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調査が抜けたPRのおかしさ

もうこれも笑っちゃう事実なんですが、広報ポジションを置いているくせに、情報収集のしくみが出来上がっていないことが複数社の共通点でした。つまりは情報分析のしくみがまったくなっていなくて、「じゃあ、アウトプットの源泉って、なに?」と、これまたあたりまえの疑問点がわいてくるのです。実際に担当者たちにヒアリングをしてみると、個々の個人的インプットに頼っている状況。会社や団体を組織している意味がまったくない、といえます。

パブリックリレーションズは、基本的に以下の4つのステップを踏むプロセスの繰り返し、とは世界標準のテキストブックでも解説されています。

1.調査
2.計画
3.実施
4.評価

残念な人はこれとPDCAを混同しますが、PDCAには調査も評価もありませんのであしからず(いきなり「プラン」です。これはすでに決まっている作業工程の実施を検証するための品質管理のステップなんで、1から何かを作っていくクリエイティブ型のスキームにあてはめるのはおばかさんってもんです)。このあたりはPRプランナー試験におけるおかしな解説などもふまえて過去記事で指摘しています。

話を戻して。
この4つのステップの中で、「広報」ポジションは3の「実施」は確実にやっていることです。他人に振り回されていても2と4の「計画」「評価」は目先の目標達成でも多少はとりくんでいることでしょう。ところが、1の調査については実行率が非常に低いのです。 

アウトプットとは、ふつう一定量のインプットに支えられているものです。情報発信が仕事のパブリックリレーションズにおいては、どのくらいのインプットを安定的に得ているかが、そのあとの発信の質と量に正比例に影響します。量がそろっていればいい、というわけでもありません。しかし、まず量をそろえる環境がないといけない。調査は、ある程度の情報がそろっていなければできないことなので、まずはインプットを安定的に得るしくみができているか、ということになるのです。

調査の基礎・モニター&クリップが抜けてる組織が示すもの

パブリックリレーションズにおける調査とは、ステークホルダーに関するものか、競合他社に関するものになります。これらは、メディアのモニタリングと、関心のある記事をピックアップし保存するクリッピングになります。

クリッピングとはなにか、というようなことは、今回の記事ではとりあげません。本家PR401に掲載した記事をいちおうのせておきます。

広報と組織でくくる以上、その機能のためにモニター&クリップのしくみは導入していなければおかしいのです。導入していない企業は広報の仕事を基本的に庶務の延長としか、みなしておらず、バイトの延長、知識がまだ不足している新人でもできる環境だと思っています。企業の情報発信はブランドを作るほどの力があるのに、庶務程度の発信でどうなるか、という想像力がありません。調査が抜けた報道発表資料に記者は振り向くはずもなく、情報の蓄積がない広報担当者のことばは軽くなります。

個人のスキルに頼る組織はだめだろ

経営学の祖、ピータードラッカー博士は、組織化の意味を「人々の強みをのばし、弱みを中和すること」としています。頼るとは書いていません。インプットの仕組みがない広報では、個人がふだん接する情報、自発的に調べたものがベースにアウトプットが構成されてます。組織でインプットを得るしくみを提供して、個々人のインプットと融合させ、さらにいいアウトプットを作る、というのが組織運用における正解のはず。社長は広報担当者の個人スキルに甘えず、彼ら彼女らが継続していいパフォーマンスを得るためのしくみづくりを応援しろ、と思います。

インプット環境がないことがおかしいと思わない広報担当者もどうなのか

自分たちの活動は、アウトプットの質こそすべてで、たとえば社長のフルネームや会社概要は基本的におぼえているだろうし、取り扱う商品やサービスのことも説明できるはず。これらも実は基本的な調査に基づいて蓄積されたインプットから出ています。しかし、状況に合わせてこれらの情報を発信するケースになると、時事トピックがなんであるか、マイナスに見える情報も実はプラスだった、みたいな判断をする基準は何か、という広がりは、もともとのインプット量に頼るわけで、それらはなるべく量があったほうがいいはずです。選択肢を増やせる。たくさんの素材をもとに展開を考えることができる。発信の可能性はインプット量に比例するわけです。

こういった場合、お門違いに一生懸命な広報担当者はインプットの環境を提供しない会社に憤るのではなく、自分のスキルの足らなさをなぜか嘆きます。いやいや、あなたのせいじゃないから。っていうか、組織があることを、忘れてなくね?って思うのです。いや、さらにいえば、「組織がわたしをサポートしてくれる」と考えることがこの人たちにはできない(だから自分を卑下することになるわけで)。そうさせたのは組織の冷たさなんだなあ、と、しみじみと思います。

これってブラック企業で自殺者が出てしまった痛ましいケースなどと、構造は同じなんですよね。

くだらない地元広告に10万円をお付き合いで出すならば、日経新聞のデジタル&紙の定期購読取ってやれよ、って思うのですよ。そんな簡単な判断にどうしてキリキリさせられなければならないのか、と思います。

まあ、どっちもどっち、とも言えなくもないけれど

そもそも、4つのステップを学習したパブリックリレーションズ学を修めた人は、こういう環境に放り込まれたときに個人のスキルで解決せず、組織がそろえるべきものをリストし、提案します。このときの会社のリアクションがキモなんですが、単なる却下でおわるのか(だいたいこっちだけど)、次善策を一緒に考えるのか、によっても、提唱者を生かすか殺すかに分かれていきます。

組織は従業員の強みを伸ばすために、どんな貢献ができるだろうか?「人を大事に」と言っておきながら、実際に提唱者が出たら「ダメ」のひとことで抑え込む環境。ちゃんちゃらおかしくなります。従業員に意見を言わせずマウントするのが権力だと思う残念な社長にわたしは出くわしましたが、こういうケースでも当然論理的納得的理由なく「ダメ」の一言でした。

組織は従業員の強みを伸ばすために、どんな貢献ができるだろうか?このマインドを全員が持っていれば、次善策を共に考え何か打開策を見出すかもしれません。残念な会社は人をネジやボルトの類にしか見ていないので、「自分で何とかしろ」になるでしょう。こういうところも働く環境ということでしっかり見ておくべきことなのかもしれません。

私は、脱出しましたけどね。


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