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(4) 歴史に名を残す事に否定的な、唐変木野郎

イタリア、スペイン、日本の外交団が会談の合間となる週末に、首都ローマに移動する。   
EU会議に先んじて開催が決まっていた、各国の五輪代表のフレンドリーマッチの観戦が目的だ。この土曜日は市内の2つのスタジアムでイタリアx日本、スペインxベネズエラの試合が行われる。水曜日と翌週土曜の残る2日、総当たり戦だが、順位は問わないので賞金もトロフィーも無い、そんな親善大会だった。  
日本政府の3人も、我が子と孫が出場する予定なので、これが目的でイタリアの会議にやって来たと言われても仕方がなかった。大会はオリンピックのトーナメントと同じで、1週間で3試合が行なわれる。

秋の五輪に向けて各国とも出場選手を絞り込む必要がある。選手の選考を目的としているため勝敗による賞金やトロフィーは無いが、親善試合といっても参加する以上勝敗は付いて回る。選手にしても五輪代表に選ばれる為に結果を出さねばならない。監督やコーチ陣も本番半年前の手腕の見せ所となる。各国のサポーターもメディアも通常の試合として見なすが、興行試合では無いので入場チケットも通常の国際マッチに比べれば割安となっている。各国チームの滞在費、移動費、食費、練習場賃貸料等、スタジアム使用料、審判員やスタジアムスタッフ経費、各種保険等の経費総計にスポンサー負担金を当てて、不足残金を入場チケット費用で補う。
4カ国のサッカー協会間で決めた初の大会なので、五輪、WC等の度の恒例行事となる可能性を秘めたテストマッチでもある。

モリ兄弟、柳井家の兄弟、従兄弟達7名がその4チームに分散している為か、日本のメディアの数が最も多いように見える。観客席にも日本の若者達が散見される。
杏が社長を務めるAngle社が本大会の放映権を購入し、スポンサーになっている。日本向け放映のゲスト解説者として、イタリアのジェノアで弟と従兄弟達とチームメイトである火垂と海斗が出演し、実況をAIロボットが行う。
イタリア五輪代表には、ジェノバの高校に通うハサウェイ柳井が、スペイン代表には12歳から兄、アユムのクラブチームの下部組織でやってきてスペイン国籍を取得した 杜 零が、ベネズエラには 杜 陸が、日本には零と陸とスペインのクラブに属する杜 桃李、イタリアの同じクラブに属する杜 零士と一志、柳井 雄大といった様に、各国に配慮したかのように分散された。
実際はそれぞれの選手達が、どの国の代表を目指しているのか個々の意見を尊重して、自主的に決めた。親や祖母は日本代表に纏まってほしいと懇願したが、
「日本政府が決めた複数国籍による選択肢を行使した」と孫や息子に言われれば、受け入れざるを得ない。
イタリア、スペイン、ベネズエラにしてみれば中心を担う選手が残ったので、諸手を挙げて歓迎した。

里子外相は、日本の10番を付けてピッチに入ってきた息子の桃李を見て胸を熱くし、対戦相手のアズーリの10番のハサウェイに、父親の柳井太朗が感極まったかの様な緊張した視線を注ぐ。

「日本は僕が倒す!スペイン、ベネズエラとの10番勝負も僕が全部勝つ!」とハサウェイが事ある毎に公言し、同じポジションで重なる、桃李、陸を牽制していた。柳井純子前首相は、ハサウェイと雄大の2人の孫がそれぞれの代表に分かれてしまい、しかもぶつかり合うポジションなので胸を痛めていた。従兄弟同士でいつもは仲の良い2人が、睨み合いながら入場する一幕もあった。 

スタディオ・オリンピコ(Stadio Olimpico, Roma)の7万人の観客席の中に、モリの小中高大の各学校時代の同級生52名が加わっていた。全員、70手前の世代なので周囲と違和感がある一角となっていたが、柳井前首相のアイディアで日本からやってきた。党の幹事長である柳井が予てから温めていたプランが、モリの人物像をより精緻に微細な話題まで拾い上げ、記録に纏める事だった。この時点ではモリから否定されて半ば形骸化していたのだが、集った以上は実施するしかない。
日本政府顧問であるモリを閣僚たちは実質的な最高権力者として位置づけていながら、日本連合の代表であるモリの人物像は、概要的な内容しか公にされていない。 

