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「今いる日常から創造がなされる」 宮沢賢治のはたらき方

とてもじゃないけど、時間がなくて「創作」にまで気持ちがまわらない。

というのも今、本業・副業・学業・主婦業という四つの「業」を同時進行しているからだ。とはいえすべて自分から選んだ道である。けれども気がつくといつも時間に追われている。時間さえあれば、もっと創作活動をすることができるのに。そう思っていた。

どうすれば時間を作ることができるのか

副業や学業を始めたのはコロナがきっかけだった。本業のウェディングの仕事、ドレス制作の仕事がコロナの影響で激減したからだ。少しでも収入の足しになるようにと副業を始め、今後のことも考えて大学で学び直しをすることにした。

副業とはいえ、ファッションとアートに関係している仕事で、文芸を学ぶ大学もそとても楽しいのだけど、当たり前だけどそれぞれとても片手間にはできなくて(主婦業はすでにサボれるだけサボってる)いっぱいいっぱいだ。そうこうしているうちに本業もボツボツ動き始めた。うわ〜。

「とにかく時間がない、どうしよう」と悩んでいたら、意外なところから答えがやってきた。

「限界芸術」という考え方

大学の「文章表現基礎」の授業だった。そこで、「限界芸術」という考えを知った。

「限界芸術」とは、哲学者の鶴見俊輔が提唱した、専門的な芸術家ではない人々によってつくられ、専門的ではない人々によって受け入れられる、芸術と生活の境界線にあたる作品を「限界芸術」とする考え方である。(『限界芸術論』鶴見俊輔、ちくま学芸文庫、1999年)

つまり、芸術家が作る芸術作品ではなく、市井の人が創作して楽しむ「日々の暮らしのなかにあるアート」のことだ。

例として5000年前のアルタミラの壁画や、落書き、盆踊りやこけし等の民芸品が挙げられている。また学問の立場からは柳田国男、民藝運動をおこした柳宗悦らが挙げられている。

そして限界芸術の作家として特別な存在であったと鶴見によって紹介されているのが、農民であり小説家であり音楽家であり教師でもあった宮沢賢治なのである。

限界芸術の作家、宮沢賢治

宮沢賢治(1896ー1933)日本の詩人、童話作家。農民であり農学校の教師でもあった。

「農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性と通ずる具体的なる表現である。」ー宮沢賢治

宮沢賢治は、その農民としての暮らしや、教師としての経験から芸術作品を創作していった。また、その人生と自然とを切り離すことなく、芸術写真として詩歌にあらわした。

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「じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分でそれをわたくしが感ずることは水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ」 宮沢賢治 ー詩「種山ヶ原」下書稿(一)

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農民、そして教師としての宮沢賢治

宮沢賢治は農学校の教師であった。農業だけでなく、化学や鉱石、そして宇宙や音楽についても造詣の深かった宮沢賢治の授業は、さぞかし面白かっただろうと想像する。

宮沢の授業は、授業中に歌をうたったり、レコードをきかせたり、おはなしをしたり、山野を一緒に歩いたり、という今日でさえ考えられぬ劇的な教育であったことが、生徒たちの回想録に見える。学校劇のために書き下ろされた脚本の中から、「植物医師」、「ポランの広場」、「注文の多い料理店」が生まれたのである。(『限界芸術論』鶴見俊輔、ちくま学芸文庫、1999年)

なんと学校劇から「注文の多い料理店」が生まれたとは!  うらやましい。こんな授業受けてみたい。賢治先生と山野を散策して夜空を観察したいなあ。

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今いる日常から芸術の創造がなされなくてはならない

鶴見俊輔は、教師や農家という仕事のなかから創作をしていた宮沢賢治を例にあげ、「自分の今いる日常的な状況そのものから、芸術の創造がなされなくてはならない」と述べている。

同様のことを、劇作家の井上ひさしも語っていた。

 科学も宗教も労働も芸能もみんな大切なもの。けれどもそれらを、それぞれが手分けして受け持つのではなんにもならない。一人がこの四者を自分という小宇宙のなかで競い合わせることが重要だ。(中略)あらゆる意味で、できるだけ自給自足せよ。それが成ってはじめて、他と共生できるのだよ。そうしないと、科学が、宗教が、労働が、あるいは芸能が独走して、ひどいことになってしまうよ。賢治がそう云っているような気がしてなりません。 井上ひさし『宮沢賢治に聞く』(文集ネスコ/1995年9月)新収「賢治は人間の手本である」から


つまり、本業、副業、学業、主婦業の四つの業を同時進行してて時間がないから創作できないとか、ブーブー言ってないで、その中から創造をしていけばいいんだと賢治先生はおっしゃっているのだ。

はい、先生。わたしに与えられたこの四つの業に感謝して精一杯はたらきながら、創作の源にしなさいってことですよね。

確かに、それぞれを切り離すのではなく、副業は学業や本業にもつながるし、子育てや家族との体験、自然とのふれあいは創作にも活かされる。それらはすべて、わたしという小宇宙でつながっているのだ。

そう考えると、「時間がない」と焦っていたのが、急に楽になった。


イーハトーブはわたしたちの日常のなかにある。


賢治の物語にたびたび登場する蠍座(右下)と、ケンタウルス族の射手座。

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わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や宝石入りのきものにかはつているのをたびたびみました。 宮沢賢治「イーハトーブ童話 注文の多い料理店」から「序」


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出典

・『限界芸術論』鶴見俊輔、ちくま学芸文庫、1999年

・『別冊太陽 宮沢賢治 おれはひとりの修羅なのだ』2014年


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☆トップ画像: coniconiphotoworks

☆その他の画像は、「わたしのイーハトーブ」であるふるさとで、わたしが撮影したものです。




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