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9枚目 PRINCESS PRINCESS「TELEPORTATION」(1987年)

メジャーどころを続けましょう。
プリンセス・プリンセスなんてどうですか。

 プリプリはガールズバンド史上、最高の人気と売り上げを誇ったバンドです。しかし、熱心な音楽ファンの中には彼女たちを全く評価しない人も多いでしょう。よくある売れ線への否定だけでなく、いろいろなところから漏れ聞こえてくる裏事情を知ればそれも仕方ありません。ですが、その前に当時の音楽シーンがどんなものだったかを考えてみましょう。

 日本でガールズバンドという括りが定着したのは、SHOW-YAの功績でしょう。その人気を拡大させたのがプリプリです。では、なぜガールズバンドという括りが必要だったのか。それは、ヴォーカルとキーボード以外の女性プレイヤーが認められない時代だったからです。いたとしても、その多くはプロとしての演奏力には程遠かったりしたのも現実で、実力を認められるためには、SHOW-YAのように男勝りのスタンスを取るしかありませんでした(そして、その風潮にNoをつきつけたのもSHOW-YAでした)。しかし、ガールズバンド(そういえば、当時は"ギャルバン"でしたね)という形が浸透してくると、それを逆手に取る形で、音楽性や演奏力などよりも女の子ということを売りにしたバンドが増えてくるのです。そのため、スタッフには様々な苦労があったと想像します。

 プリプリはもともとはオーディションで集められたアイドルバンドでした。やはり技量はありませんでしたが、屈辱的ともいえる活動を強いられていたことから、メンバー間の結束は高まっていきます。改名から事務所の移籍を経て、マネージャーに市ヤンこと市村恵美子が付くと、彼女の頑張りもあって、どんどん人気は加速していきました。

 デビュー・ミニアルバムを経てのこのファースト・フルアルバムの制作にあたって、スタッフの間からは、自分たちでオリジナル曲を書けるのかと疑問の声が上がったといいます。それに奮起したメンバーは、シングル曲以外はほとんどを書き下ろしました。驚くべきはそのクオリティの高さで、初めて作ったオリジナルだという「ソーロング、ドリーマー」を始め、「ガールズ・ナイト」「ユー・アー・マイ・スターシップ」「モーション・エモーション」(この曲のみ片野悦郎との共作)、「ヴァイブレーション」など、名曲揃い。個人的には「言わないで」が隠れ名曲だと思っているのですが、単純に楽曲の充実度という意味では、このアルバムがいちばんだと思います。まだ後のプリプリらしい明快さはなく、全編を覆うもやっとしたエコーの向こうに少し陰鬱でエロティックなムードが漂っているというこの作品のトーンは、日本のロックの歴史の中でも類似するものがあまり思い浮かびません。

 ただし、プリプリの作品で常に指摘される演奏の他人行儀さ加減(察してくださいw)という問題があるので、作品をそのままストレートに評価することはできません。しかし、これはファースト・アルバムであるということと、以降の作品よりも遠慮のない他人行儀さ加減は、疑う余地なくこのアルバムは楽曲で評価すべきだという指針を与えてくれます。皮肉な書き方でごめんね。でも、聞こえる音はいいんですよ。そして、プリプリに限らず、当時はこういう聴き方をするべきアーティストは実はたくさんいたんじゃないかと思います。そういう時代だったわけです。
 ちなみに、プリプリ作品には、アレンジャーの名前が明確に記されていません。このことは、メンバーをはじめ、アドバイザー的存在だった片野悦郎、プロデューサーの笹路正徳や河合マイケルなどのスタッフの総合体がプリンセス・プリンセスなんだということを教えてくれます。

 また、奥井香のヴォーカルは、喉がまだそれほど荒れていない時期のため、繊細な表情が聞き取れるところもほかのアルバムでは聴けないポイントです。このとき既に、奥居香の作曲におけるひらめきや、ドリーミーで美しくノスタルジックな風景を描く富田京子、心の不安や弱さを巧みに写し取る中山加奈子の作詞の個性は見え始めていますが、実は、水面にゆらゆらと揺れる月のようにつかみ所がなく儚さを感じさせる楽曲を書く今野登茂子が、地味ながらも最初から最も個性を確立していました。ただし、その方向性がバンドにはあまり合わなかったので、最初にソロ作品を作ることになったのでしょう。

 プリプリの歴史の中では、この作品はいわばプリプロのようなもので、ここで得た自信が次作以降の爆発につながります。

 ちなみに個人的には、アルバム「LOVERS」の前半と、「PRINCESS PRINCESS」の後半が1枚のアルバムとなっていれば、ものすごい名盤だったのになぁと思います。

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