「義理の母の金森元首相が富山県知事の際に、秘書となった。前職は高校の教師で、社会科教師をメインに英語の授業も担当していた。前前職が米国のIT企業の営業職で、営業成績で得た資金を投入、同僚を登用して、20年間与党第一党の北前社会党を立ち上げ、半官半民企業のプルシアンブルー社を設立し、世界に誇るコングリマット企業に育て上げた」と数行の情報があるだけで、他には業績の数々が時系列に記述されている。その業績の数々も、全てが外交機密に該当するので公に情報公開される日も、まだ暫く先となる。調査機関を持つ各国の首長は、常識ハズレの実績を持つモリの実態をある程度は知っていても、日本の国民も、ベネズエラ人も、モリ個人が成し遂げた成果だとは思っておらず、歴代政府の総合力による業績だと認識している。
このギャップを「良し」としているモリが居るので、20年間もの間、「詳細まではよく分からんが、頑張った人達の一人」としてモリ個人に対する認識が、広く国民の間で浸透している。          

3人の歴代首相達は、逆に自分達が過大評価されている状況を歯痒く感じていた。それ故、先日の訪日の際に凱旋帰国のようにモリを持ち上げ、まるで国賓待遇であるかのように出迎えた。
「落日の日本を世界一の座に引き上げた」最大の功労者を饗そうと画策したのだが、肝心の箇所で空回りに終わってしまう。国連事務総長就任時も祝うべきだと主張したのだが、本人が激しく拒否したので出来なかった。
2期目のベネズエラ大統領に就任した今回は、訪日に合わせて政府が密かに準備したのだが、何故か空振りに終わり、裏目に出てしまった。
長年連れ添ったはずの義母の金森鮎でさえ、出会う前のモリの過去を大きく誤認していたのが露呈してしまう。

誤算の始まりはベネズエラ大統領の国会演説だ。当然ながら映像も発言内容も公開するつもりでいたが、モリが全て、台無しにしてしまう。焦った阪本政権は、演説内容の一部をマスコミにリークして、ようやく国民から反響を受けた。
モリが与党幹事長時代の20年前、中国・ロシアとのパートナー関係を構築した隠密行動を察知しているマスコミは殆ど皆無であり、アメリカもノーマークだったと知る。後に、北朝鮮拉致被害者の救出、日露平和条約締結、北方領土返還へと続く「種」が、新政府の発足と同時にモリの行動により蒔かれたらしい、と明かされる。外交上の秘匿事項に関わるので、詳細は情報公開が可能となるまで待たねばならないが、日本政府の作戦参謀として隠密理に活動していた事実が、元首相や関係者の話から裏取りがされて、各社がニュースや記事として取り上げられるようになった。 
「モリの存在がアメリカに認識され、次期国連事務総長に推挙された」この下りが記事になると、訪日時の日本政府の破格の歓待っぷりと、両陛下のお気に入りの部下、配下の様に何故扱われるのか?ようやく合点したようだ。

2つ目の失敗は政府主催の晩餐会に、本人には内緒でモリの同級生152名を招待した事となった。 
義母の金森鮎も、妻の蛍も、高校時代のモリを知る阪本首相も柳井前首相も、モリの学生時代の友人に会った事が無い。亡くなったモリの実母から、どんな少年だったのか、家族は聞いたことはあっても、間接的な情報でしかなかった。   

部活動やバンド活動に熱心だったのだから、当時の友人関係交友関係はあっただろうと、嘗ての公安警察を使って調べ始めた。元となったのはモリの実家にある、卒業アルバムと写真の数々だ。妻の蛍がアルバム類を貸し出して、捜索が始まった。
クラスメート、サッカー部の部員、バンド仲間や同じ学部の同級生達に接触して、モリがどう思っているかはさて置き、何かしらの接点があって、モリに纏わる何らかのエピソードを求めて、「モリに会いたい」と意思表示した同級生152名を、晩餐会に招待した。   
政治家や企業人、州知事といった人々は敢えて排除して、閣僚と主要官僚以外は同窓会のような構成のアンバランスな会となった。陛下御一家に置かれては庶民達との交流の場となり、喜ばれていたが。

