

定番のスーツでもやっぱり流行ってあるんだね。いろいろ勉強になるなあ。

まだまだ決めることはあるよ。ちょっと疲れてきたけど、どんどんいこう。

ボタン

ボタンは水牛のつや消しタイプに。

裏地(ライナー)

裏地は、ジャケットを脱いだときの裏側と、ベスト(ウエストコート)だけになったときに背面に使われる。裏地って意外と人から見られているので、けっこう大事なのだ。

生地に合わせて裏地を選ぶ。

裏地の生地見本

裏地だけは、ちょっと遊びを入れてみた。本来なら同系色のグレーにするところを、少し紺色にふってみた。ジャケット脱いだ時にちょっと遊び心があったほうが、うんとお洒落な気がする。

息子は悩んでいたけど、最終的には自分で決めていた。決めることがたくさんあって、けっこう大変だ。

シャツ

シャツは、息子の希望でちょっと薄いブルーがかったものにした。限りなく白に近いブルー。

衿の形は、ウインザー・カラー。

『男の服飾辞典』より 

ウィンザー・カラー
「ワイド・スプレッド・カラー」の俗称。英国王エドワード8世(のちのウィンザー公)にちなんだ名称。

『男の服飾辞典』より 

チャーチル、ウィンザー、こうなったら英国づくしだ。

創業100年

ちょうど、創業100年記念ということで、スーツには記念のタグをつけてくれるそうだ。創業1922年で100年記念だから、オーダーした年が2022年だということがわかる。息子は2002年生まれだから、ハタチの記念に作ったこともわかる。

1922年、2002年、2022年。

時間って不思議だ。息子を産んだのはついこの間のことのようなのに、もうハタチだなんて。

いま息子は、自宅から大学に通えるという恵まれた環境にいるが、これからほんとうに自分の足で立って生活できるようになるんだろうかと、漠然とした不安を抱えている時期でもあると思う。

きっとこれからいろいろ自分で決めていくことが増えていく。

自分で決断することを避ける人がとても多いこの世の中で、自分で決めて、自分で責任をとっていくことはなかなか厳しいことかもしれない。でも、じつは楽しいことでもある。

オーダーメイドだってそうだ。スーツだって、自分の人生だって、ひとつひとつ、決めていかないといけない。自分のやりたいことや、さまざまなことと折り合いをつけながら。

例えばスーツの「流行」だって「時代の流れや社会的な決めごと」だという捉え方もできる。自分の「好き」をどこまで貫いて、どこまで世の中に合わせていくのか。そして予算とどう折り合いをつけるのか。

これは練習だとも言える。決めて、選んで、自分の「好き」を自分で見つけながら、決断していくトレーニングなのだ。

売ってあるものを、ちゃちゃっと買えば、負荷はちっともかからない。オーダーは決断の連続だ。けっこうめんどくさいし、大変だし、時間もかかる。若い人風にいえば、「タイパ」(タイムパフォーマンス)も悪い。

でもその結果、何が得られるのか。

着た時に何を感じるのか。


息子よ、これは人生の大いなる練習なのだよ。


仕上がりが、楽しみだ。


参考文献
『男の服飾辞典』、婦人画報社、1991年

▼関連note

▼ゑみや洋服店

▼神戸ブランドエールクーポン


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