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JAPANESE ROCK 80's 名盤選

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79年から93〜94年頃までの日本のロックを盤単位で紹介。 音楽的な側面から検証・紹介していきます。
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2014年8月の記事一覧

12枚目 THE YELLOW MONKEY「EXPERIENCE MOVIE / 未公開のエクスペリエンス・ムービー」(1993年)

12枚目 THE YELLOW MONKEY「EXPERIENCE MOVIE / 未公開のエクスペリエンス・ムービー」(1993年)

 僕が初めてイエロー・モンキーを見た時、僕は彼らの存在を知りませんでした。ライヴハウスの客席からは黄色い声。
「アニー!」・・・え、キラー・メイの?
「ヒーセ!」・・・え、16レッグスの?
「ロビン!」・・・誰だかわからないw 後でこのロビンというロンドンブーツを履いたヘタクソな<ギタリスト>がアーグポリスにいた人だと知りました。
その時のヴォーカルは元SHOCKの松尾賢一という人で、喋りがやたら

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11枚目 MARCHOSIAS VAMP「PLEASURE SENSATIONS!」(1987年)

11枚目 MARCHOSIAS VAMP「PLEASURE SENSATIONS!」(1987年)

僕はイカ天ど真ん中の世代であるのに、ほとんど見たことがありません。ですが、当時マルコシアス・ヴァンプが出場したと聞いた時は驚きました。当時のマルコシは、インディーズの世界では既に実力が認められた、それなりに有名なバンドだったから。実は、この出場は3rdアルバム「乙姫鏡」のプロモーションのためだったらしいのですが、そこは実力派バンド。4代目グランドイカ天キングにまで上り詰め、メジャーデビューを勝ち取

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10枚目 ZELDA「SHOUT SISTER SHOUT」(1988年)

10枚目 ZELDA「SHOUT SISTER SHOUT」(1988年)

 バンドの音楽性は変わりゆくものとはいえ、正反対のベクトルに振れるということはそんなにあるものではないでしょう。ZELDAが文化系からダンサブルでファンキーなサウンドへ急激に振れていく瞬間の、偶然の傑作ともいえる作品がこれです。

 ZELDAといえば、リザードのモモヨのプロデュースでデビューしたニューウェイヴバンド。ガールズバンドであること以上に(おまけに、当時は世界で最長の連続活動期間を更新し

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9枚目 PRINCESS PRINCESS「TELEPORTATION」(1987年)

9枚目 PRINCESS PRINCESS「TELEPORTATION」(1987年)

メジャーどころを続けましょう。
プリンセス・プリンセスなんてどうですか。

 プリプリはガールズバンド史上、最高の人気と売り上げを誇ったバンドです。しかし、熱心な音楽ファンの中には彼女たちを全く評価しない人も多いでしょう。よくある売れ線への否定だけでなく、いろいろなところから漏れ聞こえてくる裏事情を知ればそれも仕方ありません。ですが、その前に当時の音楽シーンがどんなものだったかを考えてみましょう。

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8枚目 KATZE「STAY FREE」(1989年)

8枚目 KATZE「STAY FREE」(1989年)

 最近、布袋寅泰のライヴのバックコーラスをパーソンズのJILLとKATZEの中村敦が担当したことがニュースになっていました。中村のヴォーカルの力強さはさらに増していましたが、その容姿は全盛期とはかけ離れたものでした。それでも話題になるのは、まだ待っているファンが多いということなのでしょう。

 シーンとメディアの狭間に挟まれたまま、評価の定まらないバンド。なのに、一部からは熱狂的な人気を持って語ら

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7枚目 ローザ・ルクセンブルグ「ROSA LUXEMBURG II」(1986年)

7枚目 ローザ・ルクセンブルグ「ROSA LUXEMBURG II」(1986年)

 どんとという人は、いつの間にあんなにビッグになったのだろうか。僕がローザ・ルクセンブルグを初めて聴いたのは、86年だったか、87年だったか、どこかのFM局で放送していた、当時、仙台で毎年行われていたロック・フェス<ロックンロール・オリンピック>の特番でした。曲は「在中国的少年」。ローザはその1曲しか放送されなかったのですが、それはものすごいインパクトで僕の中に残りました。しかし、この頃、<どんと

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6枚目 JAGATARA「ニセ予言者ども」(1987年)