会場入りしたモリは、明らかに面食らった顔をしていた。その顔が決して喜んで居ない事を首相経験者3名は悟る。これは失敗したかもしれないと柳井前首相は判断し、表向き妻役の金森元首相に許可を貰って、真っ先にモリへ近寄って行った。こちらの意図を明確に示さなければ、モリはこの場を国会演説のように台無しにしてしまうかもしれない、と慌てた。 
相変わらず面倒な男だと思いながらも、陛下の御前でもあるのでモリの機嫌を損ねず、穏便にこの場を進めなければ・・と会の継続を考えた。モリの怒った形相を見るに、我々、首謀者に詰め寄って糾弾し続けるか、もしくは天皇家に四六時中張り付いて、同級生に見向きもしないように振る舞うのではないか・・そんな確信めいたものが、頭を過ぎっていた。      

大学を卒業し、日本企業に数年勤めた後は外資企業に転じ、訪米する。その時点から同級生達との接点は完全に無くなったのに・・とモリは脱力に近い疲労感を感じていた。政治家に転じてからも後援会なども組織せず、その後再び渡米したので、疎遠どころか絶縁状態になった。その同級生たちが両陛下と内親王に、モリは学生時代や子供時代はどんな奴だったか、旧知の仲のように明け透けに語り、内親王様を笑わせているのを見ると、やはり面白く無かった。
「オレには学生時代の友人など居ない」という基本認識で居たからだ。しかし、ヒトは身勝手な生き物で、有名人の同級生として、周囲にまるで親友だったかのように語る。そんな経験が少なからず同級生達にはあるのだろう、寄りによって両陛下や内親王様に得意気に話している様を見て、フザケルナ!とキレるのも当然だった。 

一般参加者である同級生達のプライバシー保護の観点で、会自体はマスコミをシャットアウトしていたが、会場中で何が行われて居たのかは、これだけの一般人が居れば何れ洩れてしまうだろう。金森、柳井、阪本は逆に同級生による情報漏洩に期待していた。      
マスコミが「モリの同級生たち」の存在に気付けば、「首相のご学友、同級生探し」と同じように、卒業した学校に取材に行き、卒業アルバムを手に入れて接点のある同級生を洗い出してゆくだろう。手順は元・公安と同じだが、ノリはワイドショー番組がモリの過去を伝える放映をしてくれれば良いと考えていた。
モリの人物像がメディアから伝えられるタイミングに合わせるように、大統領としての発言や行動での「好戦的な一面」が、実はあれは演技なのだと、柳井前首相が党の幹事長として証してしまおうと企んでいた。

圧倒的なまでの軍事力を持つ、中南米軍の総司令官としての立場を時として示す必要があるからなんです。同級生の皆さんが言うように、実際は寡黙で穏やかな人物なのだと補足するつもりで居た。アレは決して本意な訳ではなく、率先して汚れ役を受け持っているに過ぎないのだと・・。

しかし、想定外にモリの目は怒っていた。周囲を視線で「近寄るな」と威嚇しながら、3人の元首相目ざして近づいてくる。先んじて歩み寄った柳井純子と直に会頭すると、小さな声で「余計な事をするな!」と口火を切った。        

柳井はモリから学んだ「相手を黙らせる手法」で応じる。明後日の方向の話題を持ち出すことで煙幕を張る。
「私達は神奈川や東京の市議や区議の候補者や、党のスタッフをを探している」のだと。

「70歳前後のリタイア世代を積極的に採用して、長寿社会のイメージを払拭してゆきたい。嘗ての自滅党のような老いただけの無様な爺婆を揃えたくはないの!」と幹事長としての目的を口にして、モリを牽制に掛かった。
モリはこの柳井の発言が予想外だったのか、一瞬言い淀んだものの矛先は「攻撃モード」のままだった。 

「70代に突入する年金世代をさ、無理やり取り上げようとすんなよ。今更 意味ねーだろうが、そんなもん」と、糾弾の姿勢を崩そうとはしない。
これは面倒な事になったぞと、阪本首相と金森元首相と目を合わせて助けを求める。2人が事態を察して足早に動き始めると、3人で言い包めるのか、と察したモリが、牽制するかのように柳井純子に話し始める。

