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1枚目 BOOWY「"GIGS" JUST A HERO TOUR 1986」(1986年)

 第1回目は、いろんな意味で日本の音楽史上の転換点になったBOOWYからいきます。
 BOOWYのシーンへの最も大きな貢献といえば、歌謡曲に迎合しないロックをメジャーな地点に押し上げたこと。現場単位では盛り上がっていたものの、あくまでも熱心なファンのものだったロックを表面化させたのはまさにBOOWYの貢献でしょう。

 そのブレイク・ポイントは86年9月にリリースされたシングル「B・BLUE」だったと思うのですが、その曲を含むアルバム「BEAT EMOTION」がいささか刺激に欠ける出来だったことと、バンドの勢いがピークにあったのがこの作品が録音された「JUST A HERO TOUR」の時だったと思うので、こちらを採り上げます。

 BOX入りの限定10万枚は即完売。長い間プレミアムがついていました。ライヴ・アルバムでありながら差し替えやオーバーダビングを施し、それを公言していたという意味では、"実況盤"ではなくひとつの完成された"作品"といえます。また、「Image Down」での氷室のあまりにも有名なMC「ライヴハウス武道館へようこそ!」に象徴されるように、"武道館ライヴ"の印象が強いのですが、実際には「JUST A HERO TOUR」の様々な公演からの録音を編集したもの。こうして完成度を追求した"ライヴ・アルバム"を作ったことにより、ロックの魅力はライヴにあり、という印象を広めたのも功績に挙げてもいいかもしれません。
 また、2012年には「"GIGS" JUST A HERO TOUR 1986 NAKED」なる、未編集の武道館公演の音源もリリースされました。

 BOOWYといえば8ビートという印象ですが、16ビートのファンキーな曲から変則リズムの曲まで、ほかのどのバンドよりもリズムへのこだわりを感じさせる要素が多いのは、あまり気付かないポイント。実はファンクからの影響も大きい。そういった曲をタイトに支えた松井恒松のベース・プレイ(実はスラップもこなす人です)と布袋の多彩なギターワークとジャストなリズム感は聴き所です。
あと、氷室が書く洒落た横文字を多用したナルシスティックな歌詞は重要で、実はBOOWYのファンの多くはサウンドよりもこの歌詞に惹かれていたのではないかと思える節があります。それは日本人のヤンキー性というところに繋がっていくのですが、この話は別の機会に。

 最後に個人的なことを。
 BOOWYを最初に聴いたのは、ラジオで聴いた「B・BLUE」だったか、NHK-FM(だったと思う)で放送された都有3号地での山下久美子とのジョイント・ライヴだったか、そして、普段それほど付き合いのないヤンキーの同級生から借りた「"GIGS" 」のカセットテープだったか、もはや記憶は曖昧なのだが、BOOWYとこれまた別の同級生から借りたラウドネスの「8186 LIVE」の2枚が、僕の行く先を変えてしまったんだなと、いま振り返ってみてそう思います。

 長くなってしまった。初回拡大版ということでw 次回からはもっと簡潔に短い文章でいきます!

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