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7枚目 ローザ・ルクセンブルグ「ROSA LUXEMBURG II」(1986年)

 どんとという人は、いつの間にあんなにビッグになったのだろうか。僕がローザ・ルクセンブルグを初めて聴いたのは、86年だったか、87年だったか、どこかのFM局で放送していた、当時、仙台で毎年行われていたロック・フェス<ロックンロール・オリンピック>の特番でした。曲は「在中国的少年」。ローザはその1曲しか放送されなかったのですが、それはものすごいインパクトで僕の中に残りました。しかし、この頃、<どんと>と言う名前をどれだけの人が認識していたでしょう。

 ローザ・ルクセンブルグは短命でした。83年に結成して86年にメジャーデビュー。解散が87年と、実際の活動期間は4年程度。メジャー期に至っては、ほんの1年程度です。どんとが広く有名になったのはボ・ガンボスを結成してからと言っていいと思います。ある意味それは必然のことで、素晴らしい才能が然るべき場所で然るべき人たちと出会えば開花するわけです。どんとは自分のやりたいことが存分にできる場所が欲しかったんだと思います。つまり、ローザ・ルクゼンブルグはどんと一人だけのものではありませんでした。

 ローザも、ボ・ガンボスに勝るとも劣らない素晴らしいメンバーが集まったバンドでした。ギターの玉城宏志は非常にカラフルなフレーズを弾く面白い個性の持ち主で、同時代のギタリストでは、布袋寅泰と並ぶ才能だったのではないかと思っています。もし、ヴォーカルがどんとでなければ、完全にギターがメインのバンドになっていたのではないでしょうか。ここが難しいところで、どんとと玉城の個性のぶつかり合いがバンドを短命にしてしまいました。よりファンキーなサウンドを指向したどんとに対して、玉城はよりロックなサウンドを指向したことで、軋轢がうまれたといいます。

 幸運だったのは、活動期間が短かったせいか、作品の中にそういった悪い影響が見受けられないことです。ライヴでは視覚的な部分も含めてどんとの個性が目立ちましたが、スタジオ盤を聴く限り、玉城の個性もかなりのもので、それらがうまく融合したファンキーなロックンロールに仕上がっています。どんとと共にボ・ガンボスを結成する永井利充の少ない音数ながらぶっとくグルーヴするベース。後にメトロファルスやルースターズに加入する三原重夫の、時折ものすごいフィルをぶっこんでくるドラムス。この2人のタイトかつよく弾むリズムもカッコよかった。

 ファースト・アルバムには「在中国的少年」という名曲がありますが、この「II」はどの曲も平均的にクオリティが高く、バンドとしての著しい成長が見られます。タイトにドライヴする「さいあいあい」。後ノリのグルーヴがすごい「あらはちょちんちょちん」。ファンキーな「デリックさん物語」。大らかで楽しい「さわるだけのおっぱい」。それから、少しセンチメンタルな名曲「橋の下」。この曲はボ・ガンボスの解散ステージに玉城が飛び入り参加し、どんとと2人で弾き語りしたということもありました。2人にとってことのほか思い入れがあった曲なのかもしれません。

 改めて思うのは、メンバー一人一人の主張がこんなにもはっきりしたバンドは少ないのではないかということです。やっぱりローザはここで解散して正解だったのかも知れません。

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