「政府が声がけした以上、彼らに帰れとは今更言わん。だがな、彼らには一言言わせてもらうぞ。オレが母子家庭で育った、典型的な貧乏暮らしだってえのは、ヤツラも知っている筈だ。だからこそ、同級生や先輩後輩達と付き合う時間なんて無かった。そもそもの接点なんて、無かったんだよ。だからこそ、同級生ヅラしてテレビ局の取材を受けたり、大した話でもねえのに、誇張した話をマスコミに伝えないでくれって頼む。陛下に向かって喜々として話しているバカっタレを目にしたからこそ、徹底させて貰うからな」     

「どうして?あなたはこの国の英雄なのよ。国の歴史にあなたの名をしっかりと残すためにも、どんな些細な話でも、エピソードが、物語が必要になるの。あなたがどんな事を考えている人物で、どうして長けた思考力と行動力が身に付いたのか、その実力の片鱗を学生の頃は既に見せていたのか、あるいは、どんな風にして能力を育んだのか、そういったものを私達は知らしめたい、それだけの話じゃない、何が余計な事するな、よ。こんの自己中のオタンコナス野郎め!」
純子が言い放つ途中から左右に鮎と澄江が陣取って、モリを挟撃する体制を取った。

「いいか、あんたが欲するエピソードなんてえのはな、授業中か昼休みか、もしくは部活中くらいの話題しかねえんだよ。高校の頃は、大しておかずの入っていない「ほぼ日の丸弁当」食い終えて、午後の授業は睡眠に当てていた。部活に支障をきたすのが嫌で、午後の授業を捨てたようなもんだ。昔から、そんな奴なんだよ。仲の良い友達が居るはずも無ければ、人に悩みや相談する時間なんか無い。バカ騒ぎしたくたって、仲間ってモンがオレには一人も居ないんだ。父親も兄弟も居ないオレは、自分で、たった一人で判断するしか無かった。高校生だったオレが、大学生だったあんた達に相談や助けを求めたりなんかしたか?する訳が無いさ、今に至ってもオレの事が理解できない唐変木共なんだからな。あんたらはオレがどうしても理解出来なかったから、平気な顔してオレを放り出したんだろう? 

だからこそ、一人で考える癖が付いたんだ。他人の助言やアドバイスなんか聞こうともせずに、ひたすら解を求めて、日々一人で悩み続けてばかりいた。あのクソッタレの時間が、オレの中に未だに残っていて、当時の苦しみを時として思い出す・・。だから、オレを作り上げたエピソードなんてえもんは、ナンもねーんだよっ!」

新たに加わった2人も無視して、そう捲し立てると、3人の前から離れて行こうとするので、鮎が睨みながらモリの左腕を力強く掴んだ。モリは、やや口調を戻して先を続けた。     

「純子が産んだ太朗から始まって、十数年後に鮎さんが火垂を産んだ。養女や孤児達が産んだ幼児まで数えれば、オレは世界でも有数の、子沢山な男だ。やがて、幼児たちが大きくなって、兄達のように何らかの形で世に出れば、オレによく似たあの子達の父親が一体誰なのか、直ぐに露呈する。異母兄弟の数がトリガーとなって、明治の元老院のエロ親爺や幕府の歴代の将軍と同じような扱いをオレは受けるだろう。大久保利通、伊藤博文、渋沢栄一、毛沢東と、日本初の首相、共産中国建国の父とか実際の肩書があっても、女に塗れたイメージだけが先行して、偉人らしからぬ扱いをするのが、ワイドショー好きな日本人だ。戦後の吉田茂もノーベル賞取った佐藤栄作にしてもそうだ。 
そもそも日本の政治家なんて、民衆に持て囃された試しがない。小泉や維新のバカっタレがワイドショーでアイドルのように扱われた頃があったが、政党自体が自滅すれば当時の浮かれたババアどもの騒ぎも一時のもんだ。政党自体のボロが次第に明らかになれば、同じツボのムジナの扱いになる。   