6枚目 JAGATARA「ニセ予言者ども」(1987年)

 JAGATARAの代表作といえば、暗黒大陸じゃがたら名義のファースト・アルバム「南蛮渡来」を挙げる人が多いのではないでしょうか。しかし、好きな作品は?と聞くと、このアルバムを挙げる人が多いような気がします。

 江戸アケミが精神疾患から復帰し、活動再開したのが85年。87年に「裸の王様」をリリースし、同年2枚目となるスタジオ作品がこのアルバムでした。

 「裸の王様」同様、パンク直系の攻撃的なム

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5枚目 筋肉少女帯「SISTER STRAWBERRY」(1988年)

5枚目 筋肉少女帯「SISTER STRAWBERRY」(1988年)

 この時代、パンクとメタルは水と油のような関係で、パンクがメタル化しようものなら、ものすごい非難を浴びました。ラフィン・ノーズ然り、GASTUNK然り。でも、アーティスト側から見れば、そんなことを気にしてる人はあまりいなかったような気もしますが。

 メジャー期の筋肉少女帯が期せずして成し遂げたものは、そんなナゴム的なパンク・ルーツのインディー・ロックとメタルを融合させたことでした。そして、それが

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4枚目 ZABADAK「飛行夢(そら とぶ ゆめ)(1989年)

4枚目 ZABADAK「飛行夢(そら とぶ ゆめ)(1989年)

 80年代は男女コンビのアーティスト、というよりクリエイター・チームみたいな活動をしている人が多かった印象があります。サロン・ミュージック然り、Dip in the Pool然り、そして、このZABADAKはその筆頭ともいえる存在でしょう。

 もっとも、活動開始時は吉良知彦、上野洋子、松田克志の3人組でした。ケイト・ブッシュを標榜した音楽を作っていましたが、ノルウェーのフラ・リッポ・リッピのカヴ

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3枚目 NEWEST MODEL「SOUL SURVIVOR」(1989年)

3枚目 NEWEST MODEL「SOUL SURVIVOR」(1989年)

 彼らの存在を知ったのはメスカリン・ドライヴのお仲間バンドとしてだったのですが、初めて聴いた時の強烈な違和感は、今も僕をこのアルバムに向き合わせる。つまり、僕に<洋楽>を教えてくれた最後の作品ということ。日本のロックだけ聴いていても理解できない世界がある。その深みを教えてくれたのがこのアルバムでした。

 例えば、ミーターズの「Hey Pocky-A-Way」がカヴァーされていますが、80年代の日

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2枚目 DEAD END「GHOST OF ROMANCE」(1987年)

2枚目 DEAD END「GHOST OF ROMANCE」(1987年)

 これがメジャーから出るんだから、(お金の面はともかく)ロックバンドが活動しやすい環境が整ってきたのは間違いないでしょう。

 80年代後半はジャパメタが一世を風靡した時代で、王道から異端まで様々なバンドが存在しました。
中でもDEAD ENDは一際特異な存在で、いわゆるメタルとは違った楽曲構造を持ち、魑魅魍魎だ妖怪変化だと歌う歌詞はまるでホラー映画かラヴクラフトの小説かといった感じで、現在だった

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1枚目 BOOWY「"GIGS" JUST A HERO TOUR 1986」(1986年)

1枚目 BOOWY「"GIGS" JUST A HERO TOUR 1986」(1986年)

 第1回目は、いろんな意味で日本の音楽史上の転換点になったBOOWYからいきます。
 BOOWYのシーンへの最も大きな貢献といえば、歌謡曲に迎合しないロックをメジャーな地点に押し上げたこと。現場単位では盛り上がっていたものの、あくまでも熱心なファンのものだったロックを表面化させたのはまさにBOOWYの貢献でしょう。

 そのブレイク・ポイントは86年9月にリリースされたシングル「B・BLUE」だっ

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序文

80年代の日本のロック名盤選を紹介していこうと思います。
ここでいう80年代とは、79年の東京ロッカーズに始まり、93~94年に渋谷系、小室系、B-ingのタイアップソングなどが表面化するまでを指します。
中でも、80年代後半以降。硬派な音楽雑誌が採り上げたがらなかった、ロックがメジャー化した時代の名盤を、多少振り幅を持たせながら紹介していこうと思います。

この時代はインディーズ・ブームに始まり

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