明治大正とは時代が異なり、一夫一妻制が浸透している今、複数の女性との間に何人の子を成し、孫は何人かって話だけで、この国は十分に盛り上がる。オレが何を成し遂げようが、成果なんてもんは簡単に形骸化する。
だからさ、こんな真似をした所で無駄なんだよ。偉人伝を残すかの如き動きをしたって、全てが無駄になる。
「実はカルト宗教と思いっきり癒着していました。嫌韓ヅラしながら、韓国の邪教に国民の富を差し出した売国奴でした」なんて、国政史上の最低最悪なケースに比べれば、「女好きの種馬野郎」と罵られ、誂われるだけで済むかもしれないがね。  
オレは、お札に描かれたり、銅像になりたいとも思わない。野口英世や二宮尊徳のように、死んだ後でも伝記で語り継がれる人にもなりたくない。あんた達のように日本の首相もやっていない政治家が、この国で目立っちゃいかんのだよ。「女癖の悪い、種馬野郎」って言う通り名が浸透して、桂小五郎か重光葵並みのマイナーな存在に落ち着いてくれるのを願っている。桂や重光レベルでは偉人伝には成らんからな・・とは言っても、ベネズエラと中南米となると銅像が出来るかもしれんから、遺言でしっかり拒否しとくがね・・。  

隣組制度が未だに色濃く残る、ムラ社会のこの国じゃあ、女性問題は致命的だ。だからこそ肉欲の限りを尽くしてきた積りだし、今回の一件で、もっと暴走老人として暴れてやろうと考えを改めたよ。いいか婆さんども。これ以上余計な事はするんじゃねーぞ、どうせ全部ぶち壊れるんだ・・」
歴代首相の3人に視線を合わせながら、静かに凄んで見せると、足早に同級生の方へ向かう。3人が慌てて後を追う。

日本の首脳4人が、何を話していたのか知らない同級生達は、歓声と拍手でモリを迎える。モリは同級生達に一礼してから、やや大きな声で、陛下たちにも聞こえるように話し始めた。

「今日はお集まり頂き、有難うございます。皆さんとこうして再会できた事にとても感謝しています。さて、僕から1つだけお願いがあります・・」と約150名を前にして、話しだした。モリはマスコミの取材を受けないで欲しいと頭を下げる。ワイドショーに昔話を取り上げられるのは何としても避けたい。片親だったので小学生から大学まで新聞配達を続けていたし、中高生の昼は、日の丸弁当ばかり食べていたと暴露されてもさして影響が出る訳でもないから構わないのだが、やっぱり思い出したくはない過去なんだ。だから、みんな黙っててくれないか、頼むからさ!と同級生達を笑わせると、後は同級生の中に入り込んで、政治家のように引きつったような笑顔を見せていた。
しばらく経って、モリが陛下達の方へ向かい、何やら話していた。お三方に深々とお辞儀をすると、会は90分が経過していた。天皇家ご家族は立ち上がり、会食者の拍手と共に退出された。

その後、モリは「君が初恋の人です」と一人の女性に想いを明かして、耳をダンボにして聞いていた周囲の同級生が盛り上がり、2人を囃し立てた。
小学と高校時代の同級生だと言う、その女性の了解を取り付けると「妻の目前で」これ見よがしにエスコートし、そのまま「お持ち帰り」する体勢に移った。
3人の歴代首相と同級生の前で堂々としでかすと、

「では皆さん、ごゆっくり。これから2人で飲みなおしますので失礼します」と捨て台詞を吐いて出ていこうとする。まるで「オレは、本来こういう奴なのだ」とでも言わんばかりに。

「モリー、主役がお持ち帰りしちゃっていいのかよ!」とサッカー部だった同級生が言い放つ声が響き、笑い声が会場を覆う。金森鮎元首相が「妻のモリ・ホタル」として出席していた場であるにも関わらず、モリ好みに違いない女性の背を、さりげなく押すようにして退席してゆく・・・。  
首相と元首相の3人は顔をやや引きつりながらも、政治家になって身に付けた微笑を浮かべて2人を見送る。その笑顔を見た同級生達は、「流石に送り狼にはならないんだな」と察する。その判断も大いなる勘違いとなるのだが。     

モリの少年時代を完全に誤解していた、と今更ながらに知った3人は反省会を開いた・・らしい。
ーーー                     サッカー部の部員だった者達を中心に、モリがポケットマネーで招待する格好でローマに52名を連れてきた。ゲーム終了後、日本の五輪代表チームと記念撮影をして、テレビ放映のゲスト解説者のモリの次男と4男が参加する夕食会に参加する。

これが公職選挙法に引っかからないのも、モリは日本の政治家でもなければ、同級生達はベネズエラの市民権を持っていない。故に選挙や投票の対象とはならない。妻のモリ・ホタル官房長官の選挙区は大阪で、選挙区が合致する者は参加者には居ないのも政府側で確認済だ。柳井前首相とモリとの長男の太朗が、モリの昔話を聞きながら、実は面談をこっそりと行う。柳井純子の目下の関心は、あの晩、赤坂のホテルにモリと宿泊した白川優希、旧姓和泉優希だ。小学校入学時にモリの隣の席となり、2年間同じクラス、中学は居住区の相違で別れるも、高校入学で再び同じクラスとなる。比較的近所同士だったが、阪本、柳井と交際していた事もあって、接点は無かったようだ・・。夫とは56の時に死別、38歳になる娘が一人居る。観客席には高校時代の同級生達と陣取って、観戦している。
「未亡人か・・こりゃあヤバイなぁ・・」柳井純子はリストを見て溜息をついた。

試合は前半の32分でイタリアが先制点を上げる。
MFの杜一志が放ったミドルシュートがゴールのバーを直撃する。ゴール前に跳ね返ったボールを、イタリアのディフェンダーが前方へ大きくロングフィードする。
その山なりのボールの着地点に、モリの孫のハサウェイが、16歳ならではの俊足を見せて走り込み、阿吽の呼吸でゴール前に走り込んでいたFWにボレーシュートのようなダイレクトパスを送った。
このパスの軌道が、走り込むFWと奇跡的にシンクロした。弾道状のパスを頭で合わせて、ゴールネットを揺らす。日本のディフェンダーが追いつく間も無いほどの ダイレクト性のパスで、対処の術が無かった。チーム内で最も若いハサウェイが若きアズーリ達にもみくちゃにされ、ゴールを決めたFW選手が走り寄るとハサウェイを押し倒して、頬にキスをし続けるので周りの選手たちが腹を抱えて笑い転げている。
先制された日本チームを10番を背負った桃李が鼓舞すると、零士が、ゴールの枠を捉えられずに悔しがっている一志の背中を何度も叩き、柳井雄大がボールをダッシュで運び、センターサークルに置いた。7万2千人を収容する観客席の9割以上がイタリアのサポーターだ。観客席で飛び跳ねながら絶叫しているので地割れのような音響がスタジアム中に木霊していた。

日本代表のユニフォームを着ている太朗も、息子の見事なアシストに我を忘れて立ち上がり、涙を流している。感激している父親と隣で拍手してはしゃいでいる祖母の映像がオーロラビジョンとライブ放映中の番組にいつまでも投影されていたが、当の本人たちは全く気がついていなかった。

先制されて浮足立った日本は3分後にも失点し、前半を2−0で折り返す。後半、桃李のセットプレーから零士が頭で合わせて、1点返すもアズーリの伝統芸カテナチオが発動し、最後の10分強は鉄壁のディフェンス網を崩すことが出来ずに敗れた。
後半の途中からベンチに退いた柳井ハサウェイがマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、従兄弟の柳井雄大に向かって、中指を立てて誂っていた。

ローマの競技場に来ている記者は、サッカー誌かスポーツ新聞の記者で、スポーツ新聞の芸能記者は居ない。それでもゴシップやワイドショー好きな日本人の為に、モリの同級生達に取材するよう、本社から記者達に指示が出されていたが、同級生達が取材を断り続けるので、直ぐに諦めて選手達のインタビューに向かった。そもそも、宇宙空間の移動を体験し、滞在中の費用を含めて一切合切をモリから出してもらっているので、誰もがモリに操を立てるのは当然だった。「ノー・コメント」と強気に言い放つ者が居た。
「お前、何カッコつけてんだよ。ガイ人政治家の真似すんじゃねーよ」と誂って笑う、そんな老人集団に過ぎなかった。モリ本人が会場に居らず、日本にさえ殆ど顔を見せない。ベネズエラの話題が日本国内で日々更新されるはずもない。日本のように「首相動向」的に大統領のスケジュールを公開していないので、何処に居るのか分からない。視察先の映像がベネズエラの夜のニュースで流れて「今日はここに居たのね」とテレビを見ていたベネズエラ国民が知るのが関の山だ。 
ベネズエラ大統領の動向など所詮は各国の首長の情報と同じで、日本のニュースで流れるハズも無い。  
日本のサッカーメディアは、大会参加の4か国のチームの取材に忙殺されるようになり、応援で来ているモリの同窓生など目もくれなくなる。観戦に訪れた前首相も含めて、70前の老人達だ、そんなのどうでもいいやと思うのも当然だった。   

日本のメディアも現地の運動部の記者が、記事にしなければ伝えようが無い。試合の放映中に僅かに観客席が写っただけで、メディアが同級生達を取り上げるのは終わってしまう。日本の歴代首相の思惑は早々に無に帰してしまう。  
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阪本首相と柳井前首相に共通する疑問「もし、金森鮎が政治の世界に足を踏み入れて居なかったなら、モリの才能は発揮されることは無かった」という、議員の間で噂されている定説を疑いたかった。
モリ家の中では知られている「ノート」の存在。頭に浮かんだアイディアを書き留める習慣がモリにはあり、それこそ、90年代始めに就職した時点で、既に日本の再生計画を練り始めていた事を知るのは限られた者しかいない。30を過ぎた頃に、金森鮎と金森蛍の母子に出会った時点で、モリは政治への道を想定し始めたのではないかと疑っていた。自らの構想を具現化する上で、金森鮎という「器」の存在に目を付けたのではないか?と、柳井純子は考えていた。金森鮎は「私達が、モリを世に送り出した」と胸を張るが、モリ自身も母娘を大いに利用したのではないかと考えていた。この頃、日本経済の建て直しだけではなく、日本を取り巻く諸問題の解決方法も事細かに纏めている。後日、鮎と蛍の母子は、モリノートの存在を知って、定年を迎えた大学後の身の振り先を政治に求めるようになる。義理の息子を参謀として使えると判断したからだ。          
自分の考えを纏めたノートを故意に目の届くところに置いたのか、たまたま金森鮎と蛍がノートを盗み見たのか、どちらが先なのかは分からないが、金森が政治に踏み込んだ事で、モリは表舞台へ登場していった。  

ヒトが人格の形成を始めるのは小学校高学年から中学くらいからとされている。当時の同級生に、モリがどんな少年だったのか尋ねると、今の様に背も大きくない、目のくりくりした物静かな男子生徒という印象で、特定の友人も居ず、真っ直ぐに家に帰るので掴み所が無かったという。算数・数学は苦手だが、他の教科はめっぽう出来たらしい。柳井純子も太朗もこの頃から近所の団地の新聞配達を朝夕していたのは知っていた。
母と子の2人暮らしだったので、モリ少年も母を必死になって支えていた。高校生になると原付免許を取って、新聞配達を朝刊だけに変えた。夕刊を配らなくなった分、宅配数の多い地域を担当させて貰ったという。そしてサッカー部に入り、親類から譲り受けたギターを覚え始める。この頃から身長が伸び始め、校内でも1,2を争う背丈となる。新聞配達のお陰か、基礎体力は身に付いていたのと身長を使ったFWのポジションで頭角を現してゆく。1年生からレギュラーで身長が高く、ベビーフェイスで県立共学高校となると、女生徒が放っておかなくなる。友人の家が経営する新聞店で折込チラシの仕分け作業を手伝っていた阪本と柳井が、朝刊だけ配達している謎の高校生に目を付けて、それぞれが密かにちょっかいを出してゆくことになる。    
同じ学校の女子生徒の中では、告白した女子は尽く撃沈したので、女には興味が無いのではとホモ説さえ伝えられたという。しかし後世で首相となる2人の大学生とは、やることをやっていたのが政治家になって首相と前首相との関係が露呈する。しかし、当時は誰も何も知らなかったというが分かった。その頃に出来た子供が、この場に居る、50代になろうとしている柳井太朗だという事実でさえ。     

高校2年生になると怪我をして、途中からポジションをディフェンダーに変更した。FWとして敵チームと相対した際に、嫌なタイプのディフェンダーと遭遇した記憶を辿って、嫌なディフェンダーを真似るプレイを心掛けて試合に臨んでいたら、神奈川県の選抜メンバーに選出される。しかし、本人はバイトを理由に辞退する。
Jリーグは既に有ったが、バブル崩壊と共に選手の給与も下がり、職としてはギャンブルに近いとモリはみなし、普通に企業に就職して生活しようと考えていた。

「高校で再会した時は驚きました。小学生の時の面影は確かにあるのですが、見違えるように背が伸びていたんです」

「優希は初恋の人に再会できた喜びに感動し、私は単純に彼を見て恋に落ちました。半年後に告白してフラれましたが、まさかその時阪本首相とその後は幹事長と恋仲だったとは・・。優希も私も全く気付きませんでした」

先日、政府主催の晩餐会でモリが連れ去った白川優希と、晩餐会には欠席した長井理美が柳井前首相の目の前に居た。ローマのホテルでの夕食会のテーブル席を、故意に純子が変更した。
話を始めて驚いたのは、約十名が政府専用機で帰国せずに暫くローマに滞在するのだが、彼女たちはベネズエラに向かうのだと言う。しかも2人はモリの所属していたバンドのサポートメンバーとして加入した経緯があると言うので、2重に驚いた。
白川優希はピアノの調律師を楽器メーカーで長年勤めて65迄在籍した。バイオリンとチェロで今でも市民オーケストラに参加している歯科医の長井理美は、当時はツインギターが必要な際のサポートメンバーだった。

基本的にドラム、ギター、ベースの3人バンドだと思っていた純子は驚いた。実際に3人で演奏するライブしか見たことがなかったからだ。
目の前の2人は大学生になってからも、バンドに参加し続けたと言う。          

「杜くんは、元々作曲のセンスがあったんです。最近になってまた始めたらしいよって優希から聞いて、2人でワクワクしてるんです。本当に独創的なメロディーラインだったんですよ。3人でプロになってもやってイケるよねって、優希と2人で画策してた位ですから」 
理美の発言に純子は驚いた。プロですって?  

「あの、大学は3人共違いますよね。週に何回くらい集まっていたんですか?」

「杜くんの実家って、柳井さんもご存知ですよね? これぞ旧宅って感じで大きくて、部屋数も多いじゃないですか。お母様が昔、使ってらっしゃったピアノがあるので優希がそれを借りて、私がギターとバイオリン、彼がウッド・ベース。3人の時はジャズってましたね、完全に」理美が言うと、優希が笑う。

「スティングがソロ活動を始めて、ジャズのミュージシャン達と演奏し始めた頃だったんです。三人共、ポリスの大ファンでしたから、すごく影響されちゃって」
優希が遠い目をしている。
・・この仕草は、男を惑わせるな・・
「その頃、ドラムとギターの彼達はどうされてたんですか?」

「大学生になると、好きな音楽の方向性が代わり出して、大学の仲間と組んだバンドの方にシフトしていったんです。私たちは別の目的もあって、杜くんから離れませんでした」
理美が明け透けに言うので、純子も頷くしかなかった。

「その頃からデモテープをレコード会社に送るようになります。幾つかの会社が興味を持ってくれたのですが、肝心の杜くんがバックパッカーに目覚めてしまって日本に居なくなります。デビューだって、決して夢物語ではなかったのですが。
その縁で私は楽器メーカーに就職して、理美は歯科医になります。杜くんはご存知の電機メーカーですね」
優希が中身を端折って、一気に就職まで話が進んだ。

「お嬢さんの会社で楽器部門が出来て、今や「薯」も売れっ子バンドです。両方手伝ってくれないかって、杜くんから言われまして、今回ベネズエラに参ります。お互い、もう自由な身ですからね」
理美が優希と見つめ合って笑う。

そういう事だったの・・と柳井純子は呆けたように頷いていた。

(つづく